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フアン・ホセ・モサリーニとアントニオ・アグリが4度目の来日を果たしたのは、1997年7月のことだった。
ピアソラ没後5周年を迎えたその月、ピアソラ・ブームは頂点へ向かおうとしていた(結果的には、その後のヨーヨー・マ「リベルダンゴ」のCM起用がダメ押しとなった)。どこぞの国からタンゴ・ピアソラータなる泡沫バンドがやってきたり、メジャー・デビュー前の小松亮太がピアソラ・トリビュート・コンサートを自主開催して第一線への浮上のきっかけをつかんだりと、いろいろあった97年7月のイベントの中でも、やはり一番華やかだったのが『オルタナティヴ・ピアソラ』。アサド兄弟+フェルナンド・スアレス・パス、エマニュエル・アックス&パブロ・シーグレルなどと並んで、出演アーティストの中核を担ったモサリーニとアグリだが、この時はいつもの五重奏団以外に、モサリーニ率いるタンゴ・オーケストラでのライヴも遂に実現したのだった。
タンゴ・オーケストラについては後述することにして、この『オルタナティヴ・ピアソラ』への出演が、アントニオ・アグリの最後の来日となってしまった。その1年半後になる99年1月の再来日が発表になった直後の98年10月、癌を患っていたアグリはわずか66歳の生涯を閉じてしまったのである。振り返れば、『オルタナティヴ・ピアソラ』でのアグリは、どこか精彩を欠いていた。掛け替えのない共演者を失ったモサリーニは大きなショックを受け、一時は公演中止も考えたと言う。そして代役、いや後任にモサリーニが白羽の矢を立てたのは、アグリの息子パブロだった。単に腕が立つというだけなら、ほかにも候補はいただろうが、あえてソリストとしての経験はさほど積んで来ていないパブロを起用したところに、モサリーニのこの五重奏団に対する思いの強さを感じとったものだった。
その99年のモサリーニ タンゴ五重奏団公演でのパブロ・アグリは、私たち聴き手をハラハラさせたりもしたが、一方でその才能の片鱗も見せてくれた。いずれにしても、父親の背中はまだ遠いという感じだったのは確か。その後何年か、モサリーニ タンゴ五重奏団は日本のファンにその姿を見せてくれなかったが、実はその間にパグロ・アグリは、タンゴのソリストとして、ぐんぐん力を付けていたのであった。
02年(ピアソラ没後10年だ)9月の丸ビルでの3年ぶりのモサリーニ タンゴ五重奏団公演を私は観ていない。この文章を書くにあたり、カンバセーションからこの時のビデオ(固定カメラで撮っただけの“記録”)を見せてもらったが、パブロ・アグリはのびのびと演奏しているし、ピアノが彼と仲のいい若手のクリスティアン・サラテに交代。多少荒っぽさもあるが、その溌剌としたプレイは近年の注目株だけのことはある。ベースも99年のマウリシオ・アンガリータではなくオリジナル・メンバーのロベルト・トルモが復帰していてこれも正解。ひとつ驚いたのは、ギターのレオナルド・サンチェスがそれまでの生ギターではなくエレキ・ギターを弾いていたこと。確かにピアソラ的なアンサンブルを考えれば、こちらの方が有利だ。ということで、95〜96年頃のピーク時とはまた違った若さ、新しさが感じとれる演奏だった。この12月の来日メンバーも、前回と同じ。要するに、その演奏には充分に期待が持てるということである。
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オルケスタ・ティピカ編成の“モサリーニ・タンゴ・オーケストラ”は、五重奏団のメンバーのほか、普段はクラシックを中心に弾いているのだろうフランスの若手音楽家たち(主に弦楽器)、それにモサリーニの息子(やはりバンドネオン奏者)などで構成されていた。モサリーニの本国での活動は、実は五重奏団よりもオーケストラでの方がメインなのであった。
モサリーニ&アントニオ・アグリ タンゴ五重奏団のスタジオ録音アルバムは96年の1枚のみで、しかもそこではピアソラ作品は「AA印の悲しみ」1曲しか取り上げられず、それ以外のレパートリーは、モサリーニやギターのレオナルド・サンチェス、それに彼らの周辺の音楽家の作品で占められていた(そのほかに、日本向けにTVドラマ『水辺の男』のサウンドトラックもあったが)。あくまでもピアソラ作品を中心に据えた日本での五重奏団とは、コンセプトが違うのである。
モサリーニ&アントニオ・アグリ タンゴ五重奏団が取り上げてきたピアソラ作品は、実際にアグリがピアソラ五重奏団に参加していた60年代の作品/アレンジが多いが、モサリーニ・タンゴ・オーケストラのサウンドは、やはり60年代のアニバル・トロイロ楽団やオスバルド・プグリエーセ楽団、レオポルド・フェデリコ楽団などのレパートリーや演奏スタイルを基調として、現代的に発展させたものだ。
以前連載していた『タンゴ入門講座』の(目下のところの)最終回に、私は次のように書いている。長くなるが引用してみよう。
ピアソラが作り上げた極めて独創的なモダン・タンゴの世界は、20世紀後半のタンゴ界に大きな影響を与え続けて来た。ピアソラに続くモダン・タンゴのアーティストたちは、ピアソラの巨大な影の中でもがいてきたと言えるかも知れない。それは、ピアソラと共に演奏して来たミュージシャンたちも概ね同じである。だが、最近になって状況は変わりつつある。ピアソラの音楽の「形」をなぞったりするのではなく、例えばピアソラの音楽のルーツでもあるトロイロなど黄金時代のタンゴにまで立ち戻って、その上で「今」のタンゴの在り方を再検討する、という動きが見られるようになってきた。ピアソラの影響を受けて来た一人であるバンドネオン奏者のロドルフォ・メデーロスは、最近のインタビューで「タンゴの未来はピアソラにはない。ある意味でピアソラの音楽は閉ざされているんだ。ピアソラは流派を生み出さない。アローラス、バルディ、プグリエーセ、トロイロのようにはね。彼の音楽は変化する可能性をもたないんだ。すべてが書かれている」と語っているが(雑誌「ラティーナ」2001年11月号。文:鈴木一哉氏)、この言葉の示唆するところは大きい。
プクリエーセ楽団でメデーロスと同僚だったモサリーニも、こうした動きに連なっている一人というわけである。アーティストとしてのモサリーニが本当にやりたいことは、こちらなのではないだろうか。それでは、12月にやってくる五重奏団のほうはどうなのか。レパートリーをみると、自作の新曲も見受けられるが、やはりピアソラ作品が中心であることに変わりはない。五重奏団でのモサリーニは、まるで求道者のようにエゴは捨てて、一演奏家に徹してピアソラ作品を演奏してくれるのであろう。そうした姿を再び目の当たりに出来るのは、ファンとしては嬉しい限りである。と思うのと同時に、また機会を改めて、タンゴ・オーケストラを率いる別の姿も、見せてもらいたいものである。
(この項終わり)
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