悋気姫

 
 黒い頭をした無数の蛇がぬらぬらと蠢いている。お湯のかわりに蛇で満
たされた湯舟は、蝋燭の光に照らされ縁の辺りまでぬめぬめと鈍く光って
いる。
 その湯舟に天井から吊された白い女の裸身が入って行く。最初は爪先、
くるぶし、ふくらはぎ、股そして黒く翳った部分が。
 最初は全身を揺すって抵抗していた気丈な女も、体が沈み込むに連れて
じっと身を固くする。しかし、体のそこかしこに感ずる奇妙な感触に我慢
しきれなくなってぴくっぴくっと反応する。その度に蛇達の動きも激しさ
を増していく。やがて恐怖が極限に達し女は気を失う。
 蛇がどこかに噛みついたのか、鋭い痛みに目を覚まされる。もう我慢し
きれなくなって猿ぐつわの間から叫び声を洩らす。
「ゆ、ゆるしてください。もう、もういたしませ・・・・・・」
 女の叫び声は嗚咽に変わる。蛇のぬめりと自分の体液と涙がいっしょく
たになった湯舟で女はもがき続ける。
「淫らな声を出して、そんなに気持ち良いのかえ。輝政さまに抱かれたと
きと比べてどうなの? あれよりもっとずっと気持ちが良いでしょう。そ
うに違いないわ。かつて、亜刺比亜の王妃が乳首を毒蛇に噛ませたとい
う。ああ、普段でも美しいその王妃はさらに一段と美しい恍惚の表情で死
んで行ったのでしょうね。お前にもその機会を与えているのですよ」
 薄い笑いを浮かべながら、蛇責めを眺めているのは池田輝政の正室督姫
であった。
 間もなく女は動かなくなった。女を起こそうとした別な女中が青い顔で
告げた。
「死んでます」
「お前たちもよ−く覚えておおき。旦那様を誘惑した者はこうなるのよ」
 家康公の次女である督姫は十八で北條氏直に嫁ぎ、それから六年後小田
原落城直前に離別した。太閤秀吉の勧めで、朝鮮の役で果敢に戦った池田
輝政に嫁いだのは小田原落城から五年後の昨年のことである。
 女好きの輝政は、正室に家康の娘、督姫を迎えたにもかかわらず女中に
手をつけることを止めなかった。三十路を過ぎた督姫の悋気はここで一気
に噴き出したのである。

「奥方さま、たいへんでございます」
「何ですか、騒々しい」
「あの、おみつが消えました」
「おみつ? 馬鹿なことを。死体が消えたというのか?」
「そうでございます。地下牢の遺体が消えたのです」
 督姫の顔が一瞬青ざめた。おみつとはこの前、督姫が蛇責めの折檻で死
なせた女中のことである。処分に困り果て、居城である三河吉田城の地下
深くにしつらえた秘密の牢に転がしておいた。その死体が忽然と消えたと
いうのである。
「歩いて豊川に出やったのかもし」
 別な女中が口をはさんだ。
「馬鹿なことをいうでないわ、死人が歩くわけないでしょ」
 督姫は三人の側近の女中を見まわした。夏だというの皆一様に震えてい
る。ここにおみつの死体があるのを知っているのはその三人しかいないは
ず、彼女らが死体を外に運び出すとは考えられなかった。
 一体誰が、何を企んでいるのだろう? 早くどこかに埋めてしまえば良
かったものを、一瞬の躊躇がこういう事態を招いてしまったのだ。
 女中一人の死くらい督姫の立場では何ほどのこともなかったが、気位の
高い姫にすれば、自分の悋気から美貌の噂の高い女中を死に追いやったと
いう事実を知られるのは最大の屈辱であった。
 それから数日は何事もなく過ぎた。
 その日は久々に居城に戻った輝政が、おみつの姿を探して城中を歩き
廻っている姿が見られた。
 小田原の香沼姫から文が届いたのはそんな日の夕刻であった。
「あらめずらしい、ばば様からだわ」
 香沼姫は北條氏綱の娘で、姫とは云えすでに七十に近い高齢であった。
それまで一度も嫁ぐことなく独身で過ごした姫である。氏綱には六人の姫
がいて、他の五人はしかるべき武家に嫁いでいるのに香沼姫だけはどこに
も行かず、小田原城の裏手に当たる谷津に屋敷をもらって住んでいた。
 小田原時代の督姫はこの変わり者の姫と気が合い、よく香沼姫屋敷に出
掛けては歌を詠んだり、京風の遊びに興じたりした。香沼姫もこの気性の
激しい督姫を孫娘のように可愛がっていた。

 督姫様、お変わりございませんか。ばばも老い恥をさらしながら日々変
わらず生きております。
 先ずは再婚おめでとうございます。御家のためとは云え、おつとめのご
苦労お察しします。
 でも今度の縁組みはあなたにとっても良かったのではありませんか。池
田輝政殿は以前からあなたを好いておられたのですから。
 小田原合戦のおり、あなたが氏直殿から離縁され小田原城から家康殿の
陣へと移る時、付き添いをかって出られたのが輝政殿と聞いております。
輝政殿御自身が太閤殿下にお願いなされたと後で聞きました。
 かように殿方に愛された結婚は羨ましいと誰もが思っております。さぞ
お幸せな日々を送っておられるのでしょう。
 さて、四年前に氏直殿が高野山で亡くなられた事はお聞き及びでしょう
か。ほんの何年か前までは夫だった人ですから、知らないはずはないです
わね。でも氏直殿がいまわの際に言ったこの言葉は聞いておられないで
しょう。
「わたしの一生の後悔は督姫に子を授けてやらなかったこと」
 氏直殿はあなたを深く愛しておられた。その愛が深いゆえに、そなたと
の間に生まれた子の将来を考えると子をつくれなかったのだと、皆涙しま
した。氏直殿は不思議に先を見る能力があったのですが、愚かな権力者で
あった父、氏政の前では無力だったのです。悲しいことです。
 しかし、高野山に移られて、父もなく一人の男に戻られた時、妻であっ
たあなたのことを思って慚愧の念に駆られたのでしょう。
 もし、あなたが氏直殿の子供産んでおられたら、このわたしが何として
でも育てたでしょうに。私にもそのくらいの力はあったのです。

