司法脱線ウェブログ「法治国家つまみぐい」


    

    小法廷 出身母体 任官 退官 備考
香川保一 かがわ やすかず 検察官
裁判官
1986/01/17 1991/05/04 11代の矢口長官とは、戦時中の海軍時代から互いを知る間柄。いったん判事補になるが、4年後に検事に転身。いわゆる「法務省検事」として裁判の現場から離れ、法務省民事局参事官、秘書課長、官房長、民事局長を努めた。そして、再び裁判官として現場に戻り、名古屋高裁長官から最高裁入り。石油業界の闇カルテル事件では、結論とは別に消費者救済に理解を示す意見を述べた。一方で、不法係留するヨットの杭を、千葉・浦安市が撤去した事件では、「撤去は適法ではないが、航行安全上の緊急措置と認められる」として、市側逆転勝訴の判決。森林法の共有林分割制限規定は、憲法の保障する財産権に抵触し違憲とした法廷意見に対し、同規定は合憲とする反対意見を付した。
坂上壽夫 さかうえ としお 弁護士 1986/01/17 1993/03/31 戦時中は海軍で法務大尉にまで昇進。戦後はしばらく裁判官を務めたが、まもなく弁護士に転身。森永ヒ素ミルク事件、石油闇カルテル事件で会社側につく。ロッキード事件全日空ルートでも被告人側の弁護人を務めていたが、最高裁入りと同時に辞任。大阪の鉄線工場から流出した塩素ガスで周辺住民100名以上に被害が出た事故で、「薬品受け入れ最中の事故は、公害罪法の罪にはあたらない」と、工場側に逆転無罪。一方で従業員には執行猶予付き有罪判決。また「カラオケは営利目的の演奏」として、JASRACの使用料徴収を正当化。酒類販売免許が営業の自由を侵害しないかが争われた大法廷で「社会背景が変化し、免許制度を維持する合理性はすでに失われている」との反対意見。時事通信の記者が、会社の命令に従わずに連続1ヶ月の夏休みを取った事件で、「会社側にも休暇の調整権がある」として、懲戒処分を無効とした原審を破棄差し戻し。殉職自衛官の護国神社合祀を合憲とした多数意見に「近親者の追慕や慰霊などは、自己の意思に反しない方法によってのみ行われることによって、心の静穏を保持する法的利益を持つ。これは宗教上の人格権」との意見を付した。一票の価値の最大格差が3.18倍となった1990年衆院選の議員定数不均衡訴訟について、「違憲的状態だが、かろうじて合憲」とする多数意見に付いた。
佐藤哲郎 さとう てつろう 弁護士 1986/05/21 1990/01/04 信託会社に就職後、4年間軍隊に。復員後にも会社に戻って勤務したが、新しく始まった司法制度に惹かれて第1期の司法修習生に。弁護士時代には、ある強姦事件で、最高裁での逆転無罪判決を勝ち取ったことも。最高裁では、いわゆるどぶろく裁判を担当。「個人で酒をつくることを放任すれば、酒税徴収に支障をきたす。酒税法が酒造りの自由を制約したとしても合憲」とし、罰金30万円の原判決を支持した。有責配偶者からの離婚請求を認めた法廷意見に「有責配偶者からの離婚請求は原則許さない。許されるのは、償いをしているのに報復のために離婚を拒まれている場合に限るべき」とする反対意見。殉職自衛官の護国神社合祀を合憲とした多数意見に「自衛隊の行為は神社との共同行為であり宗教活動だが、法的利益の侵害がない以上違法とはいえない」との意見を付した。
林 藤之輔 はやし とうのすけ 弁護士 1986/06/13 1987/08/06
(在任中死去)
戦時中は海軍に召集された。敗戦後は大学に復学。司法修習第1期で、のちに最高裁判事となる色川氏とともに、37年間ともに仕事をした。最高裁ではユーザーユニオン恐喝事件などを担当したが、在任わずか1年、65歳で病死。活躍を期待されての任命だっただけに、その最期を惜しまれた。
四ッ谷 巖 よつや いわお 裁判官 1987/01/28 1992/02/08 刑事裁判が専門。富山・福井各地裁から最高裁家庭局付、東京高裁、福島地裁所長、広島・東京各高裁長官を歴任。東京高裁では、「空前の選挙違反」とされた千葉選出の現職衆議院議員について、懲役4年の原判決を支持。「反省がみられない」とも指摘した。最高裁では、突出した意見を付けることなく、粛々と任務をまっとうした。
奥野久之 おくの ひさゆき 弁護士 1987/09/05 1990/08/26 一時は家業を継いでいたが、戦後の混乱期の中、将来は弁護士の時代になると確信して、神戸で弁護士登録。国選弁護で無罪判決を得たこともあった。神戸弁護士会会長。最高裁判事に就任したときには「裁判や判決は、法理の筋が通っているだけで値打ちが決まるものではない。この40年間は、闘う手段を持たずに争う弱者の側に立ってきた。これからもこの視点で意見を」と挨拶。最近の若手弁護士について「ビジネスと割り切っている人が多いのでは。プロフェッショナルとしての誇りや気概を持ってほしい」と話した。小法廷は無難にこなした。
貞家克己 ていか かつみ 裁判官 1988/03/17 1993/09/12 学徒出陣で軍隊に。復員後に司法修習を受け、千葉地裁に赴任。その後、法務省で25年間勤務した。その後、大阪高裁長官から最高裁へ。一票の価値の最大格差が3.18倍となった1990年衆院選の議員定数不均衡訴訟について、「違憲的状態だが、かろうじて合憲」とする多数意見に付いた。弁護人の接見交通権(拘束されている被疑者や被告人とのコミュニケーション)をめぐる、弁護士から国家賠償請求で、国の上告を棄却した。地検の措置を違法だと認定したわけではないが、捜査機関は「速やかな接見のため、取り調べや実況見分の予定を確認したうえで弁護人に告げる義務がある」と指摘。弁護人と協議せず、地検に来るよう求めただけでは明らかな過失で義務違反とした。また、テレホンカードの通話度数を不当に増やして売った行為につき、「テレホンカードも有価証券」と認定し、変造罪を成立させた。この判決は、後の刑法改正(支払い用カード電磁的記録に関する罪)の呼び水となった。
