親育ち・子育ち

第3回 もうひとつの言えなかったこと


息子が「学校へ行かないこと」には、ほんとうに悩みました。はじめは「学校へ行かない」ということを認められなかったからです。

そして、息子が不登校になったのは「私のせい?」ということでも悩みました。しかし、それと同じくらい、いえ、それ以上にもっと悩んだことがありました。やはり、人にはなかなか言えないことでした。

息子は学校に行かなくなって、ひきこもるということではありませんでした。1週間ずっと家からでなかったときもあります。そういうときもあったけれど、いつもは、外へでることができました。友達とはよく会っていましたし、夕方や日曜日にあそびにいくことも多かったのです。

学校へは行かないけれど、友達も多くて、つきあっていけるということは、いいことに違いありません。しかし、外へふらふらと出て行くということが、私の悩みの種になりました。不登校と同時に、「問題行動」と言われる行動が目につくようになったからです。最初は「たばこ」でした。

私は息子の友達がうちに集まって、たばこを吸っているなんて、思いもしませんでした。昼間は仕事でいないし、まったくわかりませんでした。気がついたのは、ひっこしのときでした。ひっこしの片付けのときに、息子の部屋から吸殻がでてきたのです。

あわてました。そして息子にいろいろと問いただしました。そこで、学校へ行かない昼間、うちがたまり場のようになっていたこともわかりました。

それからが実にいろいろありました。そのたばこ事件は中学校に知られることになり、私は学校からも呼び出されました。しかし、それは、まだましな方でした。その後、「問題行動」と呼ばれる行動を、いろいろ起こしたのです。

夜遊びもはじまりました。「深夜徘徊」というのですね。注意すると、今度は窓から抜け出して、窓から帰ってくるということもありました。また抜け出すのではないか、やめさせなければと、息子の見張りをするようになり、眠れなかったこともありました。

友達のところに泊まりにいって夜中にさわいで警察に通報されたり、そういうことがあるたびに、迎えにいったり、あやまりにいったり。

不登校だけならまだいいけれど、どうしてこんなに問題を次から次へとおこすのかと、私は途中から学校へいかないことよりも、問題行動のことで悩んだと思います。

そして、これも人には言えないことでした。「学校に行ってない子の親」以上に「問題行動を起こす子の親」はつらかったのです。私はそんな息子にほんとに疲れました。目の前がまっくらな気持ちだったと思います。
昨年、鹿児島の夏合宿に参加して、「少年事件・非行と不登校」の分科会を選びました。その分科会で、私は同じような問題をかかえているおかあさんたちの話を聞きました。「茶髪」「ピアス」の問題から、警察沙汰まで、いろいろありました。そこで実はほっとしたのです。私と同じようなことで悩む人がいる…
苦しい思いはずっと続きます。息子はふだん、私とよく話をするやさしい子だったので、よけいに苦しかったような気がします。そのうち、だんだんわかってきたことは、不登校も問題行動もひきこもりも、根っ子は同じではないかということです。表現の仕方が違うのであって、何か自分の中でかかえた大きな矛盾を自分の形で表しているのではないかと。

もちろん、してはいけないこともしています。人に迷惑をかけることも、人を傷つけることも、人としてやってはいけないことはあり、それを肯定しているのではありません。

何か問題があるたびに、私の思いはしっかり話しています。
ただ、子どもの心の叫びを聞いてあげる、どんなことがあっても見放さないんだよという愛を伝える、そして、家が居場所であるようにする、これが大事なんだと思います。確かに子どもは迷走しているかもしれない、でも、見守ること! 叱るばかりでは、子どもの心は動かない、自分でわかるまで見守るしかないと。 うちの子の場合、夜遊びはずっと続きます。

「また、夜に出て行くのか!」と叱ることも、ときには必要なのかもしれませんが、「気をつけてね」と笑顔で見送ってあげることも必要です。

そのあとで、「早く帰ってきなさいよ」よか「人に迷惑かけるんじゃないよ」とか、さらっというほうが、子どもの心に入っていくみたいです。

誰にもいえないようなこと、ほんとにたくさんありました。息子に言いたいこともたくさんありました。でも、「見守る」ことが大切なときもあるのでしょう。

ときどき、これでいいのかな、もし何かあったら親の責任として問われるのだなと考えます。親が言うべきとき、出るべきときもあるし、その見極めがむずかしいかもしれないけれど、「見守る」ことの大切さを感じます。

この原稿を書いている今、息子は家にいません。1ヵ月アルバイトに行くといって、はっきりした行き先も告げずに出て行きました。「なぜ、何もいわないの、どうしてとめないの」と人から言われますが、母親の感みたいなものがあって、ここは口を出さないほうがいい、黙ってさせてみよう、何かおこったら、そこで考えようと思っています。根拠はないのです。これまでの体験からくる私の感なのです。

でも、こんなふうに思うことは、1年前の私にはできませんでした。少しは「親育ち」したのでしょう。今でも迷いながら母親していますし、母親って大変だなあとは思っていますが・・・