愛洲移香斎(あいすいこうさい)
(1452〜1538)戦国時代の武術家。伊勢出身。諸国修行の際、日向鵜戸の岩屋に籠もって極意に開眼。住吉なる兵法者に試合で勝ち、陰流を立てた。その子の宗通は常陸の佐竹氏に仕えた。門人に上泉伊勢守がいる。
明石志賀之助(あかししがのすけ)
江戸前期の力士。初代横綱。宇都宮出身で、一説には宇都宮藩士山内主膳の子という。身長251cm、体重184kgという超巨漢で、京の天覧相撲で大関仁王太夫を倒し、抜群の強さと俊敏な技から、日下開山の勅許を与えられたという。また、江戸の侠客・夢の市郎兵衛と義兄弟であったという。江戸後期の『古今相撲大全』では江戸勧進相撲の元祖とされるが、近年では否定されている。
明智光秀(あけちみつひで)
(1528〜1582)安土桃山時代の武将。初め朝倉義景に仕え、次いで織田信長の家臣となった。故実・典礼に通じ、民政に優れ、茶湯や連歌を好む理性的で教養的な人物だったと言われる。1582年、突如として信長を本能寺に襲って殺すが、その直後羽柴秀吉に敗れ、敗走中に土民に殺された。が、それは影武者で、本人は生き延びて南光坊天海となったという説や、関ヶ原の合戦に向かう途中で川に落ちて溺れ死んだという説がある。
蘆屋道満(あしやどうまん) new
平安中期の陰陽師。道摩法師とも。安倍晴明のライバルとして描かれることが多く、「宇治拾遺物語」等によれば藤原顕光の命により藤原道長に妖術を仕掛けたが、晴明に見破られ播磨国に追放された。他の説話では、安倍晴明との術比べに敗れるも、晴明が唐に渡った隙にその妻と通じ、秘蔵の卜占書「金烏玉兎集」を写し取り、帰朝した晴明の首をとったという。また、「蘆屋道満大内鑑」等の葛の葉伝説では安倍保名のライバルとして登場。八百比丘尼の父という伝承もある。
安達ヶ原(あだちがはら) new
福島県安達郡の安達太良山東麓の原野。黒塚に鬼女が籠もったと伝えられる。謡曲「安達原(黒塚)」では、宿を求めた熊野の山伏が、多くの腐乱死体を目撃、逃げ出したところを鬼女と化した宿の老婆に襲われ、法力で鬼女を折伏する。この物語自体はかなり以前から知られていたものらしく、平兼盛には「みちのくの安達原の黒塚に鬼こもれりといふはまことか」の歌がある
穴山小助(あなやまこすけ)
真田十勇士の一人。武田の家臣穴山小兵衛の嫡男で、真田幸村と体つきがそっくりであったため影武者を務めた。大坂夏の陣では、他の六人の影武者と共に家康の本陣目がけて突撃、奮戦の末に切腹して果てた。
安倍晴明(あべのせいめい) new
(921〜1005)平安中期の陰陽家・天文博士。土御門家の祖。賀茂忠行・保憲父子から陰陽道・天文道を学び、天文博士・左京権大夫・播磨守などを歴任。「金烏玉兎集」「占事略決」などを記した。式神を駆使し、天文を解して事変を予知したと「今昔物語集」「古今著聞集」などに伝えられ、道摩法師による藤原道長暗殺を察知したという。
「信田妻」「蘆屋道満大内鑑」などでは安倍保名と信田森の狐の間に生まれたとされ、蘆屋道満に殺された父を蘇らせ、道満を滅ぼしたという。
荒木又右衛門(あらきまたえもん)
(1589〜1638)江戸前期の剣客。伊賀生れ。柳生十兵衛に就いて剣法を極めた言われる。1634年に義弟・渡辺数馬の仇討ちに助太刀し、数馬の父の仇河合又五郎を伊賀国上野鍵屋の辻に討つ。後に鳥取池田藩に引き取られるが、到着直後に急死したという。
