カウンセリングと聞けば、悩みを解決してくれる「天の声」のように思え頃がありました。我が子が不登校になり、なぜ? どうして? 今まで元気に行っていた子が急に?・・訳がわからず、私もご多分にもれず、2箇所のカウンセリングの門をたたきました。
優しくソフトに、そうですねぇ〜と相づちを打ってくれて、次はこうしてみますと、道が見えるのですが・・。結局は、うまく誘導されていたのでしょうネ。
もう1箇所は、生育歴から家族のことを、重箱の隅をつつくように聞かれ、「次のカウンセリングでもこの話なら、エエ、机をひっくり返して帰ってやる」と思っていたところ、カウンセラーが交代して別の人になりました。
さて、夏合宿。小沢牧子さんの話の報告になりますが、小沢さんはカウンセリングの意図するものについて、トクトクとお話しされました。
カウンセリング講座とか、カウンセリングの受講者、親業、子どもと親のサポートも、増加の一途をたどっているが、人間関係にノウハウは必要ない。
人間関係の技法は、以前はなかったことで、人は皆、生活の中で人間関係を見覚え、聞き覚えで学んできて、それは生活の一部だった。人間関係を復活させればいいことなので、学びに行くことはおかしいことである。テキストで覚えることではない。
「カウンセリング」とは、人に話をさせる技法である。聞くことが手段になっているので、
@自分の問題は自分の中で治まる。
A自分のいたらなさばかりが膨らんでくる
B自分の問題がクローズアップされて落ち込むことがある。
※問題には、原因も理由もあるはず。
「親業」とは、子どもを思い通りにする技法である。力を持っている側が、弱い方に使い、トラブルを回避する方法である。
「心の専門家」とは、生き方の専門家のように思われるが、カウンセラー自身は自分の思想を持っていない。望まれる行動の管理者であり、体制に組し、望まれる人間像に推し進める一翼を担っている。
と言うのは話の大筋でした。
カウンセリングに足しげく通っていた頃、当の子どもと向き合うことがなかったと今、思い起こされますが、カウンセリングで導き出された方法が良策だと思い、動けば動くほど、息子と気持ちが離れていったんだと思います。
不登校も3年目に入り、業を煮やして、息子に禅問答のように問いかけたことがあります。「学校は知識を教える大切な所だよ。人生に必要なことを教えてくれるんだよ」(今思えば、これも苦笑する言葉ですが・・)と語りかけると、「フ〜ン、そうかなあ。自分に素直に生きる方がいいと思うけど…」と。
この言葉の意味がわかるのは、恥ずかしい限りですが、ずーっと後になってからのことです。
カウンセリングを離れ、親の会と出会い、一歩一歩息子の気持ちをたぐりよせるように、私自身が変わっていった頃からでした。
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