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第3回


<新しい職場>

 新しい職場は、今まで自分が勉強した福祉の知識などかけらも持たなくてもいい大手の会社でした。そこで私は契約社員として主に電話、パソコンを用いて仕事をし始めました。最初は、立ち上げたばかりの職場だったので仕事も少なく、もっぱら隣の席の人や喫煙室で仲良くなった人とお喋りしたりなどしていました。  そうこうしているうちに本格的に業務が立ち上がり、忙しくなるぞという時に配置転換を命ぜられ、今まで無かった新しい部署で働くようになり、それに伴って段々とストレスがたまっていっているのが自分でも理解できていたのですが、それでもやめずに自分なりにがんばっていました。

 丁度その頃カウンセラーから「母親を病院へ連れてきなさい」と言われ、それまで隠していた自分の病気の事を親に伝えなければならないという、仕事とは違う側面からの「覚悟」も必要とされてきました。

 "口頭ではとても伝えきれない。"そう思った私は、仕事に行く前にあらかじめ書いておいたメモを通勤前に食卓のテーブルに置き、仕事に出かけました。その日は"帰ったらどんな事を言われるだろう"と、なかなか仕事にも手がつかなかったような気がします。しかし、母は何も言わず、何も聞かず、淡々と指定された日にひとり、病院へ足を運んで行きました。

 後ほど母も口頭では病気のことを話せなかったらしく、手紙を書いてよこしてきました。「今まで気付かなくてごめんなさい」「話を聞いて涙がこぼれた」「何か私にできる事があったら相談してね」などの内容のごく短い手紙でした。しかし、直接的に病気のことや自分のことを話すのはずっと後になってからになります。

 2001年8月、わたしは「今日の昼から部署を移動して欲しい」と突然上司から言われ、会社の中でもキツいと言われていた部署に配置転換されました。そこでの仕事は従来より気力を使うもので、人と話すだけで気力を使うわたしは更に病状が悪化しているのにもかかわらず、頓服薬(症状が出そうだな、と思った時に臨時で飲む薬)に最大限頼りながら仕事を覚え、こなし、そして月が替わるとまた新しく異動してきた人に仕事を教えながら、自分の仕事をこなしていました。

<最大のショック>

 まぁほどほどにやっていた毎日の仕事生活にある日、劇的な変化が訪れました。それは個人的なことなので、あえてこれだ、とはここでは書きませんが、それまでわたしを支えてくれていた支柱のひとつが、ある日を境になくなってしまったのです。そのなくなってしまた支柱の代わりにするかのように、わたしは症状が辛いときも薬に頼りながら仕事に打ち込み、残業もいとわずに働き続けました。平日はそれでよかったのですが、週末になると心の中がからっぽで、どうしようもない孤独感を味わう日々が続きました。そして、そうこうしているうちに22年間生きてきた中で初めて、拒食症に近い症状が出始めました。

 とにかく物が食べられない。食べたとしても小さなお茶碗一杯分少々のご飯のみ。朝は仕事に急いでいくので抜くのが当たり前だったので、昼食、夕食の2食。それも「食後に薬を飲まなければならないから」というある種の義務感で食べていたような気がします。

 もちろん体重は面白いようにどんどん落ち、1ヵ月に6キロ痩せました。"見た目はいい感じだよな"と思ってはいましたが、着飾るような気力も無い。

 慢性的なエネルギー不足と部署の中でも「中堅」になっていて、重要な仕事も任されていたので更にストレスが増した結果、会社で倒れたり、病院へ行って栄養剤を点滴したり、朝は栄養ドリンクを飲んで鉄の塊のようになった自分の身体を無理矢理起こして仕事に行くようになっていました。それからほどなくして、人の声を聞くのも、人がそこにいるという存在感を感じるだけでも息苦しくなり、仕事を休職する決心を固めました。

<休職〜復職〜退職>

 12月から翌年2月末までそうやって休職したのですが、3月頭からフルタイムでまた職場に戻りました。最初は少ない時間からスタートしたかったのですが、その当時の課長がそれを頑として許可してくれず、仕方なく「残業は復職1ヶ月間はしない」という事で合意し、仕事を再開しました。

 3ヶ月いなかった間に、それまでは私が「教えていた」立場の人が逆に「教える」立場の人になっていて、しかもそれがかなり人に対して強い圧力をかけるようなやり方だったので、周囲からもあまり評判はよくなかったのですが、空白の3ヶ月があった以上、わからないことはその人に聞かなければならず、その人の私に対する対応でまたストレスを抱え込み、仕事のストレスがさらに増し、自分でもどうしようもなくなって、出社拒否を起こすようになりました。そして、「昼から出社して残業して帰る→昼になっても出社できる気力がなくなる→休む状態がずっと続く」という状態になり、薬も段々と強いものが処方され、一時は薬の副作用か何かで身体がとてもだるく、寝たきりに近い状態になっていました。

 そして、退職の希望を固めて、後は会社に行って残務処理をするだけ、となったある日、薬の処方が変わり気分が少し良くなったので会社に行き、残務処理をして離職表など必要な書類を記入して、私はその会社を去る事になりました。1年数ヶ月のわたしの会社員生活が、そこで一旦終止符を打ったわけです。

<退職後〜今>

 退職後はしばらく調子も良く、以前から行こうとしていた東京旅行にもひとりで出かけるくらいでしたが、帰ってきて症状が悪化し、10月〜11月にかけて自殺したい気持ちに駆られたりと大変な時期が続きました。年が明けてから少しずつそういう気持ちも減ってきましたが、時々情緒不安定に陥ってどうしようもなく落ち込み、ひきこもったり、オーバードーズ(薬の大量服用)をしかけたりも未だにしていますが、とりあえず「1日を生きること」を念頭に生活している状態です。

<親とのコミュニケーション>

 私のなかに未だに根付いている「人間不信」とか「人の心の裏を読み取るクセ」は、今から思い起こすと親とのやり取りの間で生まれ、そしてその後からの学校生活で完全に根付きました。そういう経験をしてきたからこそ、これを読んで下さっている方たちには私のような状態になって欲しくない、という思いが強く、長文になりましたが参考にして頂きたく、こうして書いてみました。

あなたの家庭はコミュニケーション、とれていますか?
そして、子どもさんに対等に接することができていますか?
子どもは敏感です。何も言わなくても何かしらのメッセージを親から受け取っています。
そのメッセージは子どもさんにとって良いメッセージでしょうか?