名古屋山三郎(なごやさんさぶろう)
(1572?〜1603)戦国期の武士。織田信長の臣・名越因幡守と信長の姪の子。蒲生氏郷の小姓となり、天正18年の氏郷の奥州攻めでは一番槍の功名を挙げた。後に森忠政に仕えたが、同僚と刃傷となり美作で死亡した。美男の伊達者として知られ流行唄にもされている。巷説では出雲阿国と歌舞伎踊を創始したとされる伝説的人物であるが、阿国歌舞伎の舞台に名古屋山三郎の亡霊を登場させたことの誤伝という。また、歌舞伎等では、傾城・葛城を巡って浪人・不破伴左衛門と張り合っている。一方、『随院長兵衛一代記』では主君の不興を晴らすため、かつての同僚の伴左衛門を討とうと江戸に出るも吉原であっさりと返り討ちにされてしまう。
南光坊天海(なんこうぼうてんかい)
(1536〜1643)江戸初期の天台宗の僧。会津の人。南都北嶺を遊学した後、川越喜多院などに住す。徳川家康の知遇を受け、内外の政務に参画、延暦寺の復興と日光山の整備にも尽力。家康の死後、東照大権現の贈号と日光山改葬を主導。また、寛永寺を創建した。諡号は慈眼大師。
仁木弾正(にきだんじょう)
『伽羅先代萩』に登場する奸臣にして妖術使い。奥州五十四郡の執権だが、太守である足利家のお家乗っ取りを企む。鼠の妖術を操り、主君を遊蕩に溺れさせ、若君を毒殺しようとするが、主君側の老臣・渡辺外記の訴えに破れた上、外記に討ち取られる。モデルは伊達騒動の原田甲斐。
日蔵上人(にちぞうしょうにん) new
(905?〜985?)平安中期の伝説的な僧。三善清行の弟と伝えられる。941年、金峰山で修行中に息絶えて浄土で日本太政威徳天となった菅原道真と出会い、その家来十六万八千の邪神により醍醐天皇が死んで地獄に落ちたと教えられ、その醍醐天皇にも会った後、13日後に蘇生したという。また、吉野山で修行中に、四、五百年前に恨みを呑んで亡くなり、相手の子々孫々まで祟り殺したがそれでも苦しみが続く身の丈七尺あまりの鬼と出会い、その罪を払うために祈ったという。
鼠小僧(ねずみこぞう)
(1795〜1832)江戸後期の盗賊。名は次郎吉。警戒の薄い武家屋敷専門に盗みを続け、逮捕された際には記憶にあるだけで一万二千両、百余箇所の盗みを白状した。品川で獄門とされたが、死後に小説、講談等で義賊に仕立て上げられた。
根津甚八(ねづじんぱち)
野見宿禰(のみのすくね) new
力士の始祖とされる人物。出雲より召し出され、垂仁天皇7年7月7日、強力で知られる当麻蹴速と対決、蹴速の肋骨を蹴り折り、腰を踏み折って殺したといわれ、これをもって相撲の起源とするとも言われる。その後朝廷に仕えたが、皇后の逝去に際して、従来の殉死の風習を改め、埴輪を立てることを献策、後に出雲から土部を呼んで自ら埴輪を作ったことから、土部臣の姓を名乗るようになり、さらに下っては菅原姓を名乗ったという。