大堀誠一 おおほり せいいち 検察官 1988/06/17 1995/08/10 「武蔵高校在学中に父から『理科へ進め』と言われたのです。父は弁護士でしたが、どうも法律の仕事が好きではないらしく、『理科へ』というのは厳命でした」と話す。東北帝国大学工学部航空学科卒で、理系学部出身者では初の最高裁判事。学生当時は戦争のただ中だったが、理系学生は徴兵延期で、勤労動員として群馬県の工場で木製の飛行機を造っていた。そのころ墜落した米軍機を目撃。「日米の飛行機の工作技術には、格段の差があったのです。航空学科の私にはショックでした」 卒業後は、知人の会社で企業再建の仕事を行い、それがきっかけで戦後の新しい法律に触れる。弁護士を半年間経験した後に検事に。東京地検特捜部で「武州鉄道事件(営業免許取得をめぐる贈賄)」の捜査に加わった。また、東京地検検事正や最高裁次長検事などを歴任。「ロッキード事件の公判開始のときは東京地検の次席、一審判決が出たときは検事正でした」  …この経歴から、最高裁にロッキード事件丸紅ルートが係属された際は、審理に関与しなかった。大阪府知事の交際費公開を求めた訴訟では、「行政事務への支障・個人のプライバシー重視」を理由に、全面公開を認めた原審判決を破棄差し戻しした。非嫡出子(婚外子)の法定相続分訴訟で、嫡出子の半分とした民法900条を「法律婚主義のたてまえからは合理的な区別」とした法廷意見に賛同。一票の価値の最大格差が3.18倍となった1990年衆院選の議員定数不均衡訴訟について、「違憲的状態だが、かろうじて合憲」とする多数意見に付いた。退官後になって、「オウム事件はちょうど退官の年でした。予想もつかない事件で、日本の治安には危機感を持つようになりました」と話す。生の実感を持つ機会が減り、欲望だけが肥大化する世の中を懸念した。
園部逸夫 そのべ いつお 法律学者
裁判官
1989/09/21 1999/03/31 専門は行政法。京都大学助教授から裁判官に転身。最高裁で主席調査官なども務め、再び大学に戻る。筑波大学・成蹊大学教授から最高裁入り。死刑確定者に対し、14歳の義理の親族との面会を許可しなかった国の措置を違法とした。「幼年者の面会を一律に禁じた監獄法施行規則は、規制として行きすぎ」というのがその理由。公務員法の争議行為禁止・あおり行為処罰に関する埼玉県教組事件について、4代横田長官時代の「東京都教祖事件」を引用して、刑事不処罰とする反対意見。非嫡出子(婚外子)の法定相続分訴訟で、嫡出子の半分とした民法900条を「法律婚主義のたてまえからは合理的な区別」とした法廷意見に賛同しながらも「国民意識の変化や、世界的な平等化の潮流から、格差は合理性が失われつつある」との補足意見を付す。一票の価値の最大格差が3.18倍となった1990年衆院選の議員定数不均衡訴訟について、「憲法違反である」とする反対意見を出した。ロッキード事件(丸紅ルート)で、運輸大臣から全日空へのトライスラー機売り込みは「大臣の職務権限」とし、首相から運輸大臣への働きかけについても「特別具体的な閣議決定が無くても、内閣の明示の意思に反しない限り、首相は行政各部へ指示する権限がある。よって首相の職務権限行為」とした法廷意見に賛同し、「閣議の方針決定を欠く場合でも、憲法上の指揮監督権をすべて失うものではない」とする補足意見を付す。当時の橋本首相が大田沖縄県知事に米軍基地用地強制使用の代理署名を求め、知事が拒否した事件で、最高裁は拒否を認めない判断を下したが、「本件のような職務執行命令訴訟において、裁判所が、日米安全保障条約及びそれに基づく日米地位協定、さらに、その施行法的な性格を有する駐留軍用地特措法の下で、日本国の安全に関する国の高度の政治的、外交的判断に立ち入って本件使用認定の適法性を審査することは、司法権の限界を超える可能性があると考える」との補足意見を付した。裁判官の政治活動(通信傍受法案等反対シンポジウムに参加)を理由とする懲戒処分に関して、「処分は適法」とする法廷意見に対し「積極的に政治運動したというだけで懲戒処分にすることは、裁判所法の禁止行為と懲戒理由に対応関係がなく、認められない」とする反対意見。
草場良八 くさば りょうはち 裁判官 1989/11/27 1995/11/07 12代長官。福岡県出身。刑事事件が専門で、東京地裁では学生運動の事件を裁いてきた。その後、最高裁秘書課長として新聞記者への広報活動。最高裁事務総長時代には、簡易裁判所の統廃合や、報道機関による法廷内写真撮影解禁をまとめあげた。最高裁判事になって3ヶ月で長官に就任したため、小法廷の審理はほとんどタッチしていない。長官就任の挨拶では、「司法の良き伝統を受け継ぎ、国民からいっそう信頼されうる司法の確立のため、全力を尽くす」と述べた。さらに「陪審・参審制は司法制度の根幹に関わる問題であり、腰を落ち着けて取り組みたい」と、矢口長官の路線を踏襲することを誓った。大法廷では、移り変わる時代背景の中、非常に重要な事案を担当し、取りしきった。一票の価値の最大格差が3.18倍となった1990年衆院選の議員定数不均衡訴訟について、「違憲的状態だが、かろうじて合憲」とする多数意見に付いた。非嫡出子(婚外子)の法定相続分訴訟で、嫡出子の半分とした民法900条を「法律婚主義のたてまえからは合理的な区別」とした法廷意見に賛同。ロッキード事件(丸紅ルート)で、運輸大臣から全日空へのトライスラー機売り込みは「大臣の職務権限」とし、首相から運輸大臣への働きかけについても「特別具体的な閣議決定が無くても、内閣の明示の意思に反しない限り、首相は行政各部へ指示する権限がある。よって首相の職務権限行為」とした法廷意見に賛同しながら、「丸紅会長の行為は、総理の職務密接関連行為の対価として供与されたもの」との意見を付した。退官に際しては、「組織が生き生きするためには新しい血を入れる必要があるが、資格が要求される裁判官には簡単に行かない。外の世界で新しい者を吸収して戻ってくれば、裁判に必要な見識が養われると思う」と述べた。
