司法脱線ブログ「法治国家つまみぐい」





◆ 学科 その1 ◆

長いモノに巻かれてみたい日本人


 「裁判を、シロートにやらせよう」

 ……世界の東の果て、日の出ずる国 日本に突然あらわれた、この奇妙キテレツな計画。 はたして、その正体は? なぜ、そんな無茶なことをさせられにゃならんのか? これから何が、私たちを待ち受けているというのでしょう。

 そんな数々のナゾを読み解いてまいります「裁判員制度 ふしぎ発見!」が、いよいよスタートです。 皆さま、ようこそ、ふしぎの舞台へ。

 残念ながら、可愛いミステリーハンターも、ヒントを出し渋る司会者もいませんが、どうか最後までお付き合いくださいませ。


 裁判は、特殊訓練を受けたエリート国家公務員、プロの裁判官の仕事である。

 ……と、ここで私が断定したとします。 そのとき、この一文に違和感をいだく方は、どれほどいらっしゃるでしょうか。 日本人には、現代の「お裁き」、職業裁判官の独占する司法制度が、とてもナチュラルに受け入れられています。 いや、国民に受け入れられているというよりも、この国で裁判所という存在は、ナチュラルに「見て見ぬフリ」されているというのが実態かもしれません。


 なにか話し合いの場を持てば、社会的な有力者が出した考え、あるいは声がデカい人の意見を、そのまま集団の総意としてまとめてしまおう……という雰囲気が、どこからともなく漂ってきます。 そんな予定調和を乱す者がいれば、場のメンバーから「空気ヨメヨ」との無言の圧力がかけられ、ジンワリと平穏が保たれるのです。

 「シャンシャン総会」とは、企業の取締役に対して何の質疑応答も無く、わずか数分で終わってしまう株主総会のことをいいます。 会社の経営方針に満足していてもいなくても、とにかく波風を立てることだけは避けたい。 ケンケンガクガクの白熱した議論を面倒だと考える日本の株主たちは、締めの儀式の手拍子にだけ加わって「シャンシャン」。 年に1度しか開かれない、株式会社の最高意思決定機関も形無し。 株主総会は自由参加のイベントなのに、いったい皆さま、何をしにいらっしゃったの?

 やったぜ。 あこがれの女のコと、はじめてのデート!
 ぎこちない距離を保ちながら、ふわふわと歩く二人。 クリスマスを前にして、色とりどりのイルミネーションが街を包む午後6時。 街路樹の枝葉ひとつひとつが、無数の青白い光を放ち、二人の生まれたての恋を静かに照らしています。

 「うわぁ〜、ロマンチックぅ!」

 当然、彼女はこうつぶやくでしょう。 たしかにキレイな眺めです。 しかし、男はそれを見て「ロマンチック」だとはツユほども思っていません。 せいぜい、この大規模な電飾を取り付けた技術者のオッサンたちに、心の中で敬意を表するぐらいでしょうか。
 日本人は、意識的にせよ無意識にせよ、ホンネを押し殺すクセが付いているのです。 女のロマンと男のロマンは違います。 ただ、それでも「あぁ、ロマンチックだね」と、惚れた弱みで「女心のわかる男」を演出しようとする、その涙ぐましさったら。


 つまり、言いたいことを言って、やりたいことやって揉めるぐらいなら、「長いモノには巻かれてしまえ」というわけですね。 長いモノにグルグル巻きにされて喜んでいるのは、日本人と、エジプトのミイラ男ぐらいなもんです。 ふしぎ発見!

 そんな日本人たちは、相手に何か頼むときや感謝したいときにまで「すみません」と、なぜか謝罪してしまいます。

 「すいませーん。アンタ邪魔なんで、どいてもらえま……。あぁ、どうもすいませーん」

 別に、そんな国民性を批判したいわけではありません。 私自身も、長いモノに巻かれホーダイ。大樹の陰で幹にホホをスリ寄せるジャパニーズですから。 

 禁煙場所にもかかわらずタバコを吸っている人を見かけて、勇気を振りしぼって注意するのは、結構なことです。 しかし、まったく相手が動じない場合には、それ以上強く言えず、やんわりとゴマカしながら、あたりを不自然にキョロキョロ見回し、さりげなくその場を立ち去るのが一般的な…… というより、これも私のことでございます。


 いっそ自分が泥をかぶってでも、その場が丸く収まるなら収めておきたい。 狭い島国でギュウギュウ詰めになっている日本人は、自らを犠牲にしてまで、他人との摩擦や対立を避ける傾向があるといわれております。 だったら、そんなトラブルの処理を受け持つシンボル的存在である裁判所とも「極力かかわりたくない」「近寄りたくない」と、拒絶反応を示すのは無理もありません。


 もちろん、そんなトラブル嫌いの国民性は、日本人の美徳であり強みでもあります。 江戸幕末、アメリカやヨーロッパからの舶来品や文化・学問が容赦なくなだれ込んできても、それほど抵抗せず応じ、即座にマネて大量生産。 しかも、日本の空気に合わせた見事なアレンジまでやってみせました。
 自分たちの伝統を守るけれども固執はしない。良いと思ったモノは、受け入れすぎるぐらい受け入れる。 この柔軟さ、あるいは節操の無さが、日本という国の可能性を決定づけてきたのかもしれません。 また、特に「文明開化」の当時ですと、欧米列強に対抗するために編み出した、先人の巧みな生き残り戦術だった、という側面だってありそうです。

 戦争回避の世論に支えられ、やっかいなぶつかり合いを嫌がる上層部で構成されていた大日本帝国は、世界情勢の空気を読み、諸国の動きを見てから自分たちの動きを決めるスタンスを貫きます。 その特性が良い方向に作用することもありましたが、良かれと思ってやったことが相手の逆鱗に触れたりと、なかなかうまくいかないことも。
 気づけば他の国々に周りを囲まれ、物資の輸入を封じられ、やがて、物量にモノをいわせたアメリカ軍による、身もフタもない戦術を前にして、力尽きることになります。

 その後は、自由の国アメリカから自由に裁かれ、自由な憲法をもらい、自国民が大量虐殺された兵器でアメリカに国土を防衛していただくという、やはり柔軟で臨機応変な戦略を採り、他のどの国もマネできない勢いで経済発展を果たしました。


 ついに日本国は、アメリカ合衆国という「お上」を得たのです。 これで安心ですね。 長いモノに巻かれてこそ、日本は日本らしくいられるのですから。

(つづく) 

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