石川五右衛門(いしかわごえもん)
(1558?〜1594)安土桃山時代の大盗賊。畿内を中心に徒党を成して暴れ回ったが、ついに捕らわれ、親子郎党ともども京都三条河原で釜煎にされた。義賊というのは後世の脚色。歌舞伎「楼門五三桐」では豊臣秀吉を狙うも果たせず死んだ明国の宗蘇卿の子・宗蘇友で、父を追って明智光秀に育てられ、実父と養父の敵の秀吉への復讐に燃える。
一条戻橋(いちじょうもどりばし) new
京都市上京区堀川にかかる橋。あの世とこの世の境の橋といわれ、様々な伝説を持つ。浄蔵法師が父三善清行を橋の上で蘇生させたことから戻橋と名付けられたといい、安倍晴明もこの橋の上で斬り殺された父を蘇らせたという。晴明はこの橋の下に式神を隠していたといい、また、渡辺綱も戻橋の上で鬼に出会い、腕を斬ったと言われる。
一心太助(いっしんたすけ)
江戸前期の魚屋。手首に「一心如鏡」「一心白道」と入れ墨していた。大久保彦左衛門に可愛がられ、川勝丹波守の悪事を暴いたり、江戸茅町の穀商松前屋五郎兵衛の無実を晴らしたと言わる。のちに義侠心に富む江戸っ子の典型として、歌舞伎や浪花節、講談の主人公となった。
伊東一刀斎(いとういっとうさい)
江戸初期の剣客。弥五郎、のち景久と称する。鐘巻自斎に剣法を学び一刀流を創始。門弟に神子上典膳(小野次郎右衛門)らがいる。14歳の時に大島から板切れ一枚にすがって伊東まで泳いだという話、三島神社で富田一放と試合して勝ち、神主から宝刀・瓶割りを授かった話、愛人に欺かれて寝込みを刺客に襲われるも、逆襲して秘大刀「払捨刀」を編み出した話、鶴岡八幡宮に参籠して無意識のうちに敵を斬り夢想剣を悟った話など、逸話が多い。
稲葉小僧(いなばこぞう)
天明期の義賊。稲葉丹後守の侍医の子に生まれたが、手癖が悪く勘当され、身を持ち崩して夜盗となる。専ら大名屋敷を荒らし、刀・脇差しばかりを盗んだという。捕らえられて引き立てられる途中、茶店の便所から縄抜けして名声を馳せたが、上州に逃げて潜伏中に病死したという。稲葉小僧新助とも呼ばれるが、新助の名は、田舎小僧新助との混同によるもの。
井光(いひか) new
神武天皇が東征の途中、吉野で出会った国津神。井氷鹿とも。「日本書紀」によれば井の中から現れた尾を持つ光る人(「古事記」によれば光る井の中から現れた尾を持つ人)だったという。吉野首の祖であると言われる。
岩藤(いわふじ)
浄瑠璃・歌舞伎の「加賀見山物」に登場する局。主家横領を企む姦悪な局で、邪魔になる中老・尾上を陥れ、草履で打擲して辱め自害に追い込むが、その下女お初に討たれる。1724年に自害した側女の下女に殺された、松平周防守の局・沢野の実話がモデル。その後、河竹黙阿弥の「加賀見山再岩藤」では、怨念によりその骸骨が集まり(「骨寄せ岩藤」として有名)、元の姿となって復活。二代目尾上となったお初に祟り、再び草履で打擲するが弥陀の尊像の力の前に退散する。
岩見重太郎(いわみじゅうたろう)
(?〜1615)安土桃山、江戸前期の武芸者。諸国を武者修行し、のち豊臣秀吉に仕える。大坂の陣に参加し、夏の陣の河内道明寺で伊達家の片倉重綱の軍と戦い、討ち死にした。一説に秀吉の家臣・薄田隼人と同一人物ともいう。講談・読本では、武者修行中の丹後の天橋立での仇討ちの助太刀、仙台での大蛇退治、信州松本吉田村での狒狒退治、河内国葛城山での山賊退治などのエピソードで知られる。
