
|
親の会との出会いは、次男が6年の2月、小学校卒業まぎわのことだったと思います(現在20才)。 組合の学習会で内田良子さんの講演会に参加し、講演会が終わると真っ先に演壇に詰め寄って、次男の事を話したことを覚えています。その当時、息子はセンター(市の教育センター)に通っていました。内田良子さんが、『センターに行かせることは息子を傷つける事になる。早く親の会に行きなさい!』とシューレのことを教えてくれたのが、親の会との出会いになりました。 当時の世話人さんに電話をして、定例会の日を聞きました。その頃、定例会は早良区、西区といった市民センターや、舞鶴にあった社会福祉協議会の一室を借りて行われていました。 初めての定例会に行った日のことを、鮮明に覚えています。80人位はゆうにいたと思います。小学生低学年、高学年で2グループ、中学校以上で1グループ、中学校卒業で1グループ、と4グループに分かれても20人ぐらいの円陣ができていたと思います。一人一人自分の事を話すのですが、皆一言、二言話し始めると言葉が詰まって泣き出してしまい、しーんとした雰囲気がただよっていました。
私は何回くらい定例会に出たのかわかりませんが、日曜日の定例会にはなかなか出られなかったので、年1〜2回ある大きな学習会や夏合宿にはことさら出るようにしていました。定例会に出るようになったのは、3〜4年前からです。 しかし、子供の気持ちを知ったということだけで、その解決にはなりませんでした。自分自身の学歴へのこだわりが浮き沈みし、いっこうに変化の見られない子供の姿に、のみこんでいたはずの言葉も一網打尽になってしまったからです。だから、気持ちを確かめに、毎年夏合宿に行くのだろうと今思うのです。 そのおかげで、鹿児島〜仙台まで津々浦々旅行もでき、色々な人と出会ったのも息子のお蔭かもしれません。
![]() 「親の会」の意味を、内田良子さんは『福岡の親の会は、色々な人の例があり、それぞれの悩みに対応できる幅がありますヨ!』と言われました。そのとおりだと思います。文部科学省の対応は、さほど変わらず、ソフトに色々な手立てが講じられるようになっていますが、その当時のように、担任をはじめ何人もかかって子供を引きずり回したり、卒業の時に無理な課題を与えたり、精神異常と病院をすすめられるようなことも少なくなって、家でゆっくり過ごす不登校の子どもも多く見られるようになりました。 その反面、「親の会」の会員は減少し、「個の会」も10年前と比べ随分減ってきています。幼稚園〜18・19才までといった幅は今はないかもしれませんが、会員の年数を重ねた者が教えるようなものではなく、会員(一人一人)のそれぞれの体験が、他の会員にとっての解答になっているはずです。 そういう意味で、親の会では対等であり平等であると思うのです。子どもが自分自身の道を見つけるの、もそれぞれ時間が必要。 それには短い時間で良い場合もあれば、長い時間が必要な場合もある。親も、本人にとって必要な時間と認識ができればビクともしないもの。しかし、親がこのことをのみ込むにも時間がかかりました。 私にしても、大学を卒業して過食になった長男は晴天の霹靂でしたが、それを時間がかかってものみこむことが出来たのは、次男の拒食から学んだ事だったし、親の会の情報があったり、孤立しないで済んだからだと思うのです。親の会に出会った事は、運命の出会いの不思議さを思うのですが…・
また新たな人々を迎えながら、この会を大切にしていきたいと思っています。 |