|
アニバル・トロイロ楽団は、1937年の結成以来、40年近いその楽団史の中で、数多くの優れた人材を排出した。その中でも、やはりアストル・ピアソラ(1921〜1992)は別格であろう。1939年末に新米バンドネオン奏者としてトロイロ楽団に参加したピアソラは、タンゴの何たるかを体で覚えながら、演奏家として、そして編曲家としての才能を徐々に開花させていく。ピアソラについては別項にまとめるが、彼が作曲家として頭角を表すようになるのは、トロイロ楽団から独立して自己の楽団を率いた1940年代後半以降のことである。
ピアソラが在籍した時代、すなわち1930年代末から40年代初頭にかけてのトロイロ楽団で特に重要な役割を果たしたのが、ピアノのオルランド・ゴニ(1914〜1975)。その演奏のミロンゲーロな感じについては《タンゴの音楽形式(1) 「ミロンガ」その1》でも触れたが、ピアノの中低域を活かした骨太なサウンドは実に魅力的で、多くのピアニストたちに大きな影響を与えた。ゴニは1943年に独立すると自己の楽団を結成したが、酒や麻薬、ギャンブルで身を崩し、まともな活動すら出来ないまま2年後に31歳で死んでしまった。ゴニとともにトロイロ・サウンドの確立に貢献したコントラバスのエンリケ・“キチョ”・ディアス(1918〜1992)は、トロイロ楽団には1959年まで在籍、その後はピアソラ五重奏団、キンテート・レアル、セステート・マジョールなどで活躍した。楽団を率いたり作曲をしたりすることなく、生涯一奏者として過ごしたキチョだが、そのテクニック、リズム感は天才的で、紛れもなくタンゴ史上最高のコントラバス奏者だった。トロイロとピアソラは1953年、「コントラバヘアンド」を合作し、キチョに捧げている。
第1ヴァイオリンのダビッド・ディアス(キチョ・ディアスの兄)は、トロイロの信頼厚く、1975年の楽団解散までトップの座を保ったが、ことさら第一級の奏者というほどではなく、トロイロ楽団以外では実績を残していない。ヴァイオリン・セクションではむしろ、レイナルド・ニチェーレ(1918〜1998)(1955年まで在籍)やウーゴ・バラリス(1914〜)(1943年まで在籍)の方が、のちのち多方面で活躍したと言える。ニチェーレは、エドゥアルド・ロビーラの現代タンゴ集団や自己の4重奏団、アティリオ・スタンポーネ楽団ほか、多くの楽団に参加。バラリスは、ピアソラが最初に率いた楽団で第1ヴァイオリン奏者を務めたほか、ピアソラとの付き合いが長く、それ以外でも地味ながらいい仕事をいろいろとしている。
オルランド・ゴニの後を継いで1943年から47年までピアニストの座を務めたホセ・バッソ(1919〜1993)は、ゴニのスタイルを受け継ぎながら、豪快なタッチで聴き手を魅了した。独立後には自己の楽団を結成、長きにわたって安定した活動を続けた。特に50年代から60年代前半にかけての演奏は聴き応えがある。残念なのは、作曲家としてはタンゴ史に残るほどの名曲は書くに至らなかったこと。あまりに豪快なパフォーマンスゆえ、ピアノの弦を切ったり、果ては椅子を壊したり、といった類の逸話には事欠かない。バッソに続いて1947年から54年までピアニストとなったカルロス・フィガリ(1917〜1994)は、ピアソラが編曲指揮を務めた歌手フィオレンティーノの楽団を経ての参加。ピアニストとしては堅実なタイプと言える。独立後は自己のオルケスタやコンフントを率いて活動したが、大成したとは言い難い。作曲家としての代表作に「テクレアンド」がある。フィガリの後任として1954年から57年までピアニストを務めたのがオスバルド・マンシ(1925〜1976)。タンゴ界きっての名手のひとりで、60年代のピアソラ五重奏団での活躍ぶりも印象に残っている。マンシについては詳しくはピアソラの項で触れることにしよう。
(この項続く)

アニバル・トロイロ楽団(1941年) (上段左から)ペドロ・サポチニク(vn)、オルランド・ゴニ(p)、フィオレンティーノ(vo)、キチョ・ディアス(b)、アストル・ピアソラ(bn)
(下段左から)ダビッド・ディアス(vn)、トト・ロドリゲス、アニバル・トロイロ、エドゥアルド・マリーノ(以上bn)、ウーゴ・バラリス(vn)
<タンゴのアーティスト(1) 「アニバル・トロイロとその系譜」その1>に戻る
<タンゴのアーティスト(3) 「アニバル・トロイロとその系譜」その3>に進む
「タンゴ入門講座」インデックスに戻る
HOMEに戻る
|