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| 吉備路放浪記(7) 取材・更新記録 |
| くろひめ亭 2002/09/08 |
吉備路風土記の丘、あまり聞きなれない地名でしょうが、国分寺一帯につけられた名称です。国分寺の山門を入って、すぐにある「くろひめ亭」で名物の甘酒をいただきました。 お店の方にうかがいますと、砂糖はいっさい使ってないということですが、なぜかほんのりと した甘みがあります。 しょうがの香りが甘酒にマッチして、とてもおいしくいただきました。 このお店は、吉備路観光案内にも指定されていますし、予約をすれば案内と説明もしていただける ようです。 皆さんご利用されてはいかがですか? パンフレットによりますと、連絡先は 吉備路ウェルカム観光ガイド連絡会 〒719-1123 総社市上林1046(吉備路観光案内所内) 電話:(0866)92-1211 となっています。 |
| 装備 2002/08/10 |
鬼ノ城へ行ってきました。写真はそのときの装備です。装備というほどのものではありませんが、ご紹介します。 左上から、帽子です。今の暑さにはかかせません。その下に小さく見えるのは、予備の カメラのバッテリーです。これもいざというときのためにいつも持っています。 その下のオレンジのものはタオルです。この日はこの他に2本、計3本持って行きましたが まだ足りませんでした。 上はデイバッグです。軽くて丈夫なものがいいですね。その下は少し見えにくいですが、 鬼ノ城のパンフレットとティシューです。 そして水筒と予備のポカリです。水筒の中には氷をたっぷり入れた麦茶が入っています。 麦茶がなくなると、予備のポカリをいれますがまだ氷が残っていますので、十分飲めます。 そして、携帯とチョコです。チョコとあめはいつもバッグに入れています。疲れたときには 助かります。あとはお弁当のおにぎりと名刺入れ、タバコ、ライター、携帯灰皿と手帳です。 携帯灰皿は必ず持っていきます。最後に手前に見える棒は杖です。これは入り口に用意されている ものをお借りしました。ここに移っていないものは、カメラだけです。 カメラについて一言、カメラは軽いものがいいです。できれば肩から掛けるほうがいいと思います。 私は手に持つようにしていますので、邪魔ですし汗が気になります。ストラップなど汗でぬれてし まいます。また、バッグに入れると取り出すのが面倒です。 これだけのものを持っていったのですが、なおあればよかったというものがあります。 それは、1)ぬれタオル2)シャツの着替え3)半ズボンのほうがよかった4)飲料水が不足した などです。 もし、この時期に同じコースを歩かれるのでしたら、参考にしてください。 |
| 御田植祭 2002/07/21 |
もうすぐ吉備津彦神社の御田植祭があります。(八月二日・三日)「おたうえ」と言っていますが本当は「おんだうえ」というのが正しいようです。 この写真はその御田植祭に登場する「御幡献納」という行事に使う旗を作っているところです。 暑い中、地元の方々が汗だくで準備されていました。 みなさんお忙しいところ、ありがとうございました。 特に八月二日は参道、境内にたくさんの屋台が出ます。また、花火もあがります。 お近くの方は、ぜひご参拝ください。 吉備津彦神社の社史と御田植祭についての詳しいことは こちらから |
| 惣爪塔跡 2002/07/21 |
吉備路自転車道が足守川に交わるところに、この「惣爪塔跡」があります。国指定史跡 惣爪塔跡 古来「石の釜」と呼ばれている、塔の中心柱の礎石(心礎)である。 長径2メートル、短径1.5メートルで、上部に直径16センチメートルの円孔をうがち、 さらに、その底に子孔があり仏舎利を納めてあったものであろう。 奈良時代前期、この礎石の上に建っていた塔のほか、金堂・講堂などの建物が ならび、一大伽藍が営まれていたことが想定される。 しかし、塔以外の建物の礎石や基壇の痕跡は、周囲の水田の地下げのため、 現在は確認する事が出来ない。 この寺は、「津の臣」の氏寺であったともいわれている。 なお、付近一帯は弥生時代の集落跡でもあり、水田の下から貝層や土器その他の 遺物が発見されている。 平成十四年二月 岡山市教育委員会 吉備津神社から鯉喰神社へ向かわれる方は、途中の足守川の土手へあがる直前の 右の細い道の脇にあります。 |
| 湛井堰(たたいぜき)2002/07/14 |
国道180号線で総社を過ぎて、高梁川の土手に上がるところ、井山宝福寺の180号線からの
入り口にあります。ここから東の足守方面に水路があります。 以前妹尾兼康のところで出てきた、十二ケ郷用水はここから引かれたのでしょうか? こちらをご参照ください。 |
| 吉備の穴海 2002/06/30 |
左の写真は岡山市埋蔵文化財センターに展示されていたものですが、一部地名などを
入れて加工しています。
古代には、吉備の中山は麓まで海が迫っていたことはよく知られています。 また、吉備の中山の北側に吉備津という地名があります。 吉備津は吉備の津でしょう。では津とはとんな意味があるのでしょうか? 三省堂大辞林によりますと 「海岸・河岸の船舶が来着する所。船つき場。渡し場。港。特に、船つき場や渡し場に対して、 物資が集散し、集落が形成された所。港町。」とあります。 つまり、吉備の海の表玄関ということでしょう。 ということは吉備の中山は島だった可能性があります。そこで単純な疑問がわきます。 どうして、この島に古墳がたくさんあるのでしょうか? 石棺など運びにくいと思いますが?それとも海路の方が運びやすかったのでしょうか? それではなぜ、祭祀の源になったのでしょうか?ここから西にある楯築遺跡にしても この吉備の中山にしても、どうも海を意識して造られたような気がします。 この吉備の中山に眠る古代の首長たちは、もしかすると海に関連した職業、 つまり海運業のような仕事をしていたのかも知れません。 吉備津を母港として国内、もしかすると海外へも行っていたのかも知れません。 |
| 岡山市埋蔵文化財センター 2002/06/29 |