橋元四郎平 はしもと しろうへい 弁護士 1990/01/11 1993/04/12 学徒出陣で軍隊へ行き、敗戦時には陸軍少尉。大学卒業後は、郷里の福島県に戻り家業の薬局を手伝っていたが、再度上京し司法試験に合格。日弁連事務総長を務めた。休暇闘争で懲戒処分になった北海道教職員組合員647人の上告を棄却。小法廷5人全員一致の結論だったが、補足意見として「判決が引用した岩手県教組学テ事件の判例は、従来の判断を変更し、地方公務員の争議行為に一律に刑事罰を科すことも合憲としている。しかし、その理由付けには疑問がある」と述べ、刑事罰と懲戒処分とでは異なる基準を採用すべきではないかと示唆した。また、武蔵野市の宅地開発指導要綱にもとづいて、乱開発を防止する目的で、マンションの建設主が「教育施設負担金」を納付させられた訴訟で「納付は事実上の強制であり、違法な公権力の行使」と判断し、東京高裁に差し戻し、裁判のやり直しを命じた。一票の価値の最大格差が3.18倍となった1990年衆院選の議員定数不均衡訴訟について、「憲法違反である」とする反対意見を出した。
中島敏次郎 なかじま としじろう 行政官 1990/01/24 1995/09/01 外交官として、外務省条約局長、オーストラリア大使、中国大使などを歴任。最高裁では、愛知県県議選の定数配分訴訟で、一票の価値の最大格差が違法状態にあると宣言した原審を取り消し、逆転の適法判断。また、未熟児網膜症で重い視力障害が残ったという幼児の事案では「原告の出生当時、被告病院に、当時の医療水準に見合った未熟児網膜症の治療技術が確立されていたかどうか、もっと審理を尽くす必要がある」として、原告敗訴の原審判決を取り消し、差し戻した。非嫡出子(婚外子)の法定相続分訴訟で、嫡出子の半分とした民法900条を「法律婚主義のたてまえからは合理的な区別」とした法廷意見に対し「出生についての責任は親にあり、にもかかわらず子を法律上差別することは、個人の尊厳・平等原則を規定した憲法に違反する」との反対意見。一票の価値の最大格差が3.18倍となった1990年衆院選の議員定数不均衡訴訟について、「憲法違反である」とする反対意見を出した。ロッキード事件(丸紅ルート)で、運輸大臣から全日空へのトライスラー機売り込みは「大臣の職務権限」とし、首相から運輸大臣への働きかけについても「特別具体的な閣議決定が無くても、内閣の明示の意思に反しない限り、首相は行政各部へ指示する権限がある。よって首相の職務権限行為」とした法廷意見に賛同しながら、「丸紅会長の行為は、総理の職務密接関連行為の対価として供与されたもの」との意見を付した。
佐藤庄市郎 さとう しょういちろう 弁護士 1990/02/20 1994/02/15 戦時中は海軍に召集され、復員後、1950(S25)年に弁護士登録。翌年には、外国人弁護士と事務所を開き、渉外弁護士の草分け的存在に。石油会社や商社の顧問弁護士を務めた。日弁連事務総長、第一東京弁護士会会長を歴任。日弁連の会長選挙にも臨むが敗退。政治やイデオロギーを超えた、法務省や最高裁との対話の必要性を主張したが、自主独立を鮮明にしたい若手弁護士陣営から反発を受けたことが敗因とみられた。最高裁では、一票の価値の最大格差が3.18倍となった1990年衆院選の議員定数不均衡訴訟について、「憲法違反である」とする反対意見を出した。ボーダーラインとして『2倍以上の格差は違憲』との基準も示した。「個室付き浴場」の進出・開業を阻止する目的で、地元の町が児童福祉施設の認可申請をし、それを県が認可した事件を担当。福祉施設の認可事業は、国から県への機関委任事務に該当するが、原審は県だけでなく国の責任も追加して認めていた。この二審判決が「当事者の申し立てていない事項の判決をした」として、処分権主義違反として裁判のやり直しを命じた。
可部恒雄 かべ つねお 裁判官 1990/05/10 1997/03/08 東京地裁民事部では、約1万人の被害者を出した薬害スモンの東京訴訟を担当。一部ながら国の責任を認めるなど、和解や判決に取り組んだ。水戸地裁所長、福岡高裁長官を歴任し、最高裁判事に。就任の挨拶では「気力・体力・勇気を振り絞って取り組みたい」と述べた。最高裁が国寄りの判断ばかりしているとの批判については「判決までは、相手が誰であろうが批判者でありたい。判決は100年のちまで批判を受けることを考え、審理にあたりたい」と話した。公害訴訟、とくに複数のじん肺訴訟で被害者救済を広げる判断を行った。一票の価値の最大格差が3.18倍となった1990年衆院選の議員定数不均衡訴訟について、「違憲的状態だが、かろうじて合憲」とする多数意見に付いた。非嫡出子(婚外子)の法定相続分訴訟で、嫡出子の半分とした民法900条を「法律婚主義のたてまえからは合理的な区別」とした法廷意見に賛同し「法律婚主義に立つ以上、一律平等は配偶者には容認しがたい」とする補足意見を付す。正を望む」との補足意見を付す。ロッキード事件(丸紅ルート)で、運輸大臣から全日空へのトライスラー機売り込みは「大臣の職務権限」とし、首相から運輸大臣への働きかけについても「特別具体的な閣議決定が無くても、内閣の明示の意思に反しない限り、首相は行政各部へ指示する権限がある。よって首相の職務権限行為」とした法廷意見に賛同し、「憲法72条(総理の職務)、内閣法6条(総理の指揮監督)を根拠として首相の職務権限を解釈した原判決は是認」とする補足意見を付す。日本に定住している外国人の地方選挙権について、「法整備があれば、首長や議員を選挙する権利を定住外国人に付与しても、憲法には反しない。立法の問題」と判断した。当時の外国人登録法で、1年以上在留する外国人に指紋押捺を義務づけ(1999年廃止)ていた問題で「戸籍がないので、外国人の特定に最も確実な制度」として合憲判断。愛媛玉串料 公費支出訴訟(政教分離が問題)で、いわゆる目的効果基準に照らし「県が他の宗教団体の挙行する同種の儀式に同様な支出をした事実が疑われず、県が意識的に特別のかかわりをしたことを否定できない」とし、2審の合憲判決を破棄し違憲とした法廷意見に対して、「多数意見はいたずらに国家神道の影におびえるものとの感を持つ。本件は例大祭などで比較的少額の玉串料を奉納したのが実態。もっぱら精神面における印象や象徴を重要な手がかりとして決せられてはならない」とする反対意見を出した。
