サバヒーを味わってみませんか!?
あなたはバンデン(Bandeng)を知っていますか?知らない!やはり!在インドネシア邦人に聞いてBandengを知っているという答えはまず返ってきません。学名Chanos chanos、標準和名サバヒー、英名だとMilkfish、いくら名前を並べても知らないものは知らないと言われるのが落ちでしょうね。私の住んでいるバリ島ではインドネシア人の中にも、この魚を知らない人の方が多いのですから。そう、 Bandengは魚なのです。それも、みなさんの目にとまるとしたら、それは殆ど、海岸にある素堀池(Tambak)で養殖された魚なのです。養殖魚である故に、熱帯の魚にしては珍しく脂ののったおいしい魚なのです。前口上はこのくらいにして、私が愛してやまないIkan Bandengについての雑学を披露してみようと思います。
不思議なことに、サバヒーを食用としている国には島嶼国が多いのです。サバヒー養殖の三大国というと、台湾・フィリピンそしてインドネシアが挙げられます。これらは全て島嶼国です。これ以外の国でサバヒーを食用または珍重している国にはパラオ・キリバシ・ナウル・フィージー・トンガなどの南太平洋諸国とマダガスカルがあります。いずれも島嶼国です。インド・メキシコなどの大陸の一部をなす国や中東のカタールでも食用にしているらしいのですが、三大養殖国に隣接する中国・ベトナム・タイ・マレイシアでは殆ど食べないようです。再び名前の話になって恐縮ですが、サバヒーにBandeng(インドネシア)、Bangos (フィリピン)、Vangos (マダガスカル)と似たような名前をつけているのは、いずれもマレー系の人々の住む国です。サバヒーをAwa(メキシコとフィリピン)・Ava(タヒチやトンガ)と呼ぶ国々はスペインに迷惑を被った国です。ちなみに西欧人が初めてサバヒーに学名をつけたのはペルシャ湾で採れた標本がもとになっています。サバヒーはどうして英名ではMilkfishと言うのかと、よく聞かれますが、納得のいく説明は私には出来ません。ただ、サバヒーの体側から腹部にかけては乳白色をしていますし、インドでのサバヒーの呼び名(今、思い出せません。ヒンドゥー語?)はミルクのような色をした魚だと言う意味だとインド人から聞いた覚えがあります。
どのようにして調理して食べればよいのか?これもよく聞かれる質問です。台湾ではサバヒーは庶民の食卓の常連でした。そのお粥はポピュラーなメニューで、大変おいしかったのを覚えています。以前住んでいたフィリピンでも、国中何処へ行ってもサバヒーの料理を食べることが出来ました。マニラにはサバヒー料理の専門店さえありました。いわゆるNational Fishとして全国民に愛されている魚です。私が好きだったのはレルリエノンと言う料理です。少し大きめ(1尾400g程度)のサバヒーの皮を残して中身を全て取り出し、身をほぐして、細かく切った野菜や香辛料と一緒に炒める。これを再び先ほどの抜け殻の中に詰め込んで軽く炒めたものです。このほかにもサバヒー入りのシニガン・スープ(野菜を煮込んだ酸味のある料理)も私の好物でした。ところでインドネシアではどのようにしてサバヒーを食べているのでしょうか?これがどうもはっきりしないのです。前述の2カ国では、国中何処へ行っても食堂のメニューにサバヒー料理を見つけることが出来ました。ところが、インドネシアではサバヒー養殖の中心地である東ジャワにおいてさえ、サバヒーを供する食堂を探すのに苦労したのです。やっと、Gresikというスラバヤの隣町で一つだけ見つけることが出来ました。それくらい、東ジャワでは表に出てこない魚なのです。ところが地元の市場では結構売られています。デンパサールのスーパーHEROでも鮮魚売場にいつも並んでいます。一般に市場で売られているサバヒーは3尾で1s程度の大きさで、それがRp.3,000-4,000位で買えます。どうも一般家庭では単純に焼いたり(Bandeng Bakar)、炒めたり(Bandeng Goreng)して食べられているようです。実際、魚をよく食べるスラウェシではIkan Bakar(焼き魚)として何処でも、いつでも食べることができました。
インドネシアが他の2国と違うのは、加工品がよく出回っていることです。台湾・フィリピンでは、サバヒーの加工品と言えば薫製と缶詰(これはインドネシアでは見かけません)くらいです。Bandeng Presto(圧力釜で調理)、 Bandeng Otak-otak(フィリピンのデルリエノンに似ている)、Bandeng Pepes(香辛料を詰めて蒸したもの)、Bandeng Asep(薫製)など様々な加工品がインドネシアでは売られています。1994年9月4日付の新聞KOMPASに掲載されていた広告では、Bandeng Otak-otakとかBandeng PepesはRp.12,000/kgとなっていました。田舎の市場で買うときの4倍の値段です。これらの加工品はジャワ島の幹線道路沿いにあるドライブインでは、みやげ物として売られています。中にはサバヒーだけの特設コーナーを設けているところまであります。
