タンゴあれこれ(2)
「アルゼンチン・タンゴとコンチネンタル・タンゴ」その2

戦前のヨーロッパで特にタンゴが盛んだったのは、フランスとドイツである。戦後のドイツでコンチネンタル・タンゴが衰退していったのは、前回書いた通りだが、フランスでは少し事情が違っていた。アニバル・トロイロやマリアーノ・モーレスなど、アルゼンチンでの新世代台頭の影響を受けて、ヨーロッパ風にアレンジされた従来のタンゴとは異なる、アルゼンチンのタンゴ本来のスタイルにより近い演奏をする楽団がいくつか現れたのである。モーレスは1953年から翌年にかけてパリに滞在し、演奏活動やレコーディングを行っているし、アストル・ピアソラも1954年、モーレスと入れ替わるようにパリに渡った。ピアソラの渡仏の目的はクラシックの勉強だったが、結果的には弦楽オーケストラ編成(パリ・オペラ座の楽団員が中心)で16曲の録音を行い、自身の新しいタンゴを世に問うことになった。こうしたモーレスやピアソラのパリでの活動が、当地のミュージシャンたちに刺激を与えただろうことは、想像に難くない。

1950年代のフランスで、アルゼンチン・スタイルの演奏を得意としていたのは、プリモ・コルチア楽団やマルセル・フェイジョー楽団などである。バンドネオン奏者フェイジョーはアルジェリア生まれのフランス人で、楽団を結成したのは1945年のこと。ピアソラとフェイジョーはパリで「S.V.P.(シル・ヴ・プレ)」を合作し、お互いに自分の楽団で録音した。またピアソラはフェイジョーに「バンドー」を捧げている。パリでのピアソラはほかにも「ミ・テンタシオン(わが欲望)」(ラモン・シロエとホセ・モラネス作)、「エスタモス・リストス(用意はできた)」(アンジェロ・ブルリ作)といったパリのタンゴ人たちの作品を取り上げていて、様々な交流があったことが伺える。一方、ピアソラがパリで書いた作品には、例えば「グアルディア・ヌエバ」や「セーヌ川」など、コンチネンタル・タンゴ風とまでは言わないまでもヨーロッパ的な雰囲気を漂わせたものが目につく。ピアソラのパリ滞在(〜1955年)を契機にタンゴ・ブームが起こる、というようなことはなかったものの、ピアソラの影響力はじわじわとフランスの音楽界に浸透していった。

そのフランスを中心に新しいタンゴの波が起こったのは、1970年代以降のことである。ピアソラは1974年、イタリアのローマに移住し、ミラノのスタジオ・ミュージシャンたちをバックにアルバム『リベルタンゴ』を録音、76年からはパリに移り、他ジャンルの音楽家との共演を含めて積極的な演奏活動を続けた。77年、歌手スサーナ・リナルディのバックでパリを訪れたバンドネオンのフアン・ホセ・モサリーニは、亡命する形でそのままパリに残る(1976年から83年までアルゼンチンは軍事政権下にあり、自由な活動を制約された多くの文化人が亡命した)。ほかにもフアン・セドロンなど何人もの音楽家がこの時期にヨーロッパに移り住み、70年代後半から80年代にかけて前述のスサーナ・リナルディやセステート・マジョール、オラシオ・サルガンとウバルド・デ・リオ、オスバルド・プグリエーセ楽団などが、頻繁に演奏旅行で各地を訪れたことから、ヨーロッパのタンゴ・シーンが活性化されていった。特にモサリーニは、演奏家としてのみならず、バンドネオンの教授として後進の指導にも大きな役割を果たしてきた。

後にブロードウェイを席巻し、タンゴ・ダンス・ショーのブームの先駆けとなった『タンゴ・アルゼンチーノ』のスタートは、1983年のパリだった。84年には、イタリアの人気歌手ミルバとピアソラ五重奏団とのショー『エル・タンゴ』がパリでスタートし、スイスの室内楽団イ・サロニスティがアルゼンチンのバンドネオン奏者オスカル・ギディをゲストに迎えて秀逸なタンゴ・アルバムをリリース…。もはやここまでくると、かつてのコンチネンタル・タンゴの面影は微塵もない。アルゼンチン・タンゴの世界的な展開といった感じである。そしてヨーロッパのあちこちから新しいグループが登場し様々なアプローチを展開、90年代半ばに始まるピアソラ・ブーム以降は、クラシック界からの新規参入も盛んになって現在に至るというわけだ。

ヨーロッパといっても広く、どこの国でも同じような状況だったわけではない。たとえばフィンランドは、いわゆるコンチネンタル・タンゴとはまったく別のところで独自のタンゴ文化を築いてきた国である。フィンランドではタンゴは国民音楽のように親しまれて来たが、レパートリーはほとんどが自国で作られた歌入りのタンゴだった。それが10年ほど前からは、ピアソラの作品やアルゼンチン・タンゴ全般、あるいは過去のフィンランド・タンゴの人気曲などをインストゥルメンタルで演奏するグループがいくつも登場している。果たしてヨーロッパのタンゴは、これからどのように展開していくのだろうか。

(この項終わり)


Marcel Feijoo et Astor Piazzolla
(左)マルセル・フェイジョー
(右)録音スタジオのピアソラ(手前)とフェイジョー(1955年)


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