講演会から




山下英三郎講演会

スクールソーシャルワークって何?


 2002年2月9日(土)西市民センターにて、「個の会」主催の講演会が行われました。今年は、山下英三郎さんを講師に迎え、ご自身の経歴やスクールソーシャルワーカーとしての活動について、不登校のことなどお話しして頂きました。静かな口調のなかに、子供たちへのあふれる思いやりが強く感じられました。

 ご紹介にありましたけれども、経歴を見ると『'69年早稲田大学法学部、'85年ユタ大学ソーシャルワーク大学院卒業』、それを読むと、すごい勉強をしてきた人のように思われますが、ところがドッコイ、早稲田卒業からユタ大学院卒業までのことをお話するほうが喜ばれます。
仕事を結構変わってまして、大学を卒業してサラリーマンを半年で辞め、周囲からひんしゅくをかったり、カメラマンをやりたいと写真の学校に通ったり…しかし、才能がない事がわかって植木屋をやると言ったり…植木屋に何故なりたかったかと言うと、山の中で自給自足の生活をしたいという理由で、実際に三重の山奥で暮らしていました。
そしてある出会いがあって、37才の時に、当時5年生と1年生の娘がいたのですが、スクールソーシャルワークをやりたいとアメリカに行きました。

 あまり計画的な生き方をしていない。支離滅裂な生き方しかしていません。仕事を変わったあいだは、カメラマンから植木屋まで結びつかなかったし、植木屋になっても場所を変わって、結びつかないあいだは家に引きこもらざるを得ない。お客さんが来て、ピンポーンと鳴った時には部屋に隠れていたりして、自分が対応しないようにしていました。

 今でもウィークデーに家に居たりすると、昼間に家に居てはいけないとその頃の思いがあって、人が来ても出ていけない感じがあります。それは、引きこもったり、家に居たりする子供達の感覚と似通っているのではないかと思います。だから、自分の感覚からすれば、引きこもっている人達や学校へ行けないという状態にある人達と、程度の差はあっても同じ感覚のところでしゃべっていたりする。そういう色々な事をやってきて、人とは色々な生き方ができるんだなあと思う。

 私なんかは、仕事を変えて、子供もいるし結婚もしていて、人間のクズだと言われました。連れ合いなんかは、あんな男とは別れろ、子供への責任も持てないとか言われて…別に借金を重ねていた訳でもないのに。人ってひどい事を言いますよね。ムチャクチャ人格を否定する事を言われた。
でも模索しながらやって、それを支えてくれる人がいれば、それだけで道を探していけるんだ。そういう生き方をした事は、子供達にとってすごく参考になる。私自身が楽っていうか、子供にこうしなくちゃとか、学校を休んでいる子に学校に行かなくちゃとか、高校に行かなくちゃとか言わないですんでしまう。子供達はわりと凝り固まっている場合がある。学校しか選択肢がない社会に生きている。学校に明日行こうと努力している子には、
『おじさんはこう生きてきて、それでも結構良かったよ。自分にあっているよ。(生き方は)すぐには見つからないけれど心配しなくていいんじゃない』
と話しかけたりできる。ある子なんかは、私が転職しているので、
『僕はおじさんの年になるまで、転職した数を勝負する』
なんて言う。

 '69〜85年の話はあまり詳しく言えないのですが、(私は)あまり勉強してきた人間ではないんです。が、何かやりたいと思ったときには、アメリカに向かわせてしまうエネルギーがある。アメリカの大学に行くようになっても、随分ひどい事を言われました。
『アメリカの大学をおまえは馬鹿にしている。大学時代も勉強していないし、仕事も植木屋とかあちゃこちゃしている。アメリカの大学が受け入れてくれるはずはないじゃないか』
と。・・でも、自分にやりたいと思う気持ちがあった。またそれに従った結果、なんとかなったという事があります。だから若い子達と話す時一番残念なのは、自分の中で可能性を否定してしまっていること。自分には無理だとか、これはできないとか。私自身もそうだったんですけど、自分には力がないからダメだとか言い訳するから出来なかった。
でもやってみて、理想どおりにはいかないけれども近いところにはなれる。終いには横着になってしまいましたね。チャンスは向こうからやって来る、待っていれば来るんだよと…