木崎良平 きざき りょうへい 弁護士 1990/09/03 1994/07/24 父親も弁護士。戦前は、在学中に高等文官司法科試験に合格していたが、学徒動員で満州へ。現地で病に倒れ、療養所で敗戦を迎える。ソ連に抑留されるが脱走。苦労を重ねながら帰国し、弁護士登録。薬害訴訟では会社側代理人を務めていた。一方で、国選弁護で獲得した無罪判決が2件。そんな弁護士生活40年間の中で、最高裁の法廷で弁論したのは1回のみ。最高裁判事としては、一票の価値の最大格差が3.18倍となった1990年衆院選の議員定数不均衡訴訟について、「憲法違反である」とする反対意見を出した。ボーダーラインとして『2倍以上の格差は違憲』との基準も示したうえ、少数意見組で唯一、事情判決法理を援用せず「格差2倍以上の選挙区に限り、1年間の猶予期間を設けて、それでも立法府で改善されなければ選挙は無効とすべき」との強硬な立場を表明した。デモ行進に参加した雑誌編集者が警視庁の機動隊員に殴られた事件で、「負傷が機動隊員の暴行によるものとは断定できない」として、原告勝訴の原審を破棄、裁判やりなおしを命じた。勤務時間中に組合員バッヂ着用を禁じた命令に違反したとして、桜島の降灰処理作業をさせられたのは人権侵害とした訴訟で、「職場の規律を維持するため、支障の少ない屋外作業を命じたもので、職場管理上やむをえない」として、原告側逆転敗訴を言い渡した。
味村 治 みむら おさむ 検察官
行政官
1990/12/10 1994/02/06 初めは裁判官志望だったが、「生々しい現実に触れたい」と検事に。東京地検から法務省司法法制調査部長。同民事局にも17年間在籍し、株式の譲渡を制限した商法改正に携わった。その法務省勤務を経て、内閣法制局へ。長官時代には「天皇に戦争責任はない」「大喪の礼は、政教分離を定めた憲法に反しない」などの政府見解をまとめ、野党からの批判も受けた。新元号「平成」の決定にも参画した。最高裁では、一票の価値の最大格差が3.18倍となった1990年衆院選の議員定数不均衡訴訟で多数意見組に入ったが「本件に違憲状態はない。合憲違憲の判断は、選挙区ごとに判断すべき」との独自意見も表明。厚木基地騒音訴訟では、行政訴訟の範囲をやや広げる補足意見。
大西勝也 おおにし かつや 裁判官 1991/05/13 1998/09/09 「アカデミックな雰囲気が魅力的」と、裁判官を選択。京都地裁、東京高裁など、裁判の現場を歩んだ一方、裁判官キャリアの半分以上は、地裁所長や高裁長官、最高裁事務総局などの司法行政が占めた。最高裁人事局長時代には、判事補が破産管財人から背広を受け取った収賄事件が発覚。国会の裁判官弾劾裁判所に証人として立つなどの経験もした。最高裁判事としては、一票の価値の最大格差が3.18倍となった1990年衆院選の議員定数不均衡訴訟について、「違憲的状態だが、かろうじて合憲」とする多数意見に付いた。自動車に同乗していた内縁の妻は、対人賠償保険約款の免責対象となる「配偶者」に該当するとの判断。また、政治資金報告書のコピーを市民が請求した事件で、「政治資金規制法は、写しの公布を権利として保障していない」と判断。さらに、酒酔い運転でセンターラインを越えてきた対向車を避けられずに衝突した事故で、「衝突までの1秒間に回避措置を採ることは、経験則上不可能」として、運転者に過失は無いという逆転無罪判決。非嫡出子(婚外子)の法定相続分訴訟で、嫡出子の半分とした民法900条を「法律婚主義のたてまえからは合理的な区別」とした法廷意見に賛同しながらも「国民意識の変化や、世界的な平等化の潮流から、格差は合理性が失われつつある」との補足意見を付す。ロッキード事件(丸紅ルート)で、運輸大臣から全日空へのトライスラー機売り込みは「大臣の職務権限」とし、首相から運輸大臣への働きかけについても「特別具体的な閣議決定が無くても、内閣の明示の意思に反しない限り、首相は行政各部へ指示する権限がある。よって首相の職務権限行為」とした法廷意見に賛同し、「憲法72条(総理の職務)、内閣法6条(総理の指揮監督)を根拠として首相の職務権限を解釈した原判決は是認」とする補足意見を付す。
小野幹雄 おの もとお 裁判官 1992/02/12 2000/03/15 刑事専門の裁判官。少年時代は、父親の任地サハリン(旧樺太)に住み、戦後に引き揚げてから家計を助けるなど、苦労を重ねた。最高裁入りするまでの37年間のキャリア中、23年間を裁判現場で過ごした。東京地裁では、法廷でヤジを飛ばした傍聴人を監置処分にしたことがある。また、東京高裁では、実刑判決を破棄し、執行猶予をつけたりもした。最高裁では、地方公共団体の公金支出をめぐる損害賠償請求訴訟で、訴訟の途中で決済権者を間違えていることに気づいた場合も「行政組織は複雑」であることを理由に、被告の変更を許した。ただし、被告変更の届け出は損害賠償請求権の消滅時効(5年)の完成前に限るとする条件を付けた。一票の価値の最大格差が3.18倍となった1990年衆院選の議員定数不均衡訴訟について、「憲法違反である」とする反対意見を出した。ボーダーラインとして『3倍以上の格差は違憲』との基準も示した。ロッキード事件(丸紅ルート)で、運輸大臣から全日空へのトライスラー機売り込みは「大臣の職務権限」とし、首相から運輸大臣への働きかけについても「特別具体的な閣議決定が無くても、内閣の明示の意思に反しない限り、首相は行政各部へ指示する権限がある。よって首相の職務権限行為」とした法廷意見に賛同し、「憲法72条(総理の職務)、内閣法6条(総理の指揮監督)を根拠として首相の職務権限を解釈した原判決は是認」とする補足意見を付す。殺人予備容疑(サリン精製)に基づくオウム真理教の宗教法人解散を認めた決定の裁判長。「著しく公共の福祉を害し、宗教団体の目的を逸脱した行為に対処するには、解散が必要かつ適切で、それにともない教団や信者らの宗教行為に支障が生じても間接的なものにとどまる」と根拠づけた。
