−追悼1995,1.17−

「止まった時を動かしたい
      〜“震災障害者”14年目の挑戦〜」より

 成人の日の12日、“ホリデーにっぽん”という番組を観た。まもなく阪神大震災から14年めを迎えるにあたっての特集番組である。

 「よろず相談所」主宰で、震災によって独居となった高齢者の方々を支える活動をしている 牧秀一 さんのことは昨年も書かせていただいた。その牧さんは、震災によって障害を持つ身体となった人びとの声に耳を傾けて共に進もうと、月に1回の集う場を設けている。昨年1月のメールのやりとりでそのような活動を今後に考えておられる旨は存じていたが、3月より始めておられたのだ。

 番組は、あの震災で、からくも命をとりとめた四人の人たちを映し出す。城戸洋子さん、岡田一男さん、村上しま子さん、大川恵梨さんである。なかでも城戸さんと岡田さんを中心に、被災後の苦労や日常にスポットを当てていた。

 城戸洋子さん(28歳)は14年前、中学2年生の時に震災に遭った。ピアノの下敷きになった彼女は、家族でひとり救助が困難な状態となり、やっと助け出されたときには無呼吸で意識のない状態であったという。生存できる確率はわずか3%と両親は言い渡された。どうにか一命をとりとめたものの、文字が書けなくなるなどの障害が残る。バレーボールに熱中する元気な少女だった洋子さんは、高次脳機能障害を持って生きることになる。

 リハビリを重ねた結果、震災から2年後に高校へ入学する。しかし授業についていけず、1年後に退学を余儀なくさせられる。青春を謳歌して楽しむ時期に、そんな悲しみを経験した彼女に、「命があっただけでもよかったじゃないか」という心ない言葉が追い討ちをかけ、彼女は心を閉ざす。「元気やったで、うち。3%やってん……」と涙をにじませた画面の彼女を見ながら、慰めているつもりが人を傷つけてしまう言葉があることに、私は溜息をついた。

 昨年の8月から2ヶ月間、彼女は職業訓練のため、珈琲を扱う会社で実習を受けた。無報酬である。決められた数だけラベルを数えて分ける仕事だ。数えている途中ですぐに数がわからなくなる。わからなくなってしまうと投げやりになる。そんなことをくり返すが、10月になって新しい経験をする。休憩時間に女性社員たちが一緒にお茶を飲もうと誘ってくれ、同年代の人たちと久しぶりに会話をして楽しんだのだ。彼女の母親は、日記帳に「働く意識のなさに自分で腹が立つ」と彼女が書いているのを知り、彼女の成長を認めて喜ぶ。

 その後、交通費や食事代にあたる手当を出すので実習を続けてはどうかと会社は提案し、彼女はそれを受ける。認められる喜びを彼女は知った。なぜ働くのかとの記者の質問に彼女は答えた。
「自分の為、親の為、人の為。まだ生きんならんし」
 洋子さんは、皆で飲んだあとの食器を洗うと自分から進んで言えるようになり、ラベルの数が途中でわからなくなっても投げ出さず、あきらめずに続けられるようになった。頑張れ、城戸洋子さん。

 岡田一男さん(68歳)は下町で喫茶店のマスターをしていた。店にはカラオケを設置し、毎日楽しく歌って踊っていたという。面倒みもよく地域では世話役もしていた。そんな生活は、あの日を境に一変する。店舗兼住宅は全壊し、家族が助けられたあと18時間後に助け出される。長時間圧迫されたことにより右足に障害が残り、今でもサポーターを何重にも巻いて足首を固定しなければグラグラして歩けない。素足だとマッチ棒ほどのものでも踏めば激痛が走るそうだ。

 辛さのある体になっても二年後に夜間警備の仕事に就き、夜のデパートなどを忙しく動き回る。足の痛みを押してでも働かなければ生活ができない。障害を背負っても支援は受けられないからだ。両腕・両脚切断ほどの大きな障害でなければ支援金の受給はできないということだ。天災だからどこへも責任が問えないと言う岡田さんは、何の為に助かったのかと自問をくり返した頃の苦しい胸中を吐露した。

 そんな岡田さんは、「よろず相談所」で知り合った人たちとのふれあいに心をなごませる。村上しま子さん(80歳)は60代のときに一人暮らしで被災、助け出されるまで意識を失っていたという。人形作りの特技をいかし、手ふきタオルの“まけないぞう”を作った。大川恵梨さん(14歳)はわずか生後2ヶ月で被災、頭部を損傷した。今も左手が動きにくく、言語を頭で組み立てることが難しく、短い言葉でしか話せないという。

 岡田さんは仲間との交流に喜びを感じ、震災による障害をもつほかの人たちとも知り合いたいと願うようになり、時間を見つけては探す活動をしている。だが、手がかりは病院で治療を受けた人の当時の情報しかなく、探しあてるのに苦労する。しかし昨年の暮れ、岡田さんは牧さんを訪ねて一人を見つけ出したと報告する。それは医師だったが、震災による怪我で歩けなくなり、診療所をたたんだという人だった。その方の14年も重く苦しいものであったに違いない。

 あれから14年の月日が過ぎた。街はたしかにきれいになり、表から見れば被災地だったことがわからないほどだ。しかし、大切な人を失くした人びと、負った体の傷や心の傷に苦しむ人びと、経済的な困難を背負い続けている人びとなど、表面からは見えないところで苦労は今でも続いている。牧さんは復興住宅に住む独居の高齢者の方々だけでなく、震災によって障害を持った人たちにも目を向け、昨年三月からその活動も始めている。弱者を支え続けること。それを貫いている牧秀一さんに、あらためて尊敬の念を抱く。

何が自分にできるのか。そのことを深く考えさせられる毎年の『1.17』である。

            
2009年1月13日


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