タンゴのアーティスト(11) 「ミゲル・カローとその系譜」その1

ミゲル・カロー(1907〜1972)は、1940年代を代表する楽団指揮者のひとり。最初に自分の楽団を作ったのは1928年で、1934年からオデオンに録音を開始し、亡くなる直前まで第一線で活躍していたが、特に1940年代がその活動の全盛期だったと言えよう。本来はバンドネオン奏者だったが、1939年からは指揮に専念している。

1940年代当時の楽団の二大潮流としては、これまで紹介して来たアニバル・トロイロオスバルド・プグリエーセのように、フリオ・デ・カロからの流れを汲むものと、カルロス・ディ・サルリのようにオスバルド・フレセドからの流れを汲むものとがあったが(フアン・ダリエンソのように、そのどちらにも属さない楽団もある)、ミゲル・カロー楽団は後者に属する。10代でフレセド楽団にも短期間参加したカローは、フレセドの影響を受けながら、歌謡性(通俗性といった方が判りやすいか)と芸術性とのバランスがとれた独自のタンゴを創造していく。テンポは一定で、きらびやかなピアノやヴァイオリンのソロが随所にフィーチャーされていたのが特徴。他の楽団に先駆けて、1937年から専属アレンジャーとしてアルヘンティーノ・ガルバンを起用したことも、特筆すべきである。

ミゲル・カロー楽団からは、数多くの優れた人材が排出し、その豪華さはトロイロ楽団にも匹敵する。1930年代後半にはピアニストが何人か入れ替わっており、1935年にはオラシオ・サルガン、1936年にはオスバルド・プグリエーセも、それぞれ短期間ながら参加。1937年から39年までピアニストを務めたエクトル・スタンポーニは、その後もカロー周辺の音楽家たちと関係を保ちながら、主に作曲家として活躍することになる。1930年代のカロー楽団で第1ヴァイオリン奏者を務めたラウル・カプルンは、この楽団に於けるヴァイオリンの名人芸スタイルを確立した。

そして1939年から40年にかけて、次の時代を担うスターたちが楽団に勢揃いする。1939年に参加し、華麗なタッチを披露したピアノのオスマル・マデルナ(1918〜1951)は、編曲面でも大きく貢献し(クレジットがないので確証はないが、音から判断して間違いないと思われる)、重要な役割を担った。1939年から第1バンドネオンを務めたのは、既に短期間ながら自分の楽団を率いたこともあるドミンゴ・フェデリコ(1915〜2000)である(ちなみに、レオポルド・フェデリコと血縁関係はない)。そして忘れてならないのが、ブエノスアイレス州のサラテという都市のローカルな楽団で出会い、意気投合して1937年にブエノスアイレスにやってきた2人の若者のことである。一人はバンドネオンのアルマンド・ポンティエル(1917〜1983)、もう一人はヴァイオリンのエンリケ・マリオ・フランチーニ(1916〜1978)。ラジオに出演していた二人の才能を見抜いたカローが、彼らを楽団にスカウトしたのは1940年のことだった。

先に触れた通り、1934年からオデオンに録音を開始していたミゲル・カロー楽団だが、1936年までに24曲を録音した後は、1938年に2曲を録音したのみで、ほぼ5年間のブランクがあった。精力的な録音を開始したのは、強力メンバーが揃ってしっかりと足固めが出来た1941年3月のこと。その第1弾に選ばれたのはドミンゴ・フェデリコ作曲、オメロ・エスポシト作詞の「ジョ・ソイ・エル・タンゴ(俺がタンゴだ)」(歌はアルベルト・ポデスタ)だったが、この曲はアニバル・トロイロ楽団がほぼ一週間前にRCAビクター第1弾として録音した曲でもあり(歌はフィオレンティーノ)、輝ける1940年代の幕開けを告げる作品となったのである。フェデリコ=エスポシトのコンビは、以後フェデリコが独立して自分の楽団を組織する1944年までの間に、「アル・コンパス・デル・コラソン(心のときめき)」「トリステサス・デ・ラ・カジェ・コリエンテス(コリエンテス通りの悲しみ)」「ペルカル」といった傑作を発表した。また、独立後のこのコンビの作品に「ジュージョ・ベルデ(みどりの草)」、フェデリコが単独で書いたインストに「サルードス(挨拶)」などがある。

作曲では他のメンバーも負けてはおらず、アルマンド・ポンティエルは「カダ・ディア・テ・エストラーニョ・マス(日に日に遠ざかる君)」(カルロス・バール作詞)、「タバコ」(ホセ・マリア・コントゥルシ作詞)。「トレンサス(おさげ髪)」(オメロ・エスポシト作詞)など、エンリケ・マリオ・フランチーニはワルツ「ベダシート・デ・シエロ(空のひとかけら)」、ミロンガ・カンドンベ「アサバーチェ」(以上2曲はエクトル・スタンポーニと合作、作詞はオメロ・エスポシト)、「ラ・ビ・ジェガール(やってきた女)」(フリアン・センテージャ作詞)などの傑作をこの時期に発表しているし、オスマル・マデルナやミゲル・カロー本人も作品を次々に発表。専属歌手もラウル・ベロンアルベルト・ポデスタなど逸材に恵まれ、1940年代前半のカロー楽団からは、次々とヒット曲を生まれていったのだった。

この項続く


Julio De Caro y su orquesta
ミゲル・カロー楽団(1945年初頭)
座っているのは左からホセ・カンバレリ、フェリーペ・リチアルディ、アルマンド・ポンティエル(以上バンドネオン)、オスマル・マデルナ(ピアノ)、エドゥアルド・ロビーラ、カルロス・ラサリ(以上バンドネオン)。
立っているのは左からルイス・トローサ(歌手)、アロルド・ゲサーゲ、アンヘル・ボダス、エンリケ・マリオ・フランチーニ、アキレス・アギラール(以上ヴァイオリン)、カルロス・ロロン(司会者)、ラウル・イリアルテ(歌手)、アルマンド・カロー(コントラバス)、ミゲル・カロー(指揮)。


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