三好 達 みよし とおる 1→2 裁判官 1992/03/25 1997/10/30 13代長官。海軍兵学校最後の卒業生で、東大法学部から民事裁判官として任官。東京地裁などで裁判の現場を歩みつつ、司法研修所所長になったときには、修習生に「俸給をもらいながら勉強できるんだから、サボったらいかん」と諭した。最高裁主席調査官をしていたころは、法廷メモ解禁(レペタ訴訟)の調査を担当。最高裁判事に就任する少し前に、夫人に先立たれ、「自分のことは自分でする」と、ひとりスーパーで買い物する一面も。長官就任挨拶で「立法・行政よりも先回りして意見を開陳することは原則としてするべきではない。裁判所はオールマイティではないことを国民に理解してもらいたい」と述べた。一票の価値の最大格差が3.18倍となった1990年衆院選の議員定数不均衡訴訟について、「違憲的状態だが、かろうじて合憲」とする多数意見に付いた。最高裁判事としては、ほとんど全員一致や多数意見側。ロッキード事件(丸紅ルート)で、運輸大臣から全日空へのトライスラー機売り込みは「大臣の職務権限」とし、首相から運輸大臣への働きかけについても「特別具体的な閣議決定が無くても、内閣の明示の意思に反しない限り、首相は行政各部へ指示する権限がある。よって首相の職務権限行為」とした法廷意見に賛同しながら、「丸紅会長の行為は、総理の職務密接関連行為の対価として供与されたもの」との意見を付した。栃木県の公文書開示条例に基づいて、知事交際費の現金出納簿の公開請求を求めた住民の訴訟に対し、一部が審理不十分として原審差し戻しの判決。「交際相手が識別できる文書は原則非公開」との判断も示した。愛媛玉串料 公費支出訴訟(政教分離が問題)で、いわゆる目的効果基準に照らし「県が他の宗教団体の挙行する同種の儀式に同様な支出をした事実が疑われず、県が意識的に特別のかかわりをしたことを否定できない」とし、2審の合憲判決を破棄し違憲とした法廷意見に対し「多くの国民の意識では、護国神社は戦没者をしのび追悼・慰霊する中心的的施設。特定の宗教を超えての国に殉じた人々の慰霊を象徴する標柱。よって公費支出に宗教的意義はなく合憲」とする反対意見を出した。
大野正男 おおの まさお 弁護士 1993/04/01 1997/09/02 いったん会社勤めをした後に弁護士登録。「悪徳の栄え」わいせつ文書事件、西山記者事件(新聞記者が女性外務省職員とねんごろの関係を持って、機密文書を持ち出そうとした事件)の弁護人を担当。最高裁では、非嫡出子(婚外子)の法定相続分訴訟で、嫡出子の半分とした民法900条を「法律婚主義のたてまえからは合理的な区別」とした法廷意見に対し「出生についての責任は親にあり、にもかかわらず子を法律上差別することは、個人の尊厳・平等原則を規定した憲法に違反する」との反対意見。ロッキード事件(丸紅ルート)で、運輸大臣から全日空へのトライスラー機売り込みは「大臣の職務権限」とし、首相から運輸大臣への働きかけについても「特別具体的な閣議決定が無くても、内閣の明示の意思に反しない限り、首相は行政各部へ指示する権限がある。よって首相の職務権限行為」とした法廷意見に賛同し、「閣議の方針決定を欠く場合でも、憲法上の指揮監督権をすべて失うものではない」とする補足意見を付す。市民会館の使用不許可をめぐる訴訟で、住民の集会の自由との兼ね合いで、市が不許可とできる条件として「差し迫った危険が具体的に予見されること」という厳格なものを付けた。当時の橋本首相が大田沖縄県知事に米軍基地用地強制使用の代理署名を求め、知事が拒否した事件で、最高裁は拒否を認めない判断を下したが、「米軍基地が沖縄に集中し、地元住民に課せられる負担が大きい事実は認められるが、基地用地の使用認定をすべて無効とする主張を認容することは、外交上・行政上の多元的問題まで考慮しなければならず、司法審査の限界を超えている」との補足意見を付した。愛媛玉串料 公費支出訴訟(政教分離が問題)で、いわゆる目的効果基準に照らし「県が他の宗教団体の挙行する同種の儀式に同様な支出をした事実が疑われず、県が意識的に特別のかかわりをしたことを否定できない」とし、2審の合憲判決を破棄し違憲とした法廷意見に「宗教的意義を否定できない」とする補足意見を付した。

大白 勝 おおしろ まさる 弁護士 1993/04/13 1995/02/13
(依願免)
父親も弁護士で、2代にわたって神戸弁護士会会長を務めた。窃盗被告のアリバイを証明し、無罪判決を獲得したことも。最高裁入りに際して、「裁判官と弁護士は同じ修習を受けた者。育った畑は違ってもこだわらない」と挨拶。1審と2審で判断が分かれた長良川水害訴訟で、2審で敗訴した原告の上告を棄却。また、これも1審有罪と2審で無罪と結論が分かれた撚糸工連事件の口頭弁論を開く予定が、病気のため延期。まもなく任期を3年近く残して途中辞任した。
