鬼ノ城
きのじょう

鬼の城展望台

西門からの展望



鬼の城
下から見た鬼ノ城です。


鬼の城案内
入り口に掲示されている案内図です。


国指定史跡
鬼城山(きのじょうざん)(鬼ノ城)

鬼ノ城は、およそ1300年ほど前に築かれた壮大で堅固な古代山城跡です。
吉備高原の南端に位置しており、眼下の平野には官衙(かんが)(役所)、寺院などが 建ち並び、古代の山陽道が東西に走り、吉備の津(港)から瀬戸内への海上交通も至便 であるなど、政治、経済、軍事、交通上の要衝の背後地にあたります。

城跡は、急峻な斜面と平坦な頂部をもち、遠く四国までも望見できる眺望絶佳な鬼城山 (標高400m)を最高所とし、八合目から九合目にかけて城壁が鉢巻を締めたように 約2.8Kmにわたって巡っています。
城壁は、平均幅約7m、高さは約6mと推定されていますが、大部分が土壁のため流失しており、 高く積まれた石垣のみが残っています。

城壁は、谷部では排水のため強固な水門を五ヶ所に築いており、また四ヶ所に城門を設けて います。
このうち三ヶ所の城門(東・西・南門)が発掘調査され、構造と規模の概要が判明し、 また角楼という特殊な遺構も見つかりました。 城内は、およそ30haという広大なもので、これまでに五棟の礎石総柱建物跡、溜井 (水汲場)、狼煙場(のろしば)、土取り場もみつかっており、今後の調査でさらに 新たな発見が期待されます。

鬼ノ城の築城目的や時期については、諸説がありますが、百済(くだら)軍救援のため 出兵した白村江(はくそんこう)(はくすきのえ)の海戦(西暦663年)において大敗し、 唐・新羅連合軍の日本侵攻をおそれ、急拠西日本各地に築城したものの一つとの考えが 有力視されています。

総社市教育委員会


ご参考までに(現地パンフレットから)
水門跡
城内に四つの谷があるため、谷水の処理が必要であり、六ヶ所に水門が設けられている。 水門は、外面の下部を石垣積み、上部は版築工法による土積みで、背面は石垣積みである。 通水溝は石垣最上部につくられており、これは他の古代山城にみられない鬼ノ城の水門の 特徴である。 第四水門の通水溝は欠失しているが、これは谷が大きく水量が多いため壊れたものである。

敷石
板状の石を敷き詰めて通路状としたもので、城壁に沿って内側と外側の両方にある。 幅1.5mで通路というよりも、城壁が流水によって壊されることを防ぐための施設である らしい。なお敷石は、日本の古代山城では鬼ノ城にしかみられない。


こちらもご参照ください。
鬼ノ城


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