心の迷路
苦しいとき、のぞいてください。
迷路の中の、私のつぶやき。
ひとりだけじゃないよ。
なぜ私が…
なぜこんな目にあわないといけないの。
今まで何をしたって言うの。
一生懸命やってきた。
まじめに生きてきた。
なのに、どうしてこんなに苦しまなくてはならないの。
それは全部自分を中心に考えてるから。不登校を否定してるから。
なるべくしてなった…今はそう思える。
自分の意見をはっきり言おう、いやなものはいやと言おう、
そう子育てしたきたもの。
まず私が…
子どもよりなによりおかあさんが元気にならなければと、アドバイス。
最初は私は子どもの前で泣いていた。
話ながらポロポロ泣いていた。
落ち込んで、暗い顔してた。
学校へ行かなくていいよといいつつ、私のすべては行ってほしいと表現していた。
ぼくのせいでおかあさんを苦しめてる、と子どもにはみえる。
ちょっとだけ無理して、元気な顔してたほうがいい。
私が元気でないかぎり、子どもも元気にはなれないもの。
でも、泣けるところでいっぱい泣こう。
グチれるところで、いっぱい言おう。
それがないと、つぶれてしまう。
私のせい…
息子がこうなったのは私のせい?
こんな思いからなかなかのがれられない。
どこかで自分を責めつづけている。
別居、離婚、そのあともいろいろあったから。
だから、よけいに自分をせめる。
「母子家庭の子には問題が多いんだから」
と露骨に言われたこともある。
でも、今はそう思わない。
未熟な母親だったけれど、一生懸命生きてきたのだから。
みんなが、そう認めてくれたから。
元気?
道で息子の友達のおかあさんに会うのがとてもいやだった。
〇〇くん、元気?
なんて聞かれると、つらいなあ。
学校へいかないことを聞かれると、もっと苦しい。
心配してるのよって言ってくれる。
それはよくわかるの。
でも、それが苦しい。
まだまだ人に話せない。
誰かむこうから来ると、避けていた。
避けられないときはしかたない。
元気、元気、私も元気、といつもより明るくふるまってしまう。
そしてすぐ話題をかえて、早々に別れる。
別れたとたん、涙がでた。
学校に行かないけれど…
学校には行かないけれど、勉強はしてるとか、
学校にはいかないけれど、毎日こんなことしてるよて。
こんなこととは、親のとっていいと思われること。
勉強とか、スポーツとか、趣味とか、家の手伝いとか。
決してテレビ、ゲーム、マンガでない。
私も、学校へいかない息子が料理をしてたりしてると、安心してた。
全部、自分の安心のため。
テレビを前に
親の会でこんな話がでた。
夫がすぐに不登校の息子に対して、「またバカ番組みて」というと。
バカ番組ってなんだろうって話になった。
お笑い番組?お笑いでも、息抜きになっていいことあるよって声。
ほんとは違うんだ。
学校へいって、宿題もすませてテレビをみてたら、
どんなにバカ番組でも何もいわないに違いない。
学校にいかないことを言ってるんだ、きっと。
わがまま
息子には波がある。
わがままの波が押し寄せてきたときは、こちらも消耗してしまう。
あれしたい、これしたいといいつつ、
できないときは全部おかあさんのせい。
いいがかりとしか思えないことを言ってくる。
わがまま虫がおさまらないんだよね。
そんなときは嵐をやりすごす。
わがままって、本人が一番わかってるんだから。
思春期
息子のわがまま虫にいらいらしてたころ、
掲示板によくそんな話を書いた。
ほんとにひどかったもの。
心の行き場がないんだねとはわかっていたけれど、
私のほうはたまらない。
そのとき、誰かが言ってくれた。
それは不登校だからではないんだって。
思春期の子はみんな、そんなだよって。
不登校の問題と、思春期の問題は、別なんだよって。
ああそうかって、気持ちがらくになった。
ありのまま
ありのままの子どもを受け入れる、
そして、見守って待つ、
結局、こうなんだなあって長い時間をかけてわかった。
学校はそうではない。
ありのままの子どもでは迷惑、規格にあてはまる子をめざす。
見守って待つということはなく、できない子は切り捨てられる。
家庭が学校と同じでは、学校に傷ついた子の居場所はない。
せめて家庭ではありのままの子を受け入れてあげたい。
受け入れる、見守って待つ、
言葉では簡単だけれど、とてもむずかしい。
どうしてもいいたくなるものね。
考えない子
親が言うのは簡単。
それに子どもがすなおに従えば、もっと簡単。
しかし、あれもこれも言ってしまうのは、考えない子をつくってしまうこと。
言わなければ、子どもは考える。
考えて答をだす。
自分で決めたことは、誰のせいにもならない。
親はわかるんだよ。
ころばないようにこうしたらいいってね。
でも、ころぶことも必要かもしれない。
起き上がる方法を自分で考えるから。
大きくなって自分で起き上がれない子にはしたくないもの。
骨折
不登校は骨折と同じよってこれも、誰かが言っていた。
骨折してる子に、無理に歩けっていわないよ。
直るまでギブスをしてる。
そのギブスのときに、早くなんとかしなくてはと、
無理矢理歩かせれば、複雑骨折になってしまう。
骨折がきちんと、直るまで、そっとしておくもの。
ちゃんと直ったらリハビリして、そしてまた元気に動けるのだから。
道はまだ遠い?
つらいのは先がみえないこと。
この道はどこまで続くの?
学校へ行ったかと思うとまた行けなくなったり、
元気になったかと思うと、元気がなくなったり。
ある程度、元気になってきても、それからがなかなか動けない。
いったいいつになったら、次の一歩がと思い、
それをみているのもまたつらい。
そんな私に「これはらせん階段だよ」って言ってくれた人がいる。
らせん階段は上からみたら、ぐるぐると同じところにいるようにみえるけれど、
横からみたら確実に上にあがってるって。
そうか、らせん階段かあ。
不登校してよかった?
もし息子が不登校しなかったら、
私は大事なことに気がつかなかった。
人間として一番大切なことに。
そしてこんなにたくさんの人たちとの出会いはなかった。
他にもたくさん、学び、たくさん感じた。
1年とちょっとの間に、コップにあるれるくらいのものを。
不登校してよかった?
そんなふうにいう人もいる。
でも、私にはどうしてもそう言えない。
こんなに苦しまずに、それで一生すぎていくなら、そのほうがいいのかな。
たとえ、気がつかないままにすぎても、それで差し支えないのなら…
そんなこともふっと思う。
きっと、よかった、悪かったの問題でないのだね。
現実を受け止め、ただ一生懸命やっていくだけ。
息子の不登校が私の現実だもの。
そこから生きていくだけ。