親育ち・子育ち

第1回 息子の不登校から


子どもは育てるものではなくて、育っていくもの、そして、親も子どもとともに育っていくもの。親が子どもにできることは、困ったときに助けてあげること、傷ついて戻ってきた子をいつでも受け入れてあげること、子どもが安心できる家にすること・・・

最近、そう思うようになってきた。「子育て」ということばが使えなくなってきた。親は最初から親ではなく、親に育っていくものだと実感している。反対にいうと、
「未熟な親でいいんだよ。子どもとともに育っていけばいいんだよ」
と、ほんとに未熟な親である自分自身に、言い聞かせているのかもしれない。
それもこれも、息子の不登校体験からだった。

右に行く道と左に行く道がある。親としては右に行く道がいいと思った。そして、子どもも親のいうとおり、右の道を歩いていた。そんな時代が、息子の小学校時代だったと思う。

息子は小さいときから、とても元気のいい子だった。とにかくからだを動かす遊びやスポーツが好きで、友達も多くて、外で走り回っていた。勉強は得意ではなかったけれど、野球チームに入って、1日も休まず、練習熱心だった。「勉強はまあまあだけれど、スポーツがんばっているからいいな」と、私の自分の中にある「あるべき子ども像」にあてはめて満足していたのだろうと思う。同じ右の道を歩いてくれているからよかったのだろう。

心配がなかったことはない。息子の性格はわかっているから、中学校へ入って、規則にしばられる生活になじめるかなあという心配はあった。

しかし、中学校に入学した息子は、陸上部にも入り、元気に学校へ通っていたので、私は特別何も考えることなくすごしていた。今思うと、息子はしんどかったのだろう。

中学1年生の頃。朝はいつも起きてくる。しかし、朝食後必ず、もう一度布団に入って、なかなか出てこない。ぎりぎりの時間になってやっと出てきて、着替えていくという毎日が続いていた。
そして2年生になる。きっかけは担任の体罰だったけれど、五月雨登校ののち、ほとんど学校へ行けなくなってしまった。中学2年生の2学期からである。

ひきこもるというわけでもなかった。1週間ずっと家にいたこともあるけれど、夕方は友達と会ったりしていた。学校の話になると、「あしたは行くよ」と必ず言った。でもそのあしたになると学校へ行けない。
私は「行かなくていいよ」
と言いながら、ほんとは行ってほしかったのだと思う。試験だけはうけたほうがいいのではないかと、試験勉強をさせたりしたこともあった。「学校へ行かない」ということを心から受け入れることができなかったのだと思う。あんなに明るい元気な子がどうして学校へ行けないのか、そればかり思っていたかもしれない。出ることのできない迷路の中に入りこんだような気持ちだった。学校にも相談にいったし、私自身カウンセリングも受けた。

左の道を選んだ息子を認めるのに、私自身の時間がかかってしまった。息子は左の道しか歩けないのに、右の道に戻そうとしていたのだと思う。その結果、息子をゆっくり休ませてあげることができなかったなあと、今では思う。

確かに、学校に行かないことを受けとめるには時間がかかる。でも、子どもはもっともっと苦しいのだよということを、今、渦中の親にはわかってほしい。

子どもをかえるのではなく、親がどう切りかわるか、それまでの自分の価値観をかえるか、子どもの視点にたてるかということではないだろうか。

息子は2番目の子。6歳年上の娘がいる。娘を育ててきたと思っていた。しかし、息子の不登校で、私ははじめて「親ってなんだ?」と考えさせられた。悩んで迷って、今、少しだけ「親」になってきたような気がする。息子の不登校ではじめて「親」になれたのかもしれないなあ。

※今でも時々、「やめられるものなら母親をやめてしまいたい」と思う私のつぶやきに、あと数回おつきあいくださいね。