親育ち・子育ち

第5回 気がつかなかったこと




私は、不登校の部屋「雨のち晴れ」というホームページを作っています。なぜ、こういうページを作ったかというと、息子の不登校でつらくてつらくてしかたがなかったからです。

当時の私には、ホームページの作り方なんて全然わかりませんでした。だから、最初は不登校関連のホームページを探していました。とても共感を覚えるホームページに出会い、毎日、そこの掲示板にはまりこんで、つらい気持ちを書き込んでいました。ほんとはいけないことですが、仕事中にもこっそりみていました。

まだ、親の会にも出会ってないときで、毎日おこるいろいろな出来事にどうしていいかわからず、掲示版への書き込み、ネットをとうしての会話が、私の唯一の救いでした。

掲示板にきている人たちの大半はいい人たちで、今でもネットの世界でおつきあいしているのですが、時々もめごとがおこって、こんなことなら自分の掲示板を作ろうと思ったのです。私にホームページが作れるようになったのは、つまり息子の不登校のおかげなのです。不登校がなければ、一生懸命、パソコン教室にも通わなかったと思います。

自分のホームページでは、日記を書いています。ほぼ毎日。よく続くなあとは思うけれど、まだつらいからなのでしょうね。自分の気持ちを吐き出したいのです。いいこと書こうなんていう気持ちはなくて、はずかしいくらい、ありのままを書いています。

さて、この前のクリスマスイブの夜、せっかくクリスマスの料理も作って、ケーキも買ったのに、誰も食べてくれませんでした。その日も日記をかきました。

実をいうと、クリスマス・イブだからと、チキンを用意して、熱のある彼女でも食べられるかなと思って、かぼちゃスープを作って、サラダを作って、クリスマスケーキまで買ったよ。
結局、ひとりで食事した。あーあ、明日は、残ったものを、またひとりで食べて、ケーキもひとりで食べることになるのか。

「彼女」というのは、息子の彼女で、うちにきて熱を出して寝込んでいました。

しばらくして、これを読んだ人が掲示板に書き込みをしていました。
「クリスマスイブの日の日記を読んでどう感じますか、不登校の本質にせまる大事なことがあるように思います」
という内容でした。
私は、この方が何を言おうとしているのか、わかりませんでした。その方はまた書き込みをしてくださいました。

日記には「むしょうに、寂しいというか、いやになってきたというか、腹が立つというか・・・」というふうに書かれていますね。では、あの時息子さんがどんな反応をすれば、ああいった思いをしないで済んだのでしょうか。喜んで一緒に食事をしたり、ケーキを食べたり、プレゼントを受け取って喜んでくれたりしたら、お母さんはよかったのでしょうか。

では、そういうふうにしてくれなかった息子さんが、いけなかったのでしょうか。
これはどこの家庭でもありそうな親心ですよね。でも、息子さんから見れば、そんな親心はすっかりお見通しだったのではないでしょうか。思春期を迎えた子どもは、それに乗るほど幼くはないし、大人でもない。

それが見えれば見えるほど、そんな反応はあえてしたくないと思うのが思春期の正常な反応で、もし、それに乗ってくるようなら、かえってそちらの方が心配だと思うのですが。

ある不登校の子どもの言葉に「親心は下心」と言う名言がありますが。親にそんなつもりが無くても、子供の方からみれば、まさにそう見えてしまうのではないでしょうか。また、『私は親が期待するようには生きない。なぜなら私は私だから』と言う事を表現しているのではないでしょうか。


これを読んで、私ははっとしました。ありのままの子どもでいいと思い、そういうふうに口には出しつつ、私の期待どおりに動いてほしいという気持ちがまだあるんだなって、そのとき、はじめて気がつきました。

これは、たまたまクリスマスイブの食事のことだったけれど、私はほんとに「子ども自身の決定」や「子ども自身の生き方」を認めていたのどろうかと考えてしまいました。子どもは思春期の成長をとげているのに、いつまでたっても、「親の安心」「私の立場」から子どもをみていたのかもしれません。

もしあのとき、いっしょに食事をしてくれたら、ケーキを食べてくれたら、私は満足だったのでしょう。でも、その満足は誰のため? 息子の満足ではなくて、私の満足。

子どもが自分で考え自分で歩く、ずっこけても、迷路に入りこんでも、そのひとつひとつが子どもの成長、親が決めるのではない、子どもが自分で決める・・・大事なこと、わかっていなかったのかもしれません。日常の何気ない場面だったからこそ、「私の満足」を表にだして、子どもに押し付けていたのでしょう。

何度も何度も同じこと繰り返して、迷って、悩んで、また、ひとつ親になれるような気がします。

子どもが育つように、いっしょに親も育てばいいのだと思います。最初から悩まない親はいないし、完璧な親もいません。「また、やっちゃった」ということもたくさんあります。
子どもから学ぶ、みんなから学ぶ、親修行はまだまだ続きます。

全部で5回、エッセイを読んでいただいてありがとうございました。番外編はHPでごらんください。 

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