千種秀夫 ちぐさ ひでお 裁判官 1993/09/13 2002/02/20 法務省人事局で、妻の法定相続分を増やす民法改正などに従事。その後、最高裁事務総局からストレートでの任命。キャリア裁判官出身の最高裁判事は、事務総長から高裁長官を経て任命されるパターンが主流であることを考えると異例の人事。小学校教諭が球技指導中に脳内出血で死亡した事故で、「体調不良を訴えた時点で、診察や手術をしていれば、死亡に至らなかった可能性を否定できない」として、過労死の可能性を審理し尽くすべく、原審差し戻し。公職選挙法改正で、連座制の対象が秘書にまで拡大されたことについて、「必要、合理的」とした。非嫡出子(婚外子)の法定相続分訴訟で、嫡出子の半分とした民法900条を「法律婚主義のたてまえからは合理的な区別」とした法廷意見に賛同しながらも「子どもの権利重視の立場から、格差の疑問視には理解できる。しかし、現状では著しく不合理とはいえず、立法による改正を望む」との補足意見を付す。ロッキード事件(丸紅ルート)で、運輸大臣から全日空へのトライスラー機売り込みは「大臣の職務権限」とし、首相から運輸大臣への働きかけについても「特別具体的な閣議決定が無くても、内閣の明示の意思に反しない限り、首相は行政各部へ指示する権限がある。よって首相の職務権限行為」とした法廷意見に賛同し、「閣議の方針決定を欠く場合でも、憲法上の指揮監督権をすべて失うものではない」とする補足意見を付す。信仰上の理由から輸血を拒否したのに、手術の際に輸血をしたと、「エホバの証人」信者が病院側を提訴した事件で、この場合の輸血は「人格権の侵害」と判断した。
根岸重治 ねぎし しげはる 検察官
行政官
1994/01/11 1998/12/03 東大2年次に司法試験合格。卒業後、名古屋地検、東京地検から、オランダ大使館に勤務。法務省刑事局、秘書課長、甲府地検検事正、法務省官房長、刑事局長、内閣法制局参事官、最高検刑事部長、高松高検検事長と、検察業務と法務行政を行ったり来たりした。最高検次長検事でいったん退官後、プロ野球フリーエージェント問題研究専門委員会委員を務め、2年後に最高裁へ。スキー場での接触事故で「上の方にいる人が、下の人と衝突しないようにスピードやコースを調節する義務がある」とし、責任の範囲を広めた。また、市の福祉会館を葬儀目的で労働組合が使用しようと申請したのを、警備上の理由で拒否した問題で、集会の自由を侵すおそれがあるとして、審理を原審に差し戻した。同時に判決理由の中で「拒否できるのは、具体的な支障が認められるときに限られる」という基準を示した。
高橋久子 たかはし ひさこ 行政官 1994/02/09 1997/09/20 わが国で女性初の最高裁判事。当時の細川内閣の指示で実現したとされる。東京大学法学部卒業後、労働省で婦人少年局長などを歴任しての起用。「最高裁に女性が入るべきとは思っていましたが、『まさか自分とは』と、びっくりしました」と挨拶。また、「女性の100パーセント近い人が結婚で名前を変え、私もその痛みを経験しました」と、夫婦別姓に理解を示す発言も。わいせつビデオテープの個人的な密輸入事件で、原審の無罪判決を破棄し差し戻した。また、家裁で少年院送致の保護処分を受けた後で、無罪を理由に抗告して高裁で認められ、今度は家裁から検察に逆送されて起訴された少年事件について「不利益変更は無効」との判断。非嫡出子(婚外子)の法定相続分訴訟で、嫡出子の半分とした民法900条を「法律婚主義のたてまえからは合理的な区別」とした法廷意見に対し「出生についての責任は親にあり、にもかかわらず子を法律上差別することは、個人の尊厳・平等原則を規定した憲法に違反する」との反対意見。ロッキード事件(丸紅ルート)で、運輸大臣から全日空へのトライスラー機売り込みは「大臣の職務権限」とし、首相から運輸大臣への働きかけについても「特別具体的な閣議決定が無くても、内閣の明示の意思に反しない限り、首相は行政各部へ指示する権限がある。よって首相の職務権限行為」とした法廷意見に賛同しながら、「丸紅会長の行為は、総理の職務密接関連行為の対価として供与されたもの」との意見を付した。当時の橋本首相が大田沖縄県知事に米軍基地用地強制使用の代理署名を求め、知事が拒否した事件で、最高裁は拒否を認めない判断を下したが、「米軍基地が沖縄に集中し、地元住民に課せられる負担が大きい事実は認められるが、基地用地の使用認定をすべて無効とする主張を認容することは、外交上・行政上の多元的問題まで考慮しなければならず、司法審査の限界を超えている」との補足意見を付した。愛媛玉串料 公費支出訴訟(政教分離が問題)で、いわゆる目的効果基準に照らし「県が他の宗教団体の挙行する同種の儀式に同様な支出をした事実が疑われず、県が意識的に特別のかかわりをしたことを否定できない」とし、2審の合憲判決を破棄し違憲とした法廷意見に「目的効果基準があいまい」とする補足意見を付した。
尾崎行信 おざき ゆきのぶ 弁護士 1994/02/16 1999/04/18 祖父は「護憲の神様」の異名を取った政治家、尾崎行雄。司法修習当時は裁判官志望だったが、能動的に動く仕事として弁護士を選択。米ハーバード大学ロースクールに2年間留学。さらにニューヨークの弁護士事務所で、訴訟社会の実態を肌で感じた。帰国後に、弁護士実務の一方、日弁連で弁護士倫理や陪審制度にむけた調査研究を行った。第一東京弁護士会会長。最高裁では、非嫡出子(婚外子)の法定相続分訴訟で、嫡出子の半分とした民法900条を「法律婚主義のたてまえからは合理的な区別」とした法廷意見に対し「出生についての責任は親にあり、にもかかわらず子を法律上差別することは、個人の尊厳・平等原則を規定した憲法に違反する」との反対意見。ロッキード事件(丸紅ルート)で、運輸大臣から全日空へのトライスラー機売り込みは「大臣の職務権限」とし、首相から運輸大臣への働きかけについても「特別具体的な閣議決定が無くても、内閣の明示の意思に反しない限り、首相は行政各部へ指示する権限がある。よって首相の職務権限行為」とした法廷意見に賛同し、「総理の指揮監督権は、行政事務全般へ及ぶ」とする補足意見を付す。初期段階のガン告知をしなかった医師の責任をめぐり、遺族側の上告を棄却。「当時(1983年)は初診の患者には告知しないのが一般的。まず入院させ、精密検査をしようとしたのはやむを得ない措置」と理由を述べた。