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アルゼンチン産のユニークなカンドンベとしては、マリアーノ・モーレスが1954年に映画『わが街の声』の中の1曲として発表した器楽曲「ファンダンゴ」がある。この曲のモーレスによる最初の録音は、バンドネオン抜きでオルガンの入ったタンゴ管弦楽団+打楽器+コーラスという編成だった。次いで1956年、アストル・ピアソラは弦楽オーケストラを率いてウルグアイでLPを録音したが、その中にピアソラが書いた唯一のカンドンベ、「ジョ・ソイ・エル・ネグロ(オレは黒人)」(カルロス・グロスティーサ作詞、歌はホルヘ・ソブラル)が含まれていた。ウルグアイでの録音というのがミソで、ちょっと聴き取りにくいが、ちゃんと3種の太鼓を使っている。曲調はミロンガ的ではない2拍子で、ピアソラ流のモダニズムと伝統的なカンドンベ本来のリズムがうまく結びついている。また、最近では、1980年代にダニエル・ビネリbnとウーゴ・ロメロgのデュオが、ウルグアイのパーカッション奏者カチョ・テヘラらのサポートを得てカンドンベの現代化に取り組んでいた。
カンドンベ以外では、フランシスコ・カナロがタンゴン(ミロンガ+ルンバといった感じ)など、カナロ楽団出身のマリアーノ・モーレスがバイアンゴ(バイオン+タンゴ)など、いくつかの新しい音楽形式を発表したが、これは単なる思いつきというか企画倒れの感もあり、それなりの面白さはあっても、新しい形式としての必然性を感じるところまではいかない。実際のところ、ほかには普及することなく終っている。そうした一連の作品と一線を画するものとして、アストル・ピアソラが1951年に発表した「タングアンゴ」を挙げておこう。この曲は当時アニバル・トロイロ楽団とオスバルド・フレセド楽団が録音している。トロイロ楽団のレコード(SP盤)に表記された形式名は“ヌエボ・リトゥモ・パラ・トーダ・オルケスタ”(すべての楽団のための新しいリズム)となっていた。フレセド楽団のレコードでの表記は未確認だが、資料によれば単に“ヌエボ・リトゥモ”(新しいリズム)と書かれていたようだ。ピアソラがこの形式名を用いたのはこの異色作のみだが、<「タンゴ」その3>でもご紹介したように、この曲には後にピアソラのトレードマークとなる3-3-2のリズムが大々的に使われていた。ピアソラは、その後の多くの作品に於いて3-3-2のリズムを曲の要所要所で使うようになるのだが、全体をそのリズムで押し切るという作り方はせず、タンゴの基本である4ビートなどとうまく組み合わせることによって、より効果的なアプローチを見せるようになったわけである。それが「タングアンゴ」ではほぼ全編がそのリズムで構成されていて、しかもそれがパーカッションによって強調されていたところが、実験作たる所以(ゆえん)である。
最後に、2回に分けて紹介して来た2つの流れ(外来のダンス音楽と、新たに創造されたリズム)のどちらにも属さない音楽形式として、カンシオンを挙げなければならない。カンシオンとはずばり、「歌」である。基本的にはタンゴでも、より自由なスタイルを持ち、ほかの音楽形式にも転用可能な歌曲は、タンゴ・カンシオンなどと呼ばれたが、更に自由度を高めたものが単なるカンシオンであり、間違いなくその代表作と言えるのが、カルロス・ガルデル一世一代の名曲「エル・ディア・ケ・メ・キエラス(想いのとどく日)」(カルロス・ガルデル作曲、アルフレド・レ・ペラ作詞、1935年)。この曲は作者たちの意図通り、タンゴの枠を遥かに越えて中南米諸国全体で歌われ愛されるスタンダードになったのである。
(この項終わり)

アストル・ピアソラ(1956年)
「ジョ・ソイ・ネグロ」を含む10インチLP"Lo Que Vendra"(Antar PLP-2001)の裏ジャケットより
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