インドネシアはサバヒー養殖発祥の地と言われています。東ジャワにマドゥラ(Madura)というところがあります。昔、この地方には囚人が送り込まれ、塩田での労働に従事していたそうです。ジャワ島の塩田は、簡単に言うと、海岸の湿地帯に浅い池を作り、この中に海水を引いて蒸発により濃い塩水を作ります。この濃塩水をさらに天日蒸発させたり、煮詰めたりして塩を作っていたようです。この浅い池の中で自然に育っていた魚を、囚人たちは採って食べていたということです。つまり、池があり、そこに海水が入る。海水と一緒に入ってきて勝手に育っていた魚がサバヒーだったのです。ろくに食べ物のない土地に流されてきた人たちにとって、魚を簡単に手に入れることが出来るのはすばらしいことでした。人々は池の構造を改良しました。自然に入ってきたサバヒーやボラの稚魚が池の中にとどまって育つようにしました。これがインドネシア古来の養殖の始まりだったというお話があるのです。このお話は、シュスターという宗主国オランダの学者が調べたものです。シュスターさんはインドネシアのサバヒー養殖について様々な側面からいろいろなことを調べています。ヒンドゥー教の国にイスラム教が広まった頃にまで遡って、その法典を調べています。14世紀頃の古い法典の中に、池で育てている魚を盗むことに対する罰則があるのを見つけています。このほかにも20世紀はじめ頃のサバヒー養殖の様子をよく調べています。ですから、1980年代に入る頃までは、シュスターさんが書いたことをみんな信じていました。ところがサバヒーの生態については、よく調べてみると、「ちょっと待てよ、少し違っているところもあるようだよ」ということになってきました。実は、野生のサバヒーの生態を調べることが、私のフィリピンでの仕事だったのですが、これがきっかけでサバヒーおたくになってしまいました。
時が経つにつれて、先ほどの棚からぼた餅のような養殖のやり方が少しずつ変わってきます。まず池を改良して水の出入りを制御するようになります。そうすることで勝手に出入りしていた魚の子どもたちの種類を選ぶようになります。つまりサバヒーの子どもだけを海岸で集めて池に放すようになるのです。ここから先の養殖技術の発展は遅々として進んでいません。サバヒー養殖の歴史に本当に新しい頁が加わるのは、台湾が日本の統治下に入ってからです。台湾殖産局の日本人技師さん達がすばらしい業績を残しています。このころからサバヒー養殖に水田稲作の応用と思われる技術が多くとり入れられています。施肥・耕運・害魚駆除(害虫駆除ではない)というような作業の導入です。戦前の段階で、台湾では年間1ha当たり1,000kgの収穫を上げていたようです。1980年代のフィリピンでの平均が700-800kg、インドネシアでは400-500kg程だったことを考えると、当時の台湾の技術がすばらしかったことがうかがえます。1990年頃のサバヒーの年間養殖生産量は、台湾で9万トン、フィリピンで21万トン、インドネシアでは12万トンほどでした。当時の日本の魚類養殖生産量は25万トンで、最も多く養殖されていたブリ(ハマチ)が16万トン、マダイが5万トンでしたから、サバヒーの養殖生産量の大きさを納得していただけると思います。
今日、フィリピンでは年間2,000kg/ha、台湾では5,000-10,000kg/haの収穫が可能になっています。これはモジュラー・メソッドと呼ばれる伝統的な浅池施肥養殖法の改良型の導入、台湾では深池高密度給餌養殖の導入が寄与していますが、その詳細についてはここでは言及を控えます。前者は太陽光と潮の干満を効率的に活用した自然との共存型養殖の極致ですが、後者は電動水車を池に浮かべて水をかき回して酸素を供給し、配合飼料を与えて育てるという資源消費型の養殖です。インドネシアの養殖技術は、これら2カ国のそれからはかなり遅れています。しかし、自然共存型の養殖の枠からはみ出さないで、現在のような自然に優しい養殖が続くことを私は願っています。経済発展の著しい現在、無理な希望かもしれませんが。
ところで、みなさんはバソッ(Basok)をご存じだと思います。屋台で売っている肉団子入りのスープです。私の好物の一つです。これには魚のすり身を用いたものもあります。最近の台湾では、魚のすり身を用いた加工食品の7割はサバヒーを原料にしているそうです。他の魚介類の値段が上がったこともあるのでしょうが、年間通して安定供給されることも加工業者にとっては魅力なのでしょう。1970年代の後半に日本のすり身業者がサバヒーをすり身の原料に出来ないかとフィリピンに調査に来たことがありました。そのときは採算性の問題であきらめたようです。下関水産大学校の水産加工の先生の研究報告にはサバヒーのすり身原料としての適格性について述べてあります。今に、日本の蒲鉾や竹輪もミルクフィッシュから作られる日がくるかもしれないと思うと、サバヒーおたくの私としては、なにか奇妙な気持ちになります。
サバヒーの消費は思わぬところにも広がっています。カツオやマグロを釣るのにもサバヒーを使うようになったのです。1970年代から1980年代にかけて、南太平洋の島嶼国ではサバヒーをカツオ一本釣りの餌に使う調査が行われました。その後も一部ではサバヒーを使ってカツオを獲っていたようですが、詳しいことは手元に資料がありませんので控えさせてもらいます。さて、バリ島の中心地デンパサールの海の玄関口はベノア(Benoa)です。ここには数百隻の小型マグロ延縄漁船が出入りしています。獲れたマグロをデンパサールの空港から日本に空輸しているのです。このマグロ漁の餌として15-18cmの小さな生きたサバヒーが用いられているのです。種苗を池に入れてから2カ月ほどたったものです。ベノア港で積み出されるサバヒーは毎月50-100万尾にも上っています。東ジャワからは1尾200g程のサバヒーが冷凍物として、年間2,600トン(1993年)日本に輸出されています。大型のマグロ延縄漁船が餌として用いているのです。
サバヒーについては、みなさんに知っていただきたいことがまだまだあるのですが、今回はこの程度にとどめておきます。サバヒーをまだ味わったことのない方は是非一度試してみて下さい。インドネシアの人々が数百年にわたって養殖し食べてきた魚です。