タンゴのアーティスト(12) 「ミゲル・カローとその系譜」その2

1944年初頭、ミゲル・カローの第1バンドネオン奏者だったドミンゴ・フェデリコは独立して自分の楽団を作った。作曲の才にも恵まれていたフェデリコは、カロー的な感覚を受け継ぎながら、1950年代中期までコンスタントに活動を続けたが、その後地方都市のロサリオに移住。1960年代はフランシスコ・カナロ楽団の一員として来日するなど、フェデリコ本来の音楽性とは異なるスタイルでの演奏活動が多かった。晩年には、1995年に創設されたロサリオ国立大学青年タンゴ楽団の指揮者を務め、健在振りを示した。

ピアノのオスマル・マデルナは、1945年7月に独立し、自分の楽団を結成した。翌年に録音を開始、リムスキー=コルサコフの「熊ん蜂の飛行」をタンゴにアレンジしたり(スペイン語タイトルは「エル・ブエロ・デル・モスカルドン」)、ピアノ協奏曲の概念をタンゴに持ち込んだ「コンシエルト・エン・ラ・ルナ(月下のコンチェルト)」「ジュビア・デ・エストレージャス(降る星の如く)」といった独創的なオリジナルを次々に発表。カロー楽団以来のスタイルを基本にしながらも独自色を鮮明に出して、タンゴの新たな可能性を提示していった。あくまでもダンス向けのテンポを守りながら、室内楽の要素を取り入れたスケールの大きなサウンドは、ピアソラにも多大な影響を与えた。マデルナは1951年に自家用飛行機の操縦を誤り、僅か33歳の命を落としてしまう。タンゴ界にとっては大きな損失だったが、第1ヴァイオリンのアキレス・ロジェーロら残された楽団メンバーは、マエストロの死後10年近く、マデルナの名前を冠した象徴楽団、“オルケスタ・シンボロ・オスマル・マデルナ”での演奏活動を続けた。この時ピアニストを務めたのは、オルランド・トリポディである。

ドミンゴ・フェデリコ脱退後第1バンドネオンに昇格したアルマンド・ポンティエルと、タンゴ界きってのヴィルトゥオーゾである第1ヴァイオリンのエンリケ・マリオ・フランチーニは、マデルナと同じく1945年にカロー楽団を去り、二人の連名によるフランチーニ=ポンティエル楽団を結成した。自由奔放なフランチーニをうまくコントロールしながら、音楽的なイニシアチブと楽団運営を一手に引き受けたのは、真面目な性格のポンティエルの方である。ポンティエルの作り出すサウンドは軽快でスウィング感に溢れていたが、ピアノのフアン・ホセ・パスやコントラバスのオラシオ・カバルコスなど優秀なメンバーが集まっていたのも見逃せない。専属歌手には、ラウル・ベロンやロベルト・ルフィーノ、アルベルト・ポデスタなど、カロー楽団を含め様々な楽団を彩った名歌手が随時参加。そして、ポンティエルがスカウトしたウルグアイ出身の若い歌手が、後に一世を風靡する人気者となる。それがフリオ・ソーサ(1926〜1964)である。ソーサはフランチーニ=ポンティエル楽団には1949年から1953年まで参加した。

フランチーニとポンティエルは1955年に袂を分かち、それぞれの道を歩む。ポンティエルは新たに結成した楽団で再びソーサを専属歌手に迎え、ソーサが1960年に独立してからも、安定した活動を続けた。ポンティエルも自分の楽団を作ったが、第1バンドネオンにフリオ・アウマーダ、ピアノに前出のフアン・ホセ・パスを迎えるなど、メンバーも豪華で演奏内容も素晴らしかったにも関わらず、自身のボヘミアン的な性格のため、楽団を長く維持することは出来なかった。ヴァイオリン奏者としてはピアソラのブエノスアイレス八重奏団(1955〜57年)、アルヘンティーノ・ガルバンが編曲を担当したロス・アストロス・デル・タンゴ(1957〜60年)、オラシオ・サルガンらとのキンテート・レアル(1959〜69年)などの様々なコンフントで活躍した。1970年前後は、ネストル・マルコーニ(bn)らを加えた六重奏団、続いてディノ・サルーシ(bn)が編曲を担当しピアノにトリポディが参加した八重奏団を率いた。特に後者はわずか4曲の録音が残されたのみだが(デ・カロ兄弟、マフィア、ラウレンスの作品が1曲ずつ)、これは現代タンゴ屈指の名演奏である。

ミゲル・カロー楽団は、フェデリコ、マデルナ、フランチーニ、ポンティエルといった強者たちが去ったあとも、第1バンドネオンにフリアン・プラサ、ピアノにミゲル・ニヘンソン(彼は出戻りだが)などを迎えて安定した活動を続けた。また、1960年代のメンバーを見ると、ヴァイオリンのアキレス・ロジェーロ、ピアノのオルランド・トリポディ、バンドネオンのホセ・リベルテーラ(後にセステート・マジョールを結成)など、マデルナ象徴楽団の出身者が多いことに気付く。カローは1963年、楽団OBのフェデリコ、フランチーニ、ポンティエル、歌手のベロンとポデスタを集めて同窓会的なアルバムを制作、この時ポンティエルが新たに書き下ろしベロンが歌った「ケ・ファルタ・ケ・メ・アセス(君なくて)」は時ならぬ大ヒットを記録した。

(この項終わり)


Julio De Caro y su orquesta
録音中のフランチーニ=ポンティエル楽団
左からニコラス・パラシーノ、アルマンド・ポンティエル、アドリアーノ・ファネーリ(首が切れているが…)、アルベルト・デル・バーニョ、エンリケ・マリオ・フランチーニ、エミリオ・ゴンサーレス


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