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「ミロンガ」の項では、ミロンガという言葉の持ついくつかの意味について説明したが、タンゴという言葉も、広義の意味での“ジャンルとしてのタンゴ”と、その中の“音楽形式としてのタンゴ”とに分けて考えてみた方が判りやすい。あるいはそこに、“精神論としてのタンゴ”という項目を付け加えてもいいかも知れない。音楽形式の話をする前に、ジャンルと精神論について少し説明しておこう。
タンゴの楽団や歌手が演奏したり歌ったりするレパートリーは、そのほとんどが(形式としての)タンゴ、ミロンガ、ワルツ(スペイン語だとバルス)に分類される。これらの音楽が主にアルゼンチンの首都ブエノスアイレス及びウルグアイの首都モンテビデオ(この二つの都市はそれぞれラ・プラタ川を挟んだ対岸に位置する)で育まれて来たことから、これらを総称して“ムシカ・ポルテーニャ”(ポルテーニャ音楽。ポルテーニョ/ポルテーニャとは「港の」という意味の形容詞だが、転じて「ブエノスアイレスの」という意味で使われる)とか“ムシカ・リオプラテンセ”(ラ・プラタ川流域の音楽)などと呼ぶこともあるが、一般的ではないしなかなか判りにくい。ミロンガやワルツもひっくるめて、“タンゴ”と総称して全然構わないのである。
もうひとつの“精神論としてのタンゴ”だが、要するに、伝統的な形式に捕われずにタンゴのスピリットを持ち得た音楽のこと。その代表選手こそ、かのアストル・ピアソラである。ピアソラがきっかけでタンゴを聴き始めた方には信じ難い話かも知れないが、未だに多くの古典タンゴ・ファンにとって、ピアソラの音楽は「タンゴではない」のである。何故そういう話になるのか。それは、何を基準として、あるいはどこに視点を置いてタンゴに接するかという話にまでなるのだが、そのあたりはいずれ別項で詳しく触れるとして、ここではとりあえず、そういう考え方もあるということを記憶の隅に留めて頂きたい。
さて、本題に入ろう。タンゴ、あるいはその前身としてのミロンガの成り立ちは、「ミロンガ」の項でも簡単に書いたが、繰り返しておくと、19世紀の半ばから後半にかけて、同じリズムを持った3つの音楽、すなわちキューバから主にヨーロッパ経由で伝えられたハバネラ、スペインのアンダルシア地方から伝えられた(フラメンコの中の)タンゴ、パンパの吟遊詩人たちが歌うミロンガが、渾然一体となった中から、徐々に形作られてきたとされている。もちろんそこにはほかの様々な要素も複雑に絡んでいて、例えばヨーロッパ経由のダンス音楽であるワルツやポルカ、更にはウルグアイの黒人の間に伝えられて来たカンドンベなどからの影響も少なくなかった。ただし、レコードもない時代の、ブエノスアイレスの場末にあるボカという地区で起きた話であり、こうした経緯が正確な記録として残っているわけでない。後から研究者たちによっておおよその流れが解明されたような、曖昧さを残した物語なのである。
初めてタンゴという形式名で書かれた楽譜が出版されたのは1880年のこと。「バルトーロ」という曲で、今日演奏されることはまずない。今日まで演奏される最も古い曲といえば、1897年にロセンド・メンディサーバルpが作曲した「エル・エントレリアーノ(エントレリオス州の人)」。力強いリズム、自然な展開が印象的な作品で、後にアニバル・トロイロ楽団(編曲はピアソラ)やフアン・ダリエンソ楽団などによって立派な器楽タンゴに仕立て上げられた。手元にあるこの曲の一番古い録音は、1913年頃のターノ・ヘナロbnの五重奏によるもの。その録音時点で既に作曲されてから15年以上経過し、タンゴ界にバンドネオンが導入されたこともあって、演奏スタイル自体が作曲当時とは形を変えているはずだが、ミロンガ的なシンコペーションがベースになったその演奏は、今日の耳では随分のどかに聞こえる。それが後年のトロイロやダリエンソの演奏となると、ミロンガ的な感覚は一掃され、タンゴのリズムで押し切る感じになる。つまり、同じ曲でも演奏される時代によってリズム・パターンが変化したりするわけである。
(この項続く)

「エル・エントレリアーノ」の楽譜表紙
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