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「思い起こせば…」というタイトルで、今までの子どもとの事を、少しづつ書いていきたと思います。 現在成人になる息子が、小学校5年生の6月頃から、学校に行き渋るようになりました。朝布団をひっぱがすと、くの字になって、眉間に3本の筋が寄っていました。これが、息子との長いつきあいにあるとは… 思い起こせば、”あのときはこういう意味だったのか”と思うのですが、その当時は「我が子がなぜ?」と思う不安が先にたつばかりで、そんな余裕もありませんでした。 学校に行かせるには、担任に頼んで迎えに来てもらい、きっかけを作ればよいのでは、と思ったのが間違いでした。かえって息子を追い詰める結果になってしまいました。体も心も、学校に対してNO!サインを発しているのに、その状態を認められないのが学校の姿勢でし。また、親も同じ意識だったのです。 息子はムリにひっぱりだされて、色々な症状が出てしまいました。耳の横に10円玉位の脱毛ができ、頻繁に手を洗うようになりました。また、風邪を引けば理由が立つと思ったのでしょう、真冬もシャツ1枚で過ごすようになり、部屋の窓もいつも開けていました。本人の願いとは裏腹に、風邪も引かない丈夫な体になってしまったのは皮肉としかいいようがありません… 学校に子どもの状態をありのまま説明すれば理解してもらえる、と思ったのも間違いでした。学校に来られないということは、忍耐がないとか、親が甘やかしているという判断でしかありませんでした。 今は不登校の子ども達も13万6千人を突破して、家にいることが認めてもらえる例も多くでてきていますが、当時10年前は、そんな甘い親の姿勢ではと、校長室で一喝される次第でした。 息子を守るため… 卒業をなんとかさせたい… 親が努力する姿を学校側に見せなければ道はない、と教育センター通いをしましたが、これまたまた間違ってしまったと思います。親子共々、家族歴だの養育状況だの、心理テストだと受ける結果になってしまいました。 小学校の時はまだカウンセラーが遊び中心で、屋上でサッカーをしていつも帰ってきていましたが、中学になると、生活規律でのリズムを整えようと、色々制約がでるようになりました。 当時昼夜逆転をしていた息子はとても実行できるようなものではありませんでした。昼夜逆転は怠惰なように言われているのですが…ちゃんと理由があって、学校のある昼間のプレッシャーを避けるには、逆転せざるを得なかったのです。 中学3年生になる頃には、いっそう、俗に”強迫神経症”と言われた手洗いがひどくなりました。同じセンター(松風学級)に通う子ども達と、進路の点でとり残されたように感じたからだと思います。
中学校卒業後は、新設されたばかりの青松高校の通信科に入学しました。それも5月で行けなくなってしまいました。それから1年半、時が止まったように家にこもりましたが、この時がやっと、本人にとってもゆっくり休めた時期ではなかったかと思います。 私もこの頃では、疲れて、もう一喜一憂はしないとあきらめムードであったのが、息子にとっても気が楽になったのかもしれません。まだまだ立花高校に入ってはやめ、また青松高校に葉入り直している息子ですが、親が良かれと思ってやってきたことが、本当は本人を追い詰めていたと思い知るのは、ずーっと後になってからの事です。 子どものことで親はパニックになってしまいます。冷静になってきたのは、一生子どもと付き合おうと腹が決まったからです。成人しても家にこもったらどうしよう、仕事もなかったらどうしようなど、本人と顔を合わせる度に心配事が浮かんでくるのをどうしようもなかったからです。 見栄や世間体を自分の中で解決し、子どもに人生をまかせよう… こう納得すると、逆に羽根が生えた様に自由になりました。私自身も人生の折り返し地点にいます。子ども達はこれから、色々な生き方をする。子どもが助けを求めたら、いつも横にいる存在に私がなればいいという思いです。 ところで当の本人ですが、今流行のパラサイトと決め込んで、のんびりのんびり〜やっています。 |