ビルを暴力団に入居させないため、付近住民が使用禁止を求めた訴訟で、住民側の主張を認めた。当時の橋本首相が大田沖縄県知事に米軍基地用地強制使用の代理署名を求め、知事が拒否した事件で、最高裁は拒否を認めない判断を下したが、「米軍基地が沖縄に集中し、地元住民に課せられる負担が大きい事実は認められるが、基地用地の使用認定をすべて無効とする主張を認容することは、外交上・行政上の多元的問題まで考慮しなければならず、司法審査の限界を超えている」との補足意見を付した。愛媛玉串料 公費支出訴訟(政教分離が問題)で、いわゆる目的効果基準に照らし「県が他の宗教団体の挙行する同種の儀式に同様な支出をした事実が疑われず、県が意識的に特別のかかわりをしたことを否定できない」とし、2審の合憲判決を破棄し違憲とした法廷意見に「目的効果基準があいまい」とする補足意見を付した。アメリカの写真家メイプルソープの写真集が、わいせつ文書とされた問題で、輸入禁止を適法とした多数意見に対し、「社会のわいせつ概念が変化している」と反対意見を出した。裁判官の政治活動(通信傍受法案等反対シンポジウムに参加)を理由とする懲戒処分に関して、「処分は適法。分限裁判は実質的な行政処分であり、裁判公開の憲法82条は適用されない」とする法廷意見に対し「分限裁判も、処分される者が希望する場合は公開にすべき」とする反対意見。
河合伸一 かわい しんいち 弁護士 1994/07/25 2002/06/10 いったん裁判官になったが、家庭の事情で弁護士に。夫人も弁護士。非嫡出子(婚外子)の法定相続分訴訟で、嫡出子の半分とした民法900条を「法律婚主義のたてまえからは合理的な区別」とした法廷意見に賛同しながらも「子どもの権利重視の立場から、格差の疑問視には理解できる。しかし、現状では著しく不合理とはいえず、立法による改正を望む」との補足意見を付す。ロッキード事件(丸紅ルート)で、運輸大臣から全日空へのトライスラー機売り込みは「大臣の職務権限」とし、首相から運輸大臣への働きかけについても「特別具体的な閣議決定が無くても、内閣の明示の意思に反しない限り、首相は行政各部へ指示する権限がある。よって首相の職務権限行為」とした法廷意見に賛同し、「閣議の方針決定を欠く場合でも、憲法上の指揮監督権をすべて失うものではない」とする補足意見を付す。「エホバの証人」信者の高専生が、絶対平和主義の教義に基づき、剣道の授業を拒否して退学処分とされた問題で、「退学処分で受ける生徒の不利益は相当なもの。校長の処分は裁量権を逸脱している」として、処分を違法とした。また、「剣道の拒否は信仰の核心部分と密接に関連した真摯なもの。剣道が高等専門学校教育にとって必須ともいえない」とも指摘した。死刑確定者が新聞に死刑制度反対の投稿をしようとした際、拘置所が不許可としたことにつき国家賠償を求めた訴訟で、不許可処分を適法とした多数意見に対し「拘置所長が具体的判断をしたかどうかの立証がない」として、処分違法の反対意見。裁判官の政治活動(通信傍受法案等反対シンポジウムに参加)を理由とする懲戒処分に関して、「処分は適法」とする法廷意見に対し「本件のような事案を懲戒の先例にすることは適切ではない」とする反対意見。
遠藤光男 えんどう みつお 弁護士 1995/02/13 2000/09/12 大学在学中は、司法試験勉強の傍ら、弁論部などのサークル活動も積極的に参加。また、大学の先輩、小谷勝重最高裁判事からの直々の指導も受けたという。東京弁護士会に所属していた。最高裁では、非嫡出子(婚外子)の法定相続分訴訟で、嫡出子の半分とした民法900条を「法律婚主義のたてまえからは合理的な区別」とした法廷意見に対し「出生についての責任は親にあり、にもかかわらず子を法律上差別することは、個人の尊厳・平等原則を規定した憲法に違反する」との反対意見。原審で死刑判決を受けていて、結審間近の口頭弁論を前に、弁護人の選任解任を続けていた被告人の態度を「時間稼ぎ」と判断、即結審したことがある。労働者が会社の更衣室で始業時刻を過ぎた後に作業着に着がえたことを理由に賃金カットされた事件で、そうした着替えの時間も「労働時間」に含まれると初めて認定。カットした賃金全額の支払いを会社側に命じた。当時の橋本首相が大田沖縄県知事に米軍基地用地強制使用の代理署名を求め、知事が拒否した事件で、最高裁は拒否を認めない判断を下したが、「米軍基地が沖縄に集中し、地元住民に課せられる負担が大きい事実は認められるが、基地用地の使用認定をすべて無効とする主張を認容することは、外交上・行政上の多元的問題まで考慮しなければならず、司法審査の限界を超えている」との補足意見を付した。裁判官の政治活動(通信傍受法案等反対シンポジウムに参加)を理由とする懲戒処分に関して、「処分は適法」とする法廷意見に対し「裁判官としての独立性が著しく損なわれたとは断定できない。積極的に政治運動したと認定するのは困難」とする反対意見。
井嶋一友 いじま かずとも 検察官 1995/08/11 2002/10/06 札幌・東京各地検に赴任した後、従来から法務省から出向する慣習になっている駐オランダ大使館で勤務。法務省刑事局、甲府地検検事正、法務省刑事局長、高松高検検事長、最高検次長検事など、検察官の要職をしっかり押さえて最高裁へ。戦時中に日本軍属だった在日韓国人とその遺族が、戦傷病者戦没者等援護法による障害年金の支給を求めた訴訟で、原告の上告を棄却した。日本人との差別状態を認めながらも、立法府の裁量と判断。
