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オールナイトニッポン、略してANN(もっとすごい略もあるが、それは各自の想像にお任せ!)、ニッポン放送が約四半世紀に渡って放送しつづける長寿看板番組である。
俺もはまった。
12歳の頃から20歳過ぎまでの10年近く、それは心の解放区だった。
あれは小学6年の町内キャンプだろうか?
俺が一年だけいた町内野球チームの先輩(もう中学生になってた)に
「ひーちゃんよお(年上にはこう呼ばれていた)面白いもん聞かせてやるから、今晩寝るなよ」 と言われ、丹沢のバンガローの中で初めてオールナイトニッポンを聞いた。
その先輩は副キャプテンでみんなから「うっさん」と呼ばれていた。
うっさんは野球が下手な俺に
「ひーちゃん、ちゃんとボールを見れば取れるぞ〜」と言い聞かせて、フライをあげてくれた人なのだ。
「鶴光でおま〜」
鶴光のANN、当時一番人気のあった番組で、中学になった先輩達は得意げに深夜放送の魅力について語り、町内の皆は
「中学入ったら深夜放送だぜ!」
が合い言葉になった。
みんなが寝ている時間にこっそりとラジオを聞くという事は、何か特別な事であり、そして何となく大人になった気分がした。
みんなが聴いている歌謡曲よりは、どこか先行く曲がかかる TVのベストテン番組で掛からない曲に、名曲があるんだなと初めて知ったのもこの頃。
そういえば自分のおこづかいで初めてレコードを買ったのもこの頃。
南佳孝の「スローなブギにしてくれ」が最初に自分のお金で買ったレコードだった。
そして中学に入るとみんなラジオを聞いていたのでビックリした。
一番人気は文化放送の「吉田照美のてるてるワイド」
性の知識に興味しんしんだったみんなは「青春白書」を聞き入った。
松田聖子の番組も人気があった。
だけど俺は軽音仲間とTBSの「小朝の夜はともだち」を聞いていた。
横浜銀蝿と沖田浩之のコーナーが面白くて好きだったからねえ・・・。
特に銀蝿のトークは面白かったし、「ツッパリの格好したあんちゃん」というよりも「本当に頼れる兄貴」っていう感じで好きだったな・・・
しかし当時ANNを聞いている奴はあまりいなかった。
ANNの話題をするのにしばらくはとなりのクラスの奴の所までいかなくちゃならなかった。
この頃の個人的に面白いと思ったANNのパーソナリティはビートたけし。今じゃ世界の巨匠キタノなんだが、MANZAIブームもあってもう飛ぶ鳥を落とす勢いだったから2時間笑いっぱなし。
夜中に布団の中でクスクス笑うので、朝に親に「あんた、最近変じゃないの?」といわれた。
中島みゆき、売れる前のアルフィーの坂崎幸之助も面白かったが、やはり「ラジオっ娘」のANNは20歳位のおねえさん3人組が、リスナーのエッチ話で盛り上がる番組。これはいいですぜ。
裏番組でとんちきワイン女こと川島なお美がまだ女子大生でミスDJ電リクパレードのDJをしていた事は有名ですね。
その昔、前の会社の会社の常務が
「俺さあ、川島なお美のミスDJが好きでさあ、大学の中で凄い人気あったんだよな。」という話を聞かされた事がある。
「失楽園」が盛り上がった頃、川島なお美のデビュー曲「シャンペンNo.5」は時価5万円のプレミアがついたが、俺は個人的にセカンドシングルの「哀愁のマンドリーゼ」の方がボサっぽいフレンチ歌謡テイストで名曲だと思う。
すみません、話ずれました。
タモリの日はつまんないので千倉真理の方を聞いていたが、川島なお美の時は1時まで文化で、1時から坂崎のANNというパターンだった。
「UFOコーナー」「オフコースをつぶせコーナー」が傑作だった坂崎は毎週の様に「どうやったらアルフィーが売れるかな」なんぞ語っていた。出世作「メリーアン」から遡る事1年半まえの事である。
唄と対称的なキャラを見せる中島みゆき、この頃3時からはじまる二部で「フェイズ」という3人組が「3時のあなた」のテーマに乗って番組がはじまるのが好きだったなあ(番組内容はあまりにもトンガリすぎてついていけず)。
高校に入るとたけしも相変わらず面白かったが、やはりとんねるずに尽きる。
