タンゴのアーティスト(7) 「オスバルド・プグリエーセとその系譜」その4

1968年、プグリエーセ楽団の根底を揺るがす大事件が起こる。バンドネオンのオスバルド・ルジェーロ、ビクトル・ラバジェン、フリアン・プラサ、ヴァイオリンのオスカル・エレーロとエミリオ・バルカルセ、コントラバスのアルシーデス・ロッシ、歌手のホルヘ・マシエルという主要メンバー7人が揃って脱退し、セステート・タンゴを結成したのである(プラサはバンドネオンではなくピアノを担当)。セステート・タンゴについては《タンゴの楽団編成(7) 「コンフント」その4》も参照して頂きたいが、ルジェーロをはじめとしてプグリエーセ・サウンドが骨の髄まで染みこんでいるメンバーばかりのため(例外といえるのはプラサぐらい)、基本的なスタイルはプグリエーセ譲りで、そこに2拍4拍を強調するなどの新しいニュアンスを付け加えていくという手法が採られた。

セステート・タンゴ組と一緒に抜けたメンバーもいて、残ったのはプグリエーセとバンドネオンのアルトゥーロ・ペノン、ヴァイオリンのラウル・ドミンゲス、歌手のアベル・コルドバという4人だけだった。プグリエーセ楽団も解散か、コンフントとして再出発か、などの憶測も飛んだが、プグリエーセはただちにオーディションを行って若いメンバーを集め、楽団を再建した。それまで第4バンドネオンを弾いていたペノンがトップに昇格し、バンドネオンには3人の若武者が加わった。いずれも後にタンゴ界を背負って立つことになるその3人とは、ロドルフォ・メデーロス、フアン・ホセ・モサリーニ、ダニエル・ビネリである。

1940年生まれのロドルフォ・メデーロス(1974年まで在籍)は、ピアソラに憧れて四重奏団を作ったことがあった。1943年生まれのフアン・ホセ・モサリーニ(1976年まで在籍)は、ホセ・バッソやオラシオ・サルガンの楽団などで演奏してきたから、3人の中では演奏経験がもっとも豊富だった。そして1946年生まれのダニエル・ビネリ(1982年まで在籍)は、17歳の時TVのコンクールでピアソラの曲を弾いて、ピアソラ自身から褒められた経験を持っていた。彼ら3人に共通していたのは、プグリエーセ楽団での演奏を生活のためと割り切り、伝統的なタンゴには反発していたことだ。プグリエーセの音楽は、伝統的ではあっても保守的ではなく、十分革新的だったのだが、ロック世代の若い彼らは、より先鋭的な活動の場を求めた。プグリエーセ楽団での演奏の傍ら、モサリーニとビネリは1970年にキンテート・グアルディア・ヌエバを結成(メデーロスは編曲面で協力)、メデーロスは1973年にヘネラシオン・セロを結成した(モサリーニとビネリも当初はメンバーとして参加)。いずれもエレキ・ベースとドラムスを含む編成で、前者はタンゴを素材にロック/ジャズ的なアプローチを試み、後者はタンゴではないバンドネオンによるフュージョン音楽を目指したが、いずれも結果的には実験の域を出るものではなかった。彼ら3人はプグリエーセ楽団では編曲も担当したが、作品が取り上げられることはないままに終わっている。彼ら3人は、プグリエーセ楽団からそれぞれ独立してからの様々な活動の中で、プグリエーセ楽団で学んだものの大きさに初めて気付き、自らの音楽にその影響をストレートにフィードバックさせるようになったのである。

その後楽団に参加したバンドネオン奏者の中では、現在『フォーエバー・タンゴ』の音楽監督を務めるリサンドロ・アドロベール(参加は1977〜78年と短期間)、セステート・タンゴ以上にプグリエーセ・サウンドの継承に力を入れているオルケスタ・コロール・タンゴのリーダーとなったロベルト・アルバレス(1978年から89年まで参加、1984年にペノンが退団したため第1バンドネオンに昇格)が重要である。プグリエーセ楽団時代の作品では、自らの出身地をテーマにした「チャカブケアンド」が素晴らしい。1968年以来74年まで第1ヴァイオリンを務めたマウリシオ・マルチェリは、その後各方面で活躍しているが、もともとプグリエーセ・サウンドにこだわっている人ではない。また、マルチェリの後を継いだオスバルド・モンテルデ(1988年まで参加)については、技術面に問題があるなどその起用すら疑問で、特筆すべきものは何もない。

プグリエーセ楽団は、1989年11月の日本公演で解散するはずだった。アルバレスが、第1ヴァイオリンのフェルナンド・ロドリゲス(モンテルデの後任)、コントラバスのアミルカル・トローサといった主要メンバーに、元セステート・タンゴのビクトル・ラバジェンらを加えてコロール・タンゴを結成したのもそのためだった。ところが実際にはプグリエーセは引退せず、残ったメンバー+新人で演奏活動を続けた。さすがに弱体化は否めず、公式録音も残っていないが、それでもプグリエーセが病に倒れる1995年まで、活動を続けたのであった。そして、プグリエーセの強靱なサウンドは、コロール・タンゴや、晩年のプグリエーセと親交の深かったオランダのセステート・カンジェンゲといったフォロワーたちの中で、姿を変えて生き続けているのである。

(この項終わり)


Osvaldo Pugliese y sus muchachos
練習場でのプグリエーセとバンドネオン・セクションのメンバー(1969年頃)
左から ロドルフォ・メデーロス、ダニエル・ビネリ、アルトゥーロ・ペノン、オスバルド・プグリエーセ、フアン・ホセ・モサリーニ


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