梅雨もあけ、太陽の日差しが一段と強くなる七月になると、全国の親の会から夏合宿の便りが届きます。10年前当時、なかなか個の会の例会に参加することができなかった私は、1年分の力をもらいに、方々に出かけて行ったものでした。
近年になって、東京の事務局と地方と交代で開催という形になりましたが、まだその当時は、全国持ち回りで夏合宿がありました。
初めて、ワラをもつかむ思い出参加した広島大会では、子供達が出演した「ガンコ寿司」の劇を見て、目からウロコの思いでした。(内容は、学校に行けなくなった子供達の心の内を表した劇だったのです。)
大阪大会では、渡辺位さんの記念講演で「学校信仰」のお話を聞き、自分の中に巣食っていた学校のイメージが崩れていった記憶があります。
大阪大会に行った時は後ろ髪を引かれる思いで出かけ、終了と同時に脱兎のごとく帰りました。というのも、中2のとき3ヶ月不登校をしたのち3年生から学校に復帰して高校に入学した長男と、入れ替わるように不登校になった次男の仲が最悪だったのです。お土産にと二人に買ったお好み焼きが原因でけんかになり、チョット目を離していた間に、台所の天井にはお好み焼きが2枚貼り付いており、壁はソースのしみだらけになり、お好み焼きと一緒に買ったTシャツ(がんばる神戸は負けやへん、ガッツ君Tシャツ)は、ビリビリに破けるわで、大会でもらった元気もどこへやらといった感じでした。
次の福島大会までは一人で行っていたのですが、箱根大会(1,000人位参加)から14歳になった次男が子供合宿に参加するようになりました。「お母さんは一人で毎年行っているけど、一緒に行かんネ!」と声かけをして3年目からの参加でした。
運良く、その当時の世話人さんの15歳の娘さんも参加していて、初めて参加した息子がオロオロしている時に、声をかけていただき、お世話していただいたのも幸いでした。
箱根の合宿に行く途中、入念に飛行機の便と新宿からの高速バスの乗り継ぎ時間を考えてコースを立てたのですが、行ってみるとなんせ大都会、新宿に出るまでに迷い、高速乗り場がわからなくて迷い、予約のバスには乗り遅れるわで、息子と二人、野次喜多さながらの珍道中になってしまいました。
その後息子は、松江大会まで参加しました。私が分科会に出ている間に、松江城の掘割り巡りの船に乗ったりして、大会を楽しめるようになっていました。小4で転校して不登校になり、他に情報が入らないために、本人も自分だけが不登校なんだと思い込んでいたらしく、全国の子ども達との出会いで、不登校を自分の生き方として生きる子ども達に大いに影響を受けたことも、本人にとって良かったのではないかと思います。
今年の夏合宿は千葉であります。分科会はどこにしようかと毎年迷うのですが・・・。二人の息子の不登校から参加したこの大会ですが、このままいくと、息子も皆成人してしまい、「20代以上の引きこもり」かな~などと思いますが・・・。
こう書くと、読まれた方は不安になるのではないかと思います。でも、息子達は家の中でこもることを基盤に二人とも生活しています。成人したらは働かないといかんとか、自立しなければならないなどの世間の常識にとらわれず、今を生きるのに家を基盤に生きる生き方を二人がしていると私は考えます。
朝、イッテラッシャイと長男が送り出してくれます。「母さんはハーブ豚のように、いいものを食って動き回っているから、しっかり稼いで!」という叱咤激励ぶりなんですが、これも私の人生、しっかり受け止めて行こうと思います。
思い詰めて参加していた頃から、会場に行く行程も楽しめる大会となっています。次回は、報告を兼ねて思い起こしていこうと思っています。
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