タンゴの楽団編成(2) 「オルケスタ・ティピカ」その2

1940年代のオルケスタ・ティピカ人気の立役者となったのが、1935年に「電撃のリズム」をひっさげて登場したフアン・ダリエンソである。テンポを速くし、ダンス向けのタンゴのリズムを極端なまでにデフォルメしたスタイルのダリエンソは、瞬く間に人気を集め、1940年前後には、ほとんどの楽団がダリエンソの影響で演奏のテンポが速くなっていたほどである。

そして、1940年代のタンゴ黄金時代を名実共に代表したのが、バンドネオン奏者、アニバル・トロイロのオルケスタ・ティピカ。若き日のピアソラもトロイロの楽団で修業していたほか、数多くの優れた人材を排出したことでも知られている。デ・カロ・サウンドを継承する大きな存在であるトロイロ楽団は、50年代から60年代へと時代を経るごとにそのサウンドに重厚さを増していくのだが(写真参照)、歌手にフランシスコ・フィオレンティーノを擁し、躍動感に溢れたフレッシュなサウンドを奏でていた40年代前半の演奏はひときわ魅力的。そこで重要な役割を果たしていたのが、ピアノのオルランド・ゴニやコントラバスのキチョ・ディアスといった天才的なプレイヤーたちだった。ピアソラがそこで経験を積んだのは、非常に大きなことだったのである。

1940〜50年代を代表するオルケスタ・ティピカとしては、オスバルド・プグリエーセ、カルロス・ディ・サルリ、アルフレド・ゴビなどの楽団も重要だが、彼らについては別項(主要アーティストの紹介ページを準備中)にまとめておくことにしよう。この時期には、彼ら以外にも多くの人気楽団が活躍していたが、特に強い個性を持ったわけではない、あまり知られていないような楽団の演奏にも、注目すべきもの、ティピカ・サウンドの真髄と言えるものが数多く存在しており、当時のタンゴ界の裾野の広さを物語っている。

また、当時のオルケスタ・ティピカを語る上で欠かせないのが専属歌手の存在である。歌手は楽団の顔となり、楽団指揮者と人気を二分した。録音されたレパートリーを見ても、楽団によってその比率にバラ付きはあるものの、インストゥルメンタルよりも歌ものの方が多い。当時はタンゴ歌曲の名作が数多く生まれた時期でもあり、作曲ではトロイロやマリアーノ・モーレス、作詞ではオメロ・マンシやエンリケ・カディカモをはじめとする多くの作家たちが活躍、そうした当時の新曲を各楽団が競って取り上げるという形で、ヒット曲が次々と生まれていった。

インストゥルメンタルも同様ながら、新曲と並んで1900年代初頭の作品(例えば「エル・チョクロ」)以降の様々な時期に書かれた作品も、幅広く演奏されていた。また、各楽団の指揮者や演奏メンバーによる作品もどんどん発表されていて、自らの楽団はもとより、ほかの楽団に取り上げられることも多かった。なお、1960年代中期以降のピアソラのように、基本的に自分で書いたオリジナル作品しか演奏しないというケースは、タンゴ界では極めて例外的である。

結果的に同じ曲をさまざまな楽団が演奏することになるわけで、各楽団は編曲に趣向を凝らして差別化を計っていくことになるわけだが、そこで重要になってくるのが編曲家の存在である。指揮者や楽団員が自ら編曲を手掛けるケースがほとんどだが、アルヘンティーノ・ガルバンのような専属編曲家も活躍するようになった。ピアソラやエミリオ・バルカルセなども、自らの演奏活動以外に様々な楽団に編曲を提供していたのである。

この項続く


Anibal Troilo (Pichuco) y su Orquesta
1960年代のアニバル・トロイロ楽団
この時期は弦セクションをかなり増強しているのが判る。歌手ロベルト・ルフィーノの向こう側に立っているのがトロイロで、この時は指揮に専念しバンドネオンは弾いていない。第1バンドネオン(向かって一番左)はエルネスト・バッファ、その隣は若き日のラウル・ガレーロ。ピアノはオスバルド・ベリンジェリである。


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