 そういう事の相談活動をやっていて、ちゃんとした就職や仕事を探すことに、
『あせらなくていいんだよ。仕事は向こうからやって来るから』
と言ったりする。そのアンテナをちゃんと磨いておく事だと思います。
ピタっと出すような感性を働かせるというか…人は自分のなかの可能性を低く見積もっている状況がある。
子供達は、特に学校へ行かなくなったりした時には低く見積もっている。そこに行って、
『あんた達には可能性があるんだよ。自分が思っているほど自分の力は低いんじゃないんだよ』
と伝えたりする。形ではなく、自分はできるんじゃないかとか、やってみようかとか、そういう意識が持てた時には相談として成功。子供達がどんな選択をしようとOKだと思う。『色々とあるけれど、君が決めた事について、おじさんは周囲が何と言おうと応援しよう!』と。

 決めることについて、不安は凄くありますよね。なぜかというと、失敗した時の怖さみたいなものが凄くあるから。その怖さを一歩でも薄れさせるのが、他人の支えだと思う。支えだけをきちんとする。そして、
『失敗しても他に方法があるじゃないか。自分がいるよ!』
というメッセージを常に子供達に向けていくことが出来れば、なんとかやっていける。大人の場合も同じだと思うのです。私も、周囲から見ると支離滅裂な生き方をしている時でも、自分としては繋がっているのですが。どんな時でも支えてくれる人がいたお蔭で、なんとかあきらめないで済んだ。

 今、福祉系の大学に(教えに)行っているので、新宿西口前のホームレスの人達が過ごしていらっしゃる所に、(学生が)食事のボランティアに行ったりする。私も一緒に行って、路上に寝ている人に声をかけていると、私自身がホームレスの人と間違えられて、そこどいてと言われたりする。自分も支える人がいなかったら、そっち側に行っているのではないかと思うので、違和感はない。でも、支えがなかったら、路上で過ごさなくてはいけない確率がものすごく高くなると思います。学歴とか形あるものではなくて、どんな生き方でも良いと思います。

 物質的に豊かな社会でも、精神的には豊かでないと多くの人は思っている。なにかというと、一人ぼっちという感覚を持たざるを得ない。自分なんか生まれてこなければ良かったとか、自分は必要とされていない、誰からも愛されていないという感覚、それは人間にとって一番不幸なことではないかと思う。マザー・テレサは、
『人間にとって一番の不幸は、人から必要とされていないと感じることだ。』
と言われましたが、まさにその通りだと思う。子供の周囲にいる私達も、
『あなたを必要としている、あなたがいてくれて嬉しい』
というメッセージを、きちんと伝えることができれば良いんじゃないかと思う。

 先ほど、福岡子供総合センターの立派な完成予想図を見せてもらいましたが、不登校の子供達を泊まらせて学校への復帰支援をするという、そんな形だけを整えてもうまくいかない。ものすごい税金のムダ遣いになるはずと思う。
不登校対策は、対策という言葉は嫌いですが、そんなもんじゃない。生きるという事の実感みたいなことを、一人一人の子供達に訴えることができるかというところです。本当に行政のやることは、ずれてずれてずれまくっている訳です。

 私が活動し始めた1986年当時と比べると、色々な相談機関が増えている。
1992年からは、適応指導教室がすごく増えてきた。1995年にスクールカウンセラーが出てきて、各市町村レベルでも違うと思いますが、色々な相談員を導入しています。埼玉県ですと「さわやか相談員」というのですが、各中学校にもすでに毎日そこに相談員がいる。そこにスクールカウンセラーが週に何回か来て、更にボランティア相談員がいて…と、ものすごい相談システムがある。
その設置されている目的は、不登校の子供を減らすという事です。
現実はどうかというと、全然減っていないんです。私が活動し始めた頃は、『登校拒否児3万人・史上最悪』といわれたのですが、今は13万人を超えていますよね。子供の数がものすごく減っているのに、不登校の子供は増えている。1つの学校で20人は珍しくない。それは、そうした対策が噛み合っていない証拠です。

