Kimagure-koma2
 

 
 
 
神の手のひらの上で
 
 
 
 

今回のエッセイのテーマは宗教です。

すげえテーマだ。自分で考えてびっくりしたよ。宗教だぞ宗教!こんな事を偉そうに述べていいのだろうか?と思うかもしれないが、私はラーメン屋巡りユニット「三匹が行く」では「ゴッド」という名前で活動している。「ゴッド」と名乗っているんだからまあいいだろう(笑)

宗教とはそもそも何だろうか?
本来宗教の持つ神秘的なおこがましさと道徳性が結びついて「教え」という名のもとに人間の欲望を抑圧し社会秩序を形成するための手段だと思う。
宗教の名の元に世界征服とか戦争を起こすのは非常に多いので、もしかしたら非常にくだらんものなのかもしれない。

しかし人為ではどうにもならない事を「たのむ解決して〜」というものばかり増長してきた気がする。
「たのむ解決して〜」という付け焼き刃につけこむダニの様な連中もいるんだが、宗教も宗教心というのも、そんな都合のいい事ではなく、日頃の積み重ねによってくだらん事に手を出さずにすむ平穏な心を持つためのものであって、なんか勘違いしている気がするね。
まあ日本という国は無宗教国家の様なものなので(宗教はないが、儒教という教えで保たれている部分はあるけど)、私も家のお墓はなんとか宗とか入ってるけど、そんなもんはあくまで便宜上のもので、個人としては無宗教。
でも宗教は必要だと思うのね。人間が欠落した部分を「助かった気分」になる事で気持ちが補完されるにはいろいろ考えてみてだな宗教がベストなのかもしれない。
でもカルトとか、選挙の前になると昔の友達に電話しちゃうような新興宗教はごめんだ。

宗教家というのは無償の愛を提供しなくてはならない。それに対し教えを受けたものが心付として払うのが「お布施」である。
しかし「あんたは呪われているので100万円持ってこい。そうすればなおるであろう」という宗教家は宗教家とは言わない。いくらなんでもヤクザ屋さんだってこんなヒドイ商売しないよ。
自費でグランド探して、抽選やって、みんなの当選確認やって、前日に雨が降りゃ真っ暗やみのドロドロのグランドへ出掛けて足を汚して中止か決行か決めて、自分達のチームに入れればすげえ強いチームになっただろうにあえて人の少ないチームの為に人探しをやって、どっかのチームがヘマしてリーグに迷惑かけても慈悲の精神で接してだな、そうこう苦労しても別に何も自分の懐は温かくなるわけじゃないけど、まあみんなが楽しそうにしてりゃそれでいいやという俺は、自分でこういう事を言うのも何だが、訳のわからん事を言って金の亡者と化しているえせ宗教家に比べたら、宗教家以上に宗教家並の無償の愛を提供してるじゃん。

でも俺は結構俗な野郎で、ずうずうしいので、もういい加減「何も報われる事のない無償の愛の提供」がいいかげんにやんなった。
宗教家がスネてしまって、カルトな方向に走るのは、自分のやってきた事があまりにも世間的に認められてないと思ってしまうからで、だから世の中ひっくりかえしてやろうとか考えちゃうんだろうね。

人間失敗してナンボなのよ。1度失敗したら次は許されないというのは難しい。絶対人間は1度失敗した事は2度3度失敗するね。 自分もそうだしね。
100%完達する事はないのよ。でも人為として100%に近づいていく事はできる。そのための手段を考える事も実行する事も人間は出来るからね。
ただ今の世の中は「100%でないと駄目だ」みたいな風潮になってるから、そういったプレッシャーに潰されてしまう人が多いわけだ。

100%でないと駄目だってことは決してなくて、人生には勝者も敗者もなくて、 泣いたり笑ったり怒ったり傷ついたりするのはごく当たり前の事で、今世の中で一番大事なキーワードって考えると「許してあげる」って事じゃないでしょうか?
「自分を許す、人を許す」
こんだけでも、みんな仲良く平和になれると思うのだ。
それでも許せないものが幾つかある自分は、ダメダメ人間日記の作者に相応しいのかもしれない。

でもよ、神の名の元に人を殺したり戦争したり環境を壊して来て、てめえが心苦しいとすぐ神だのみする人類は、そろそろ神様から自立したり独立しなくちゃいけないのかもしれないね。

 
 

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