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吉備の中山写真集(3) |
吉備の中山の東の麓でこんなものを見つけました。どうやら二面石仏のようですが、地元の方に伺いますと「さいのかみさま」だということですが、 それ以上詳しいいわれなどはわかりません。 「さい」とはどう書くのでしょうか?仏教に関係のある言葉なら「賽の河原」を思い出します。 もしこの賽ならば多分三途の川のことでしょうから、無事三途の川を渡らせてくださいという 願いで建立されたのかもしれません。また近くの方に伺いますと昔は藁草履をお供えしていた ということですから、なんとなくその意味もわかるような気がします。
ダイボーの足跡と呼ばれているところです。浅い池のようなものですが、水はありません。 なぜこの池が有名なのかよくわかりませんが、どうも自然にできたものでは なさそうです。 古代の人が何らかの意図でこの池を掘ったのでしょうか? ここは吉備の中山のほぼ山頂ですから、下から水を運んでくるのは容易では ありません。 ということはこの池は雨水がたまって池になる、雨水をためるためのものだったので しょうか? ここに水を蓄えてなにかの神事をしたのでしょうか? 昔から有名なところらしいので、何かをしたということだけは言えるようですが、 何のためにこのようなものが掘られたのかははっきりしていないようです。
有木神社です。何回もここにきて探していましたが、地元の方にお聞きしてやっとわかりました。 はなぐり塚の奥にある、この小さな祠が有木神社だそうです。何も書かれていませんので わかりませんでした。 もう一つ有木についてお聞きしました。有木という字はないそうです。有木とはこの前の ページに出てきます、有木山青蓮寺からきた山号だそうです。 大納言藤原成親は有木の別所に流されたというこですが、別所とは何でしょうか? さっそく調べてみました。例によって三省堂の大辞林によりますと 「本寺の周辺にあり、修行者が草庵などを建てて集まっている地域」とあります。 ということは、本寺は有木山青蓮寺でしょうが別所とはどこでしょうか?このあたりにお寺らしい ところといえば、少し遠くなりますが八徳寺しかありません。成親一行は八徳寺で生活 していたのでしょうか?そういえば前から不思議に思っていたんですが、八徳寺は小さなお寺です。 何人もの人が生活できるような、建物ではありません。もちろん当時は大きかったのかも しれませんが、地形から考えてもそんなに大きなスペースはありません。そうなると「草庵」 という言葉がピッタリとするのですが? もうひとつ前のページの正法寺で、もしかしたら成親はここに着いたのではないか? とありましたが、もし八徳寺が行き先ならばもっとも近いコースになります。
新宮を見つけました。前の新宮は移転する前の、もと新宮があったところですが新しく祭られたところは 吉備津神社にありました。 長い回廊の突き当たりに本宮、御崎神社などと一緒に祭られていました。 新宮は備中吉備津宮の摂社になるようですが、末社とはどう違うのでしょうか? さっそく調べてみました。 三省堂大辞林によりますと摂社とは「本社に付属し、その祭神と縁故の深い神をまつった神社。 本社と末社の間に位する」とあります。また末社については「本社に付属する小さな神社。 摂社に次ぐ格式をもつもの」とあります。 本社、摂社、末社の順位付けがされているようですが、摂社、末社とも本社と同じ名前では ありません。それぞれ独立した神社ですが、そのかかわりあいの深さによって格付けが 決まっているようです。
新宮社跡です。何回も行ったのですが、結局いい写真が撮れなくて申し訳ありません。 碑には「吉備武彦命鎮座跡地」と彫られています。右の写真の奥の碑です。 新宮社については、もう少し調べてからご報告をいたします。 ここでは、左の写真の岩について調べてみました。 岩には「影向石」と彫られています。 三省堂「大辞林」によりますと「ようごういし」と読み、神が降臨する際に御座(みくら) とするといわれている石 とあります。つまり古代の人はここで神をお迎えしたということになります。 吉備の中山には、このような大きな岩がいくつもありますが、こんな麓には数個しかないと思います。 吉備中山写真集はここまでです。まだまだ忘れているところがありそうですが、今回はここまでと させていただきます。 ご覧いただきましてありがとうございました。 |