 何故うまくいっていないのかという事を考えてほしいのに、全然考えていない。それは何故か…当事者の声を聞かないでやっている。福岡のセンターも、充分に不登校の当事者の声を聞かないで、いわゆる専門家とか学識経験者といわれる人達が机上の論を立てて造ったのでしょうね。当事者と会った事もない人達が、不登校対策をやってしまう。今の時代に、泊まるだけで生活リズムを立てなおすなん30年遅いのではないでしょうか。予測としては、たぶん税金のムダ遣いになってしまうのではないか。それは本当にもったいない。(税金を)しっかり使うんだったら、施策をやった人ではなく、当事者の子供や親が『こんなものが欲しかった、出来て良かった』というようなものにして欲しい。そのへんが、同じことが延々と繰り返されていると思う。

 不登校新聞をご覧になった方がいらっしゃると思いますが、千葉県で子供発達センターが3年がかりで計画されました。千葉大学や地元の偉いセンセイを中心に練られてきたらしい。去年の四月に堂本さんが知事になられ、色々やってこられて中で、子供発達センターの計画書を持ってこられたところ、『何、これ古いんじゃない?』という事になりました。
まず第一に名前が良くない。子供発達支援など、こんなんじゃダメだということで予算を凍結した。教育委員会が困って頼んだところ、予算を通すには市民を入れることが条件であると。それで、当事者である親の会の人が入って、奥地さんも千葉だから入りなさい、学識経験者も入りなさいということで、なんと山下さんと内田(良子)さんを入れなさいという事になった。
堂本さんはTBSのディレクターをやっていた人で、以前不登校のことを扱っておられた。不登校は精神病院に入院させられたり、隔離されたりすることがけっこうなされていて、それを告発する番組を作られています。

 堂本さんから声をかけられて、これは面白い事なので少しでもやっておいた方が良いかな…と。でも、会議は2回やったら終わりなんですよね。すごく良いメンバーだったので、(センターが)出来た後も運営委員として参加させろと言った。教育委員会も難色を示しましたが、我々も数が多いですから、最後はOKという事になりました。
それまで2年近くやってきた事を組み直すということで、まず会長を決めることになった。当然千葉大学の教授がなると思ったのですが、奥地さんが『私立候補します。と言ったので、委員会の人がボーっとしていました。そうしたら、内田さんも『私も奥地さんを推薦します』と言った。私も何か言った方が良いかということで、『奥地さんを推薦します』と。
こういう審議会については、大学の先生とか学識経験者ではなく、子供達についての画期的な事を市民がやるということが大切という事で、奥地さんに決まってしまった。
 次は副会長を決めるという事で、私も会長が奥地さんになったから、副会長は大学の先生でも良いかなと思っていた。誰も立候補しなかったので、児童養護施設に勤めていて千葉のサポートネットの活動をしたり、少年法の反対をしたりしていた出口さんが立候補しますということで、会長・副会長とも取れてしまった。
 子供支援センターの名称を変えることは、はっきりしています。また相談員を雇ったりする時は、地元の親の会の人を必ず入れること、不登校体験のある子供の話を聞けるように、体験者をどこかのプログラムの中に必ず入れるようにする。こういう計画が大きな意味を持ってくる。不登校の問題でも、当事者を抜きにする事は徹底的に間違っている。一番の体験者ですから…一人一人の体験は違ってるのですが。その人の体験は多くの人の体験とつながっているのです。その人の話を聞くと言う事が大切だと思うのです。全てその通りにやるというのではなくて良いと思うのですが、どういう思いでいるか、どういうニーズがあるかというそこが通せれば少し違うかなあと思います。

 千葉のセンターの所長も、市民サイドからしたいと思っている。奥地さんが、『内田さんどう?』『忙しいから・・』『では、山下さんどう?』、私もちょっとそこまで余裕がない。誰を所長にするか、できれば子供の側に立って考えられる人を探そうかという事に今なっているのです。
千葉でそういう事ができれば、福岡などに少し影響ができるかもしれない。
『千葉でこういう事ができました』
と、大いに千葉の動きを活用してもらって。私は基本的にカッカしながらやると、相手もだんだん硬くなりますから、ニヤニヤしながらやると良いかなあと思います。こういう事をすれば効果あがりますよ、と言ってやったりすればいいかと思います。