虫明市内追悼碑 津島遺跡 吉備路概略図 独断と偏見の吉備路物語



福山城跡
ふくやまじょうあと


福山城

記念碑

福山城 福山城

写真左:清音、高梁川方面、写真右:倉敷方面


湊川決戦1週間前備中福山合戦
海抜三百二米のこの福山は往古、神奈備山、加佐米山、百射山とか言われたが、 山岳佛教が栄えた奈良平安期報恩大師が頂上に福山寺及び十二坊を建て伽藍が 全山に並び繁栄を極め福山と呼ばれるようになった。
後醍醐天皇念願の親政が復活したが建武中興に加わった足利尊氏が論功行賞に 忿懣を抱き天皇支持勢力の新田義貞、楠正成等と対立した。 この結果尊氏勢が九州へ敗走し軍勢を立て直して再び京都を目指し東上を開始した。
福山合戦はその途上の延元元年五月におこった。 足利直義十六日朝原峠より攻撃を開始したが城兵撃退す。 十七日四方より総攻撃をかけ城兵は石火矢、岩石落し、弓矢にて二万餘の死傷者を 出したが新手入り変わり立ち変わり遂に乱入され火をかけられて落城となった。
大井田氏經一千騎引連れ山下の直義の本陣になぐり込み奮戦したが、味方は百騎程になり 山上は火の海、氏經はこれまでと部下を集め三石の本陣に加わらんと一方切り破り逃れた  福山落城後直義は敗走する氏經を追い板倉より辛川まで十余度交戦を続け三石城へ逃れ去った。
直義は足利勢をここで休養させ首実験をして戦攻(管理人注)を賞した。 討首千三百五十三を数えたという。
現地案内板より

管理人注
戦攻は戦功か?
難しい漢字が多く、すべては漢字に直せていません。 間違っている部分があるかも知れません。お許し下さい。

山手村教育委員会が発行しているパンフレットにたいへん分りやすい説明が ありましたの、上と重複するかとは思いますが、ご紹介させていただきます。
福山城跡(国指定史跡)
小さな村での大きな戦さ・・・室町幕府が開かれる少し前(1336年) 京都の戦いで敗れた足利尊氏は九州に逃れ、勢力を盛り返しながら再び都を目指し、 瀬戸内海と山陽道にわかれて攻めのぼって来ます。
この時、後醍醐天皇方の新田義貞軍の武将大井田氏経は福山を占拠しその東上を阻む ためこの城にたて籠もります。
5月15日夕刻から3日間にわたって足利直義(尊氏の弟)の率いる30万の軍と、 福山を守る1500騎との間に激しい攻防がおこなわれています。 その戦いのようすは『太平記』の中に描かれています。 この福山合戦は、摂津湊川の戦いの前哨(しょう)戦ともいわれ、南朝方が足利勢の 前に容易に敗れたことが、その後の戦況の推移に大きな影響を与えることになりました。
標高302mの福山は、古代より山岳仏教の寺院(福山寺)があり、山頂部には平坦化された 寺域と礎石が見られます。 福山城はこの寺を改変して砦にしたために、にわかづくりの門の跡・土塁・井戸跡のほか、 寺院の古瓦片窯跡が残されています。
古代吉備の里
山手村の歴史散歩
山手村教育委員会
より引用させていただきました。



アクセス
県道清音真金線を国分寺より西へ。三輪山の南になります。
登山ルートは4ルートほどあるようです。
和霊神社までは車で行けるようです。この道が一番簡単かもしれません。
私は南から上る安養寺からのコースを登りましたが、あまりにも急な坂道が続きますので おすすめできません。



ワンポイント
標高300m程度の山ですが、このあたりでは高いほうです。選んだコースが悪かったのか、 大変苦労しました。
しかし、頂上から見た眺めはすばらしい景色でした。
もう一度、ルートを変えて登ってみたいと思っています。



近辺の地図は
こちらから

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