日近醫王谷遺跡群
ひぢかいいおうだにいせきぐん
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醫王谷古墳
墳丘は後世の開墾によってほとんど削りとたられていましたが、わずかに残されたて
いた盛土などから、直径13m程度の周溝をもつとみられる円墳と考えられます。
墳丘中央に築かれた横穴式石室も後世の開墾によって一部壊されていましたが、
残っている側石の範囲から、少なくとも全長8m、幅約1.8m、床面からの高さ
約2.1mの規模であったことが明らかになりました。この石室は古墳の所在する
日近地区の周辺では最大クラスの規模を誇ります。
石室内は盗掘を受けていましたが、お供えされていたとみられる須恵器の杯・
高杯・平瓶・甕・台付椀などの器類20点以上の他、鉄矛・鉄鏃・刀子・鉄釘・鎹
などの鉄器が出土しました。とりわけ、1点出土した装身具の銀環は醫王谷古墳
に葬られた人物の経済力をうかがわせる興味深い遺物です。
古墳が築かれたのは須恵器の形から、6世紀後半と考えられ、7世紀初めまで
何度か追葬されたようです。
醫王谷古墳の周りからは製鉄の際に捨てられる多量の製鉄炉の炉壁や鉄滓が
出土しました。製鉄が行われたのは古墳時代後期以降と考えられます。
また、日近川沿いには平地が少ないため、広い水田があったとは考えられません。
したがって、醫王谷古墳に葬られた人は水田経営だけでなく、鉄生産者をも
支配していた当地域における有力者の一族であったのでしょう。
日近醫王谷遺跡群発掘調査現地説明会資料
岡山市教育委員会
平成17年11月26日(土)
以上現地説明会で配布された説明資料のなかから抜粋させていただきました。
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アクセス
調査が終了しましたので、これからは埋め立て作業に入るということでした。
石室だけは残すようですが、当面は見学できないと思います。
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ワンポイント
今回の現地説明会に参加して印象的だったのは、銀環と製鉄です。
銀環というのはイアリングで対になっているはずですが、片方だけが出土しております。
詳しく分析してみなければ分かりませんが、お話をうかがうとどうもメッキのようです。
また製鉄の跡があるということは、かなり文化・技術が進んでいたと思われます。
岡山市街から車で1時間以内という少し離れたところにありますが、製鉄という技術で
富を築いたのかもしれません。また、近くの方にうかがいますとこの近辺にはたくさんの
古墳があるということでした。少し山沿いのこの近くでは製鉄が、そして平野部では
農耕が盛んに行われ吉備国が大きく発展したのでしょうか?
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