親育ち・子育ち

第4回 高校入学から中退、その後


中学3年生という時期は、子どもにとっても親にとっても苦しい時期だと思います。学校に行かないことで落ち着いていても、まわりから「これからどうするの?」という無言の圧力はかかってきます。
普段連絡のない学校からも、進路希望調査票を出してほしいとか、つまり、「どうするのですか」「どこかに所属しなさい」という目にみえない圧力がやはりあるのです。

一番つらいのは子どもだと思います。自分が学校へ行ってないことはわかっているし、勉強してないこともわかっているし、まわりの子は高校へ行くし、このままでいいとは思えません。かといって、動けないしで、きっと子どもの心はパニックになるのかもしれません。中学3年生でこれからの人生は決まらないのに、選択しなければならないという立場を感じてしまうものです。

親にしても、「どうするの?」とはなかなか聞けず、聞かないけれど、「いったいどうするのだろう」という感情は、つねに出し続けてしまうのですね。学校からも選択を迫られます。

きっと、うちもそうだったと思います。結局、「高校に行く」と息子は決めましたが、願書を出すということから大変でした。「持っていく」といいながら、持っていかないのですから、親としてもはらはらです。学校からは、「今日が締め切りです。子どもが持って来れないのなら、親が届けてください」など、連絡があります。

高校入試は、学科試験を受けても無理なので、レポートと面接という試験を受けました。
そのレポートを書くのが、また大変。鉛筆とか、長い間持ってないので、レポートなんて長い文章が書けるわけがないと私は思っていました。いつ書くのだろう、書けないのならそれでもいいかとか、いろいろ思います。

ところが、息子は書いたのです。深夜、書いていました。あとで私に見えてくれたのですが、それは、宝物として残しておきたいような、すばらしい文章でした。読んだときは、泣いてしまいました。(ちゃんと、成長しているのですね)

でも、それをずっとみているのは、とても大変なことでした。それから入試当日。朝、起きられるかどうか。ちゃんと、会場にいけるのかどうか。

結局、合格したのですが、合格後も説明会で髪が赤いと注意をうけることからはじまって、教科書購入日に学校に行けるか、入学式もいけるかどうかなど、ずっとはらはらしていました。

そして、なんとか入学式をすませました。入学後、しばらくは学校に通っていましたが、結局、また休みだして、そして2学期の終わりには学校をやめました。学校をやめるときも、退学届をなかなか出しにいけず、このときも大変でしたね。

最後は、自分で出しにいき、そのとき、担任の先生が、制服で来たことをほめてくれて、抱きしめてくれたそうです。「うざいなあ」という感じでしたが、まんざらでもなさそうでした。

学校がなくなってしまうと、親としては、かなりらくになります。もう学校とのやりとりをしなくていいだけ。毎日の欠席を連絡したり、先生と話をしたり、けっこう負担になりました。メールで「欠席します」と連絡できれば、どれほどいいだろうと思いました。

学校をやめると、そういう負担は消えました。
子どもはどこかで「今のままではよくない」と思っています。こんな自分でもいいと思えるようになればいいのでしょうけれど、うちの息子をみていると、あんなふうにしていても「このままではよくない」とどこかで思っています。だから、ときどき、「やる気ある発言」をするのです。

こんなことしてみようかなと少し積極的なことを子どもがいうと、親はうれしくなるというか、すぐに期待してしまいます。アルバイトをするというと、よかったなと期待してしまいます。

でも、すぐなんとかなるものではないのですね。子ども自身、十分に気がすむまで、ひきこもったり、うろうろしたり、つまらないことを繰り返したり、そんなことをすることが必要なのではないかと思うのです。
「やる気ある発言」を聞いて、期待して、「やはりできなかったなあ」と何回がっかりしたことか。

今もそうです。何もしない自分に対して一番つらいのは息子であって、だからこそ「アルバイトする」というのだと思います。しかし、そのアルバイトも、続きません。1日行ってもうだめということも多いです。きっと、アルバイト先に迷惑かけて、そのままにしていることが多いのでしょう。

「学校へ行かないならアルバイトしたら?」とか口に出していうことはありませんが、何かをしてほしいという気持ちはあります。その何かとは、世間的にみていいことであってほしいと思っているのでしょう。子どもに期待するのがいけないというのではありませんが、息子のちょっとした「やる気ある発言」に期待して、がっかりして、親がこれでは、もっと子どもはつらくなるし、あせりもするのではないかと思うのです。 学校に行かなくていい、働かなくていい、ゆっくり休んでいい、ありのままの子どもを受けとめることなんですね。子どもがしてほしいと言ったことだけをしてあげる、ここがポイントなのかもしれません。

「やる気ある発言」に親が先回りして動くと、「やる気ある発言」のうしろにある子どもの心はもっと苦しくなるのかもしれません。

子どもが不登校をはじめてから3年たちました。今でもいろいろ悩むことばかりです。
悩んだときには、一番大切なことを思い出すようにしないとなあと思っています。なかなか「親育ち」できない私です。