海野六郎(うんのろくろう)
真田十勇士の一人。かつての名門海野氏の出身であり、十勇士中の最古参として、真田幸村の参謀格として活躍したという。根津甚八とともに奥州をめぐって、情勢を探り、大坂の陣の後は、幸村らとともに薩摩へ落ち延びたという。
江島(えじま)
(1681〜1741)江戸中期の大年寄。徳川家継の生母月光院に仕えて勢力があったが、山村座の役者・生島新五郎との乱行の罪で1714年、信濃高遠に流刑となった。生島は三宅島に流罪、山村座は断絶して、連座者千五百余人に及んだという。この事件は徳川家に関する不祥事として江戸期には脚色を許されなかったが、明治以降歌舞伎等に劇化された。
大森彦七(おおもりひこしち) new
南北朝時代の伊予国の武士。足利方に属し、湊川の合戦では楠木正成を死地に追い込んだ。「太平記」ではその直後、楠木正成の怨霊に悩まされた逸話があり、歌舞伎「大森彦七」ではこれを受けて、自分を仇と狙う楠木正成の娘・千早姫に正成の覚悟の死に様を伝えた上、楠木家の名刀・菊水の宝剣を与え、さらに役人から娘を逃すため、狂気を装って正成の亡霊に宝剣を奪われたと語った。
刑部姫(おさかべひめ) new
姫路城の天守に住まうという神姫。小刑部大明神ともいわれる。「甲子夜話」には常に天守にいて人の入るのを嫌い、ただ年に一度、城主にのみ対面すると記されており、泉鏡花はこれら伝説を元に「天守物語」を著した。巷説では宮本武蔵に退治されたとも。
鬼一法眼(おにいちほうげん) new
京一条堀川に住む陰陽師で、文武両道の達人。きいちほうげんとも。兵法書「六韜三略」の持ち主で、牛若丸はこれを求めるも見ることを許されず、その娘と通じてこれを読むことが出来たという。また、浄瑠璃「鬼一法眼三略記」では、平家の兵法指南ながら天狗の姿となって牛若丸に秘法を伝授する人物。曲亭馬琴の読本では、孤島を脱した俊寛の後身とされる。
斧定九郎(おのさだくろう)
「仮名手本忠臣蔵」に登場する塩冶家の浪人。斧九太夫(大野九郎兵衛がモデル)の息子で、主家が滅んだ後は盗賊となっている。粋な姿をした白塗りの美男だが、冷酷非情な男。五段目の山崎街道の場に登場し、百姓与市兵衛を殺して娘のお軽の身売り代50両を奪うが、お軽の恋人の早野勘平に猪と間違えられて射殺される。当初は普通の山賊めいた装束だったが、初代中村仲蔵が当時の浪人の姿に改めて大当たりし、色悪のイメージが定着した。
小野次郎右衛門(おのじろうえもん)
(?〜1628)江戸前期の剣術家。旧名、神子上典膳。上総国出身で安房里見家に仕えていた。24、5歳の頃に伊東一刀斎の弟子となり、一刀流を継いだ。1593年に徳川秀忠の指南となり、小野と改姓。関ヶ原上田城攻めで功あり、上田七本槍の一人と言われる。が、直情径行で周囲との衝突も多く、大坂夏の陣では旗本たちとの間で争いを起こし、閉門となっており、また将軍相手にも手を抜かなかったため、次第に疎んじられるようになったという。俗説では、真剣の柳生宗矩に対し燃え残りの薪を持って立ち会い、宗矩の衣服を炭だらけにしたという。
大蛇丸(おろちまる)
妖術を操る残忍きわまりない山賊。越後国頸城群の郷士とその地の青柳池の大蛇の間に生まれ、身に蛇性を帯びる。後に反管領方について児雷也と対決、妖術で苦しめるが綱手姫の術の前に敗れる。