「申込み者多数のため、講演会場を変更いたします。」7月16日に日経BP社、日経情報ストラテジー主催の「ナレッジ・マネジメント・フォーラム」に参加申込者が多数のため、会場が銀座ガスホールからヤクルトホールへ変更にするという葉書が来た。確かに、ナレッジ・マネジメントに対する関心は高い。しかし、ナレッジ・マネジメントとは一体何なのか。その正体が、よくわからないがために人気を呼んでいる感もある。
簡単にナレッジ・マネジメントに関する考察を私なりにしてみることにする。
1.
ナレッジ・マネジメントとは
ナレッジ・マネジメントに関する定義は、多くの識者により様々な提言がされているが(興味のある方は、日本ナレッジ・マネジメント学会のホームページ
http://www02.so-net.ne.jp/~kmsj/
をご覧いただきたい)、ここでは、紺野 登氏の定義をご紹介する。
「知識とは(人々や組織が)認識・行動するための道理(reason)にかなった秩序(order またはsystem)である。ナレッジ・マネジメントの基本構成要素は(1)知識資産の開発と共有、それに基づく(2)知識の創造・活用のプロセス、(3)知識創造・活用の「場」である。」
どうも現在マスコミを賑わしているのは、この中の「知識資産の共有」の部分であるらしい。「情報の共有から知識の共有へ」「知識共有のための情報システム活用」などが多くの雑誌で取り上げられており、いかに個人の持つ知識を組織の知識として管理するかということが論点となっている。ところが、ナレッジ・マネジメントを理解しようと文献にあたると、「知識の創造・活用のプロセス」にスポットライトが当たっているものが多く、「知識をいかに経営の生かすのか」「知識資産は、資本主義社会の次の社会における最も重要な資本である」「知識をお金に換える仕組みをいかにして作り出すか」という知識をベースとした経営を中心に議論しているものが多い。
このため、混乱を招いている。この混乱の原因は、ナレッジ・マネジメントのマネジメントという言葉に「経営」と「管理」という二つの大きな意味があるためだと思う。
整理のために、「知識経営」としてのナレッジ・マネジメントと、「知識管理」としてのナレッジ・マネジメントに分けて考えてみる。
2.
「知識経営」としてのナレッジ・マネジメント
「知識経営」という面のナレッジ・マネジメントの起源は、1994年に野中郁次郎・竹内弘高両氏により書かれた『知識創造企業(The
Knowledge-Creating Company)』に求めらる。この本は、米国で英語で出版されベストセラーとなり、その後、邦訳され1996年に日本でも出版された。この中で、知識を文字で表現可能な形式知と、コツ・勘と言われる文字で表現することのできない暗黙知に分け、暗黙知と暗黙知とを共有する共同化、暗黙知を形式知に変える表出化、形式知と形式知を結びつける連結化、形式知を暗黙知に変える内面化という四つの変化をスパイラルに変換していくことにより知識創造は行われるという「知識スパイラル」が提唱された。この本の副題が「How Japanese
Companies Create the Dynamics of Innovation」であることからもわかるように、これが形式知重視の米国において日本企業の強みを理解する一つの理論として注目を浴びたのである。
また、知識が経営に重要な役割を占めるであろうことは、すでに1993年にピーター・ドラッカーが『ポスト資本主義社会』の中で、「我々は今や知識社会に入りつつあるという。そこでは基礎的な経済資源はもはや資本でも天然資源でも労働力でもなく知識であり、知識労働者が中心的役割を果たす」と述べている。
「知識経営」としてのナレッジ・マネジメントは注目されてからすでに5年近くを経過しており目新たらしい話ではない。
3.
「知識管理」としてのナレッジ・マネジメント
一方、「知識管理」としてのナレッジ・マネジメントは、二つのことが原因で注目されてきた。
その一つは、激しいリストラによるものである。これにより、企業にとって重要な知識を持った労働者までも退職に追い込んでしまい、企業が大きな損失を発生させてしまうというケースが米国企業において多くみられた。これを避けるため、個人の知識を組織の知識として管理する方法が求められた。
もう一つの原因は、グループウェアによる情報共有の失敗である。グループウェアを導入し自由に電子掲示板、電子ディスカッションDBを持つことにより社員の情報共有化が可能になると思っていたが、現実は異なっていた。特定の社員しかDBへの書きこみを行わず、ある期間を過ぎると誰もアクセスしないDBが散在し始める。DBに書かれている内容自体も価値のあるものが少ない状態となる。このような現象が早期にグループウェアを導入した企業で見られ始めている。
これらの問題を解決する切り札として、「知識管理」としてのナレッジ・マネジメントが期待されている。
「知識管理」としてのナレッジ・マネジメントを実践するためには、各業務(特に非定型業務)の典型的なシナリオ作りとそれに必要な知識の整理(内容・鮮度・入手方法など)をまず行う必要がある。そのうえでDB(知識)オーナーの設定、利用者への課金方法の検討、知識提供者へのインセンティブの検討を行うことがポイントであろう。
4.
「知識管理」から「知識経営」へ
「知識管理」としてのナレッジ・マネジメントは、「知識経営」としてのナレッジ・マネジメントの一端を担うものである。
「知識スパイラル」の中の連結化を容易にするだけではなく、表出化、内面化を促進する手段になる。「知識管理」としてのナレッジ・マネジメントから「知識経営」としてナレッジ・マネジメントへの道が見えてきそうである。
しかし、私は一つ大きな落とし穴があると感じている。それは、「知識管理」で主に扱われる形式知は知識の氷山の一角であり、その裏には大きな暗黙知があり、また、その暗黙知が各自によって異なるということである。
米国人の知識は形式知が大きく、日本人の知識は暗黙知が多いと言われるが、私は、これは誤りだと思う。米国は多民族国家のためお互いの暗黙知が異なることを十分理解しており、お互いの異なる暗黙知を説明するために言葉をつくしているのである。一方、日本は単民族国家のため、「そこまで言わなくてもわかるだろう」とか「行間を読んでくれ」などと暗黙知の個人差を無視した行動が多い。
これは「知識管理」のうえで大きな障害になる可能性がある。暗黙知から形式知への変換(表出化)を行う際に、不充分な変換のために知識自体があいまいさを持ったものになりやすい。そして、その知識を得て自らの形式知との連結化、そして暗黙知への変換を行う内面化の際にも暗黙知の相違を理解しようとせずにそれらを行うと、正確な知識の共有、知識管理が行えなくなってしまう可能性が高い。
ナレッジ・マネジメントを「知識管理」から「知識経営」に発展させるためには、まず、各自の持つ暗黙知は異なるのだという認識を持つ必要があると私は考える。