藤井正雄 ふじい まさお 裁判官 1995/11/07 2002/11/06 最高裁勤務はないが、法務省勤務が比較的長かった。大阪高裁長官から最高裁へ。裁判所の調停中に、別居している夫が実力で子どもを連れ去り、妻が人身保護法に基づいて子どもの引き渡しを求めた裁判で、妻の請求を認めた。夫は「年収は4400万あり、子どもは実家の祖父母になついている」と主張していたが、「調停手続きを無視し、妻の信頼を裏切った夫の行為は違法」と断じた。当時の橋本首相が大田沖縄県知事に米軍基地用地強制使用の代理署名を求め、知事が拒否した事件で、最高裁は拒否を認めない判断を下したが、「米軍基地が沖縄に集中し、地元住民に課せられる負担が大きい事実は認められるが、基地用地の使用認定をすべて無効とする主張を認容することは、外交上・行政上の多元的問題まで考慮しなければならず、司法審査の限界を超えている」との補足意見を付した。いわゆる東電OL殺人事件で、一審無罪のネパール人被告の身柄拘束について、「記録などの調査だけで疑いがあるとして拘置を認めるのは、一審判決を軽く扱うもので妥当とはいい難い」との反対意見を示した。
山口 繁 やまぐち しげる
→2
→3
裁判官 1997/03/10 2002/11/03 14代長官。「自己の良心、責任で独立した仕事ができる魅力を感じて」裁判官に。若い頃から将来を嘱望されていたような派手な存在ではなく、手堅さが身上。岡山地裁から東京高裁事務局長、最高裁総務局長、甲府地裁所長、東京高裁判事、司法研修所長、福岡高裁長官などを歴任。最高裁事務総長時代は、全国の簡易裁判所の統廃合を手がけ、存続を求める地方からの陳情や国会での質問に対応した。最高裁長官の任期中、陪審や参審制度についてコメントし、「制度の中身は採用する国によって様々。問題点を冷静に比較考察する必要がある」と述べた。
元原利文 もとはら としふみ 弁護士 1997/09/08 2001/04/21 関西地方を拠点に活動する弁護士として、兵庫県地方労働委員会委員長などを歴任した。阪神大震災で、法律事務所が被災。震災によって土地建物に関する紛争が多発することを見込んで、神戸地裁に調停委員の増員、調停室の補充などを進言した。最高裁判事に就任した際、「公衆浴場開設の距離制限が有効で、薬局新設のときの距離制限が違憲無効と判断されたが、その違いがいまもってわからない」と述べた。裁判官の政治活動(通信傍受法案等反対シンポジウムに参加)を理由とする懲戒処分に関して、「処分は適法」とする法廷意見に対し「裁判官の発言は、法案の反対運動に参加し、廃案を明確に訴えていると認めるにはほど遠い」とする反対意見。
大出峻郎 おおで たかお 行政官 1997/09/24 2001/12/19
(依願免)
内閣法制局出身。「現代地方自治全集」などの著書もある。広島 福山市が区画事業の際、一時的に保留した土地を時価より安く売り払ったのは違法だとして市民が提訴した訴訟で、「保留地は市の財産に当たらず、住民訴訟の対象にならない」とした原審を破棄し、差し戻した。勤務中のくも膜下出血は過労が原因なのに、労災の休業補償を認めなかった事件では、労働基準監督署側の逆転敗訴を言い渡した。
北川弘治 きたがわ ひろはる 裁判官 1998/09/10 2004/12/26 名古屋大学卒で、釧路地裁などで裁判の現場を渡り歩いた後、最高裁調査官、東京家裁所長、福岡高裁長官を歴任して最高裁入り。最高裁調査官は約11年間つとめ、その間に参議院議員定数訴訟や税関検査訴訟、成田空港新法の合憲論など、最高裁にとって重要な問題にタッチした。最高裁判事就任で「最終審として最高裁の判断の持つ重みと影響力を考え、事件の意味の広がりをみることを常に自分に課し、最善の解決を追究することに全力を傾けたい」と、意欲を述べた。水俣病関西訴訟の最高裁判決が、国の対策の遅れを厳しく批判し、国と熊本県は、計1億1800万円を未認定患者とその遺族75名へ支払うよう命じた際の裁判長(2004/10/15)。
亀山継夫 かめやま つぎお 検察官 1998/12/04 2004/02/25 2年間の裁判官生活の後、「法務省検事」として21年間勤務。その間、少年法・刑法・監獄法の改正作業や、簡易裁判所の統廃合などに取り組んだ。その後、法務総合研究所長、前橋地検検事正、最高検総務部長などを歴任。検察内部では地味な存在だったが、学究的な姿勢が高く評価されていた。名古屋高検検事長で定年となり、いったん退官。東海大学で講義した後、最高裁へ。代表的な判断として、DNA鑑定の証拠能力を認めた判決がある。栃木県の女児殺人事件で。また、江沢民国家主席(当時)の講演会に参加した学生の名簿を大学が警察に提出した早大名簿事件で、原判決を破棄・差し戻しし、学生側全面勝訴の判断をした法廷意見に対し、「プライバシーにかかわる情報ではあるが、完全に秘匿すべき性質はなく、単純な個人識別情報である。国賓の講演会であり、警備の必要性が高く、学生側に実質的な不利益が生じたわけではない」との反対意見。
奥田昌道 おくだ まさみち 法律学者 1999/04/01 2002/09/27 民法(財産法)を専門にする学者。京都大学教授、法学部長を歴任。鈴鹿国際大学教授を3年間務め、最高裁へ。野球に親しみ、学内の草野球では投手や捕手をしていた。巨人ファンだとのこと。最高裁判事に任命された際は、「裁判は時間的制約の中で公正な判断が求められる厳しい世界」と話し、「研究者として培ってきたことを役立てたい」と抱負を述べた。
深澤武久 ふかざわ たけひさ 弁護士 2000/09/14 2004/01/05 父親も弁護士。金のない依頼人の面倒をよく見ていた親の姿から、人間を大切にすることを学んだという。東京弁護士会では人権委員会委員長をつとめ、当時、戦前の陪審制を経験したベテラン弁護士から「法律家には気づかないことがある」と聞き、陪審制の必要性を感じた。最高裁の就任挨拶では「当事者と直接会う機会が無くなるが、裁判記録の背後にある人間の悩み、苦しみなどの重みを感じながら、誠実に仕事をしたい」と述べた。

 

 

【参考文献】
「日本の裁判史を読む事典」野村二郎(自由国民社)
「最高裁物語」山本祐司(講談社)
別冊ジュリスト「憲法判例百選I」(有斐閣)

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