「貧乏自慢」「電報対決」と言ったコーナーもいいが、やはりフリートークは最高! 初期は「オールナイターズ」の裏話に始まり、「夕焼けニャンニャン」や「おニャン子」の裏話、「ザ・ベストテンイン静岡」のもみくちゃ事件、池袋の主直撃レポート(俺の中学の友人がとんねるず舎弟軍団のペニーズにいた事を思い出した。)、などノリに乗っていた。
個人的には「寺島純子コーナー」が一番面白かった。
しかしあの頃のANNはたけしととんねるずしか聞かなかった思い出があるなあ・・・
大学になるとたけし、とんねるずのANNがトーンダウン。
たけしは「フライデー襲撃事件」から復帰後が特にトーンダウン、まあたけしのサボリグセが付いてしまいたけし軍団が「今週も殿はいません!」 というと
「さあ寝るべ〜」と寝るのが当たり前になった。
ただ久々にたけしが出演した日の番組中に中国で四国の高校生が列車脱線転覆事故で多数の死傷者が出た速報がながれたら
「おれ、こんな事故が起きてるのに、バカな事言ってられないよ」と途中で帰ってしまった事もあった。スタジオに残された高田文夫が局アナとニュースを流していたけど・・・
その代わりに台頭してくるのはやはり月曜日「デーモン閣下」である。
閣下のANNと言えば「夜の横綱審議会」丹波哲郎、菊地桃子といった常連(横綱級)に加え、ベイブ近藤(クロマティじゃない方)、河島英互と言った小結級の方が爆笑。またデーモン閣下のフリートークも全盛期のたけし並みに痛快で面白く、また博学であった。
そして笑わせて貰った後で、何故か「愛をください」で昔の名刺の乱売を企む(笑)辻仁成の熱いトークを聞いて一週間のエネルギーにするというのがパターンだった。人生迷う時期、「OK!問題ない!」とリスナーの相談事に対してレスポンスする辻の熱いトークは希望を示してくれた。
もともとは鴻上尚史のANNのエンディングテーマに使われていたのがエコーズの「ONEWAY RADIO」という曲で、そこから興味を持ったんだけど・・・
そう言えばデーモンのANN本を買い、エコーズのコンサートにも行くぐらい月曜の一部・二部は良く聞いていた(三匹のアクセルが「カマ〜ン!ジャ〜ァ〜ック」と言うのはそれから5〜6年後位)。
さっきも引き合いに出したが鴻上尚史のANNも面白かった。
この番組は私もハガキを何度か読まれた事がある。
この番組は「10回クイズ違うね(ひざって十回言ってみて〜、じゃここは?ここはヒジって流行ったよね。)」や「究極の選択(ウンコ味のカレーとカレー味のウンコ、どっちを取る?)」と言った社会現象を産んだのだ。
最終回の「おたより」をくれた人全員の名前を10分位渡って読み上げた中に、俺のハガキもあった時、「最終回のフィナーレに参加できた」感激のあまりに布団の中で泣いた記憶もある。若かったよね・・・・。
元ゴーバンズの森若香織のANN(傑作なのはダービーゲームのコーナー)、川村かおりのANN(食い合わせコーナーは学生時代に書いていて知る人ぞ知る「食い合わせエッセイ」の元ネタである。)と2部に佳作が多かったのも印象的だ。
そして鴻上、デーモンのANNは確か大学2年生の時に終わる。
すでにたけしは引退、とんねるずも終わり、それは俺をANNから引退するのに十分な幕引きであった。 以後ANNは聞かなくなった。
会社の後輩と話すとその後のパーソナリティの話を聞かせてくれた。
「ウッチャンナンチャンが面白かった」
「福山雅治のはエロかったっすよ〜」と話してくれる。
確かに福山のトークは面白い。
時代は変わってもANNは誰かの青春に関わっているのだ。
ANNは現在、午後10時からの「オールナイトニッポンSUPER」からはじまり、1時間のインターバルを置いて「オールナイトニッポン・コム」3時からは3部がスタートと実質3部制になったのである。
最近、年甲斐にもなくANNを聞くようになってしまった。
仕事をしながら聞いているのだが、パーソナリティや番組形態が変わってもANNってなんかホッとする様なものなのだ。
番組形態が変わろうともビタースゥイートサンバのオープニングだけは変わらない。 今のANNは、リスナーの子達にどんな思い出を作っていくのだろうか?
そして彼らが大人になって昔話で盛り上がった時も「○○のANNがさぁ」と切り出してくれるだろうか?
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