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第1回


<個の会を知ったきっかけ>

 こんにちは。はじめまして、と言う方が多いと思います。めいぽんと申します。歳は学年的に言えば(早生まれなので)25です。歳的には立派な大人ですが、只今自由人をやっています。俗に言うプータローと言うやつです。無職と言うべきですか?(笑)

 わたしは1995年から1998〜9年あたりまで個の会の会報発行のお手伝い、並びに原稿を寄せていた不登校OG(と言うのはあまり適当じゃないと自分でも思いますが)です。今回、久し振りに個の会の定例会にお邪魔する機会があり、それを機に原稿を寄せても良いと言うお誘いがあり、こうしてパソコンに向かって原稿を書いている次第です。

 私が個の会に出入りするようになったのは高校2年生の時。元々弟が先に不登校をしており、不登校という言葉やその行動は馴染みのあるものでしたが、高校に入って2年生になる直前の春休みの春季課外授業から自分自身が不登校になり、自分の居場所がどうしても見つからずにもがいていた時に、当時中央区大名にあった個の会の事務所兼こどもの居場所(フリースペース)に顔を出したことがきっかけでした。(個の会を知ったのは、親が先に会員になっていたからなのですが。)

 本当はこどもの居場所に馴染みたかったのですが、その当時のフリースペースの雰囲気から"ココは自分の居場所じゃない気がする"という気持ちが多く、それなら親の会のほうを手伝ってみようか?という結論に達し、それから数年の間"こどもだけど親の会の手伝いをしているこども"として個の会に関わるようになりました。


<わたしの不登校>

 わたしが正式に不登校になったのは高校2年生になる直前と先程書きましたが、実際は小中学生時代もちょこちょこ学校は休んでいました。小学3年生の時にいじめにあい、そして5年生の時に当時小学2年生だったわたしの弟が不登校をはじめました。(以来彼は今も外部との接触が全く無く、いわゆる「ひきこもり」状態になっています。)「お姉ちゃん」という意識が強かったのか"わたしは学校にちゃんと行かなければならない"という暗示を自分自身でかけていたのでしょう。小学5年以来、高校2年になる直前までいじめを含め、人間関係がうまくいかずずっと悩んでいましたが、それを両親に訴えることは余りしなかった気がします。

 しかし、わたしは不登校になりました。それは「2年生になったら友達やめる」と言う友達の一言がきっかけでした。特に仲が良かった友達だったため、かなりのショックを受けました。  その言葉を浴びてからのわたしは、一応制服はちゃんと着て、いつもどおりの時間に電車に乗って、乗り換えの駅までは行けるのですが、その間中ずっと"学校に行こうかな、どうしようかな、行きたくないな"という気持ちを抱えたまま乗り換えの駅に着き、そしてそのまま学校に行かずに、折り返しの電車で自宅から最寄の駅まで帰ってしまうことが増えてきました。

2年生に入ってからもそういう状態が続いたので、両親とも学校について話をせざるを得ませんでした。 それが学校について、学校の中の人間関係について初めて親に話をした瞬間だと思います。わたしは「学校をやめたい(中退したい)」と訴えましたが、両親、特に父親は「学校はやめずに学籍だけ置いて"休学"という形をとったらどうか?」ということを強く勧め、仕方なくそれを了解しました。それからわたしの不登校生活は始まりました。

不登校をしている間はとにかく「家にいたくない」という気持ちが強く、個の会に顔を出したり、母親の知り合いの方がやっている本屋で時を過ごしたりしていました。"家にいると何か言われそう"という気持ちが強かったのです。(弟も同じ状態だったのですが、あくまで「姉」としてのプライドがあり、自分自身を許さなかったのかもしれません。)そうしてわたしの高校2年生の1学期は終わりを告げようとしていましたが、1学期の期末試験が終わった直後にわたしは再び学校に戻る決意をします。それはやはり「学校に行かなければならない」という強い暗示がわたしを導いたのだと思います。

<学校に戻ってから、また不登校→転校→卒業→大学進学まで>

 そうして1学期の期末試験終了日の次の日から学校に復学したわたしでしたが、夏の課外授業、そして2学期とも休まずに出席し、"みんなと一緒に卒業したい"という気持ちから勉強にも熱心に取り組んで、それなりの成績をとっていました。

 しかし、修学旅行から帰ってきてからほどなくして、また別の友達から「通告」を浴びせられました。2年生に入る直前に「友達やめたい」と言った友達のグループの中のひとりから同じようなことを言われたり、また別の友達に話し掛けても無視される状態になり、休み時間がとても苦痛に思えてきたのです。  その時の席順が一番最後の席だったので、楽しそうなお喋りが聞こえる中、自分は一番後ろの席でひとり、賑やかな休み時間をひとりで過ごさざるを得なくなりました。

 そして、またわたしは2年生の冬季課外授業から再び不登校になりました。しかし前の不登校の時と違って、今度は完全に「この高校から離れて新しい高校へ転校しよう」という気持ちを抱きながらの不登校でした。

 休学をしていた1学期の間に通信制高校のパンフレットを入手していたわたしは、今の高校を離れて通信制高校を卒業しようと模索していたのです。両親には直接話をすることができず、手紙という形で転校をしたいと自分の要望を告げ、高校の先生たちと直に学校で顔をあわせ、「この高校から通信制高校へ転校したいので、手続きをして欲しい」と言いました。対応をしたのは担任と学年主任でした。担任が割と話をすぐ理解してくれ、対応も早くしてくれたので、学年をダブりたくなかった(←これもかなりこだわりました)わたしは2学期の成績だけを頼りに無事、高校3年1学期から通信制高校へ転校という状態でその県立高校を去り、とある広域性通信制高校へ入学し、アルバイトと勉強の両立をしながら通信制高校入学後1年で卒業を果たし、大学受験は失敗したものの、新聞で知ったとある通信制大学で社会福祉を(特に児童福祉を中心に)学ぶ道を選びました。