|
前回も記した通り、アストル・ピアソラ五重奏団はその活動時期とメンバーから、前期(1960〜74年)と後期(1978〜88年)とに分けられる。前者(アストル・ピアソラと“キンテート・ヌエボ・タンゴ”)を「60年代のキンテート」、後者(アストル・ピアソラと“キンテート・タンゴ・ヌエボ”)を「80年代のキンテート」と考えれば判りやすい。
60年代のキンテートと80年代のキンテートとの違いを幾つか挙げてみると、まず60年代のキンテートは、途中に何度も活動を中断していて、メンバーの移動も比較的多かった。新八重奏団やコンフント9などの大きな編成のグループを組んだり、『ブエノスアイレスのマリア』上演のために特別の編成を組んだり、といった時期があるのが大きな理由だが、演奏自体を休んでいた時期もある。また、活動の拠点はブエノスアイレスで、時折アルゼンチンの地方都市や周辺の中南米諸国にツアーに出かけるといった感じだった。それに対し、80年代のキンテートは、毎年しっかりと休暇は取ったものの、シーズン中は精力的な演奏活動をこなし、その活躍の舞台は、ヨーロッパ諸国を中心に世界のかなり広範囲に及んでいた。日本にも計4回来日している。メンバーの移動もほとんどなく、エレキ・ギターが1985年にオスカル・ロペス・ルイスからオラシオ・マルビチーノに交代したのみである(実は、ヴァイオリンのフェルナンド・スアレス・パスは85年にグループを抜け、アントニオ・アグリが復帰したのだが、直後にアグリが交通事故に遭遇して怪我を負ったため、スアレス・パスが呼び戻された)。
キンテートもその他の編成も、集まったメンバーは優秀な人材が多かった。ピアソラがメンバーを選ぶ目は特に厳しかったから、当然のことである。だがそれは、主に演奏家としての質の面についてであり、音楽家としての創造性となると話は別である。1960年代前半までのピアソラは、自作以外に他のメンバーの作品や既成のタンゴを取り上げることもあったが(いずれの場合もアレンジはピアソラが行った)、ボルヘスの詩に曲を付けた『エル・タンゴ』と傑作『ニューヨークのアストル・ピアソラ』を続けて発表した1965年以降は、特別な場合を除いては自作しか演奏しなくなった。各メンバーは、ピアソラの音楽を100%(あるいはそれ以上)具現化するために力を発揮したのである。ピアソラと共演してきたミュージシャンたちは、その後さまざまな形でピアソラの音楽を引き継ぐ演奏活動を続けているが、ピアソラの存在を意識している限り、ピアソラを超えることなど到底不可能である。
ピアソラが作り上げた極めて独創的なモダン・タンゴの世界は、20世紀後半のタンゴ界に大きな影響を与え続けて来た。ピアソラに続くモダン・タンゴのアーティストたちは、ピアソラの巨大な影の中でもがいてきたと言えるかも知れない。それは、ピアソラと共に演奏して来たミュージシャンたちも概ね同じである。だが、最近になって状況は変わりつつある。ピアソラの音楽の「形」をなぞったりするのではなく、例えばピアソラの音楽のルーツでもあるトロイロなど黄金時代のタンゴにまで立ち戻って、その上で「今」のタンゴの在り方を再検討する、という動きが見られるようになってきた。ピアソラの影響を受けて来た一人であるバンドネオン奏者のロドルフォ・メデーロスは、最近のインタビューで「タンゴの未来はピアソラにはない。ある意味でピアソラの音楽は閉ざされているんだ。ピアソラは流派を生み出さない。アローラス、バルディ、プグリエーセ、トロイロのようにはね。彼の音楽は変化する可能性をもたないんだ。すべてが書かれている」と語っているが(雑誌「ラティーナ」2001年11月号。文:鈴木一哉氏)、この言葉の示唆するところは大きい。
(この項終わり)

アストル・ピアソラ五重奏団(1983年、ウィーン)
左からエクトル・コンソーレ(b)、パブロ・シーグレル(p)、フェルナンド・スアレス・パス(vn)、アストル・ピアソラ(bn)、オスカル・ロペス・ルイス(g)。
<タンゴのアーティスト(15) 「改めてアストル・ピアソラを考える」その3>に戻る
「タンゴ入門講座」インデックスに戻る
HOMEに戻る
|