
|
今年の全国合宿は、小沢牧子さんの話が聞けると勇んで名古屋に出かけました。今回の会場は蒲郡市三谷町で、一人旅気分満喫と2日間日帰り参加にし、宿も自前で下調べをして行ったのですが、地名は難しいですネエー。三谷を「みたに」と勝手に思い込んでいたために、三谷駅に着いて人が大勢降りるのを不思議と思いながら、次の蒲郡に乗り越してしまいました。なんとホームには「みや」とひらがなで書かれてあったのです。長い前置きはこれくらいで・・・ 小沢さんのお話はドイツの教育の体験談から始まりました。ドイツの学校では、10歳までは競争や能力主義から子どもを守るという鉄則があり、学校の中に評価を持ち込まないということです。教科についても担任が教科書を選び、クラスの実態に即して授業が行われています。たとえば、数字の「2」という概念にしても、2ヶ月もかけて考えさせ、急がない。小学校〜高校まで、授業もお昼で終わるというお話は、日本の教育の現場と雲泥の差で、ウーンとうなってしまいました。 次に、心の専門家についてのお話がありました。(註・心の専門家は、河合隼雄が言い出した)日本の社会では、競争・能力・効率がはびこっているから、和らげるために心の専門家がいるようになっているのです。いわゆる「心の専門家」は、人がどう生き、考え、行動するかに関り、優しくなぐさめ、サービスをし、心のケアーをする専門家である。心理学とは、社会がどうあるべきか人がどうあるべきかという思想を持たない学問であり、長いものに巻かれ、適応するのを善とする学問なのである。現実を変える提案をすることはありません。マグナイト著「専門家自体の幻想」では、『専門家は愛という仮面の元になぐさめ、優しく接するために仮面をかぶっていることに自分自身が気づかなくなっていく』と言っています。カウンセリングの問題点やカウンセラー自体の問題点を次々にあげ、国の政策との関わりの中で、くわしく説いてくれました。 1985年には、河合隼雄がカウンセラーの必要性を説き、スクールカウンセラーや家庭カウンセラーなどのキャリアカウンセラーの育成が花形産業になりました。国家政策と専門家集団が結びついたのがこの頃からで、激化する個人競争の中で、エリートと一般階層との格差の怨念を処理するためにカウンセリングが利用され、不平等な社会の問題を家庭の問題へ閉じ込めていくことがなされたのです。この内容の話は、以前山口精神保健センターの西村さんの「戦争に加担した心理学」のお話を聞いたときの気持ちを彷彿とさせるものでした。 ![]() 夕食休憩には、チャッカリ隣の旅館で水平線に沈む夕日を見ながら温泉にひたり、夜の部にのぞみました。夜の部も、またまたカウンセリングの話になりました。 カウンセラーとは友達関係になれない。カウンセリングでいわゆる『人間関係』とは、波風を立てないことであり、「私(小沢牧子さん)から言えば、イヤな人から遠ざかることも人間関係ではないか」との説に、そうだ!!不登校の子供たちが学校から距離を置くのもしかり、と妙に納得しました。 2日目は、宿泊の場所からタクシーで会場へ。玄関先で、帰路の小沢さんが待ってましたとばかりに、私の降りたタクシーに乗り込む姿を見送り分科会へ。午前中は「ひきこもり」の分科会に参加しました。 就労拒否から引きこもり説が出て、社会問題となりました。精神科医の斉藤環が、社会的引きこもりは治療の対象と唱えたが、果たしてそうなのか議論が沸騰しました。 生きていること自体、社会や人とつながっている事になっているではないか。引き出し屋に絶対預けて欲しくないなど、当事者からの声はビシビシと胸にひびきました。 午後からの講演『ライフステージとしての「ひきこもり」=ひきこもりを恐れず』の高岡さんの口調は、座頭市(北野武監督)さながら私の迷いをバッタバッタと切り捨てるような軽快なタッチでした。小さいひきこもりは、子どもでも大人でも必要である。ひきこもった場合、周りの大人が悪いことさえしなければ必ず良くなる。(子供の例)人間関係を断ち切って、自分を見つめなおすことができた場合ひきこもりと言う。ひきこもりの価値をどう認めてやるかが必要ということでした。 ひきこもりが社会に貢献していないということは決してない。経済的に言えば、働くことより消費することの方がずっと経済効果が高い、という話には思わず吹き出してしまいました。脳裏をよぎるフリーターの息子のことも、ブッとんでしまった2日間でした。 |