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備前国分寺
びぜんこくぶんじ


備前国分寺


備前国分寺 備前国分寺


備前国分寺跡

備前国の国分寺の跡であり、鎮護国家を願って奈良時代に全国に建てられたものの うちの一つです。正式名称は金光明四天王護国之寺といいます。 この寺の建立を発願した聖武天皇は、必ず好所に建立するよう命じています。
一九七五(昭和五〇)年の発掘調査では、南門、中門、金堂、講堂、僧房等の 跡が確認されました。そして、これら主要な伽藍が南北方向に縦に一直線に並び、 そこから東南の位置に塔が配置されている様子から、東大寺(国分寺)式伽藍配置が 採用されていることも判明しました。全国の国分寺跡のうち、半数近くがこの伽藍配置 を採用しています。
この備前国分寺跡は、推定の南門と推定の中門の間隔が狭いことが他の国分寺跡 では見られない特徴です。また、柱をのせた礎石には加工の痕跡があまり見られず、 自然の石をほとんどそのまま利用していたようです。 このほか、創建時の軒先の瓦の文様に独特の特徴があり、注目されています。 当時、国分寺は「国の華」といわれ、文化の拠点としてだけではなく、福祉や教育の 拠点としても賑わっていたようです。
平成十五年三月 山陽町教育委員会


アクセス
牟佐大塚古墳の道を直進すると、程なく山陽道の高架と交差します。
ここを左方向へ旧道にはいるとすぐ左手にあります。



ワンポイント
上の写真でおわかりのようにまだ発掘調査中のようです。 一部に瓦のようなものがのぞいていました。




概略図




近辺の地図は
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