 おばば様(またおばば様と呼んでいいかしら)懐かしい文をありがとう
ございます。とても驚きました。まさか生きておられたとは。あの小田原
合戦でてっきり亡くなられたと思っていましたわ。あの頃すでに六十を越
えられていましたから。でも生きておられて良かった。
 おばば様の想像されたとおり、ここ三河の吉田で輝政殿と幸せな日々を
送っておりますので御安心下さい。
 氏直殿の最後の言葉、知りませんでした。私の躰に触れようともなさら
ない氏直殿を私は誤解していました。
 でも今さらそれを言ってもどうなることでしょう。おばば様もそのこと
を私に伝えて何がおっしゃりたいのでしょう?

 督姫様、あなたはこの数年ですっかり変わられましたね。あなたから文
の文面で私はそれを感じました。
 あの頃の鋭い感性の持ち主のあなたなら、私が今頃、何故あんな文を出
したのか、その理由を察していただけたはずです。
 では、はっきり申しましょう。醜い悋気はお止めなさい。果ては殿の浮
気相手の御女中を虐めぬいて死に至らしめるなぞ人のする事ではありませ
ん。かつて姫の友人であり、祖母でもあったおばばとして忠告します。
 あなたの夜な夜なの行状を聞いたとき、築山殿の事を思い出しました。
そう、あなたが大好きだった兄、信康殿の母上の事を。築山殿はあなたの
母上、西郡局とは同じ今川の縁で繋がっていますね。その築山殿は嫉妬心
から家康殿の寵愛深かったお万の方を庭木に縛り付けて折檻したと聞いて
います。家康殿はこの気性に戦慄を覚えたのでしょう。その後、信康殿と
築山殿を自らの手で殺害されたのはこの事とは無縁ではないと、ばばは見
ています。今川の血なのでしょうか? あなたにもその今川の血が流れて
いるのですよ。家康殿がそれを知ったらどうなるのでしょう?
 氏直殿とのこと、これはむしろあなたが拒んだ。そうなのでしょ? 氏
直殿は深くあなたを愛していた、でもあなたは彼を愛することが出来な
かった。それは何故? あなたは人を愛することが出来ないできない女な
の? 氏直殿とのことは過去のことですが、現在の輝政殿に対しても同じ
こと、そんな気がして今さらの昔話を書いたのです。

 おばば様、それはそれは親切なご忠告、ありがとうございます。
 それで分かったわ、あれはおばば様の仕業なのね。吉田城から女中の遺
体を盗んだのは。きっと風摩の残党を使って忍びこんだのね。
 でも一体何のため? 何を企んでおられるの?
 悋気が今川の血なら、そう簡単には直らない、そう仰有りたいの。私が
女中を折檻する度におばば様はこんな事をなさるおつもり?
 私の方から氏直さまを拒んだとどうしておばば様が知ってるの? おば
ば様は私達の寝所まで忍びを使って覗かせてたのかしら。嫌らしい覗き趣
味だわ。それに私と輝政殿との夫婦関係はおばば様には全く関係ないこと
でしょ。

 督姫様、あなたはどうしてそんなに素直でないのでしょう。あなたが小
田原に来たときは、鼻っ柱は強かったけどもっと純粋で、きらきらしてい
ました。あの頃の督姫はどこへ行ったのでしょうね。
 あなたが殺した女中の遺体を持ち去ったのは、あなたがその処分に困っ
ていたからです。早晩、輝政殿に知られることになる。いえ、それより早
く家康殿に見つかるかもしれません。そうなるといろいろ面倒でしょう。
 縁者もほとんど死に絶え、老い先短いおばばの楽しみは、唯一あなたが
幸せになることなのです。
 心配いりません、あの遺体は地中深く埋めました。ちょうど再建中の姫
路城の天守閣の土台に人柱と一緒に埋めたのです。すでに柱が立った後で
は絶対に見つかる気遣いはありません。
 督姫様の悋気が直るまでは何度でも寝所を覗かせ、あなたに虐め殺され
たおなごの死体を日本中の城に埋めるでしょう。それは覚悟なさいませ。

 それから四年後、池田輝政は関ヶ原合戦の戦功により、三河吉田十五万
石より播磨国五十二万石となり姫路城に居を移した。
 督姫が初めて姫路城の天守閣に足を踏み入れた時、耳の奥でおみつの悲
鳴が聞こえた。督姫は耳を塞いで、その場にしゃがみ込んでしまった。
 輝政の大きな手が督姫を抱え起こし、躰を強く抱き締めてくれた。夫の
温もりに包まれているうちに、おみつの声は消え失せていた。
 督姫はその城で二子を産み、五十歳まで生きた。
 香沼姫は督姫の死を見届けると間もなく枯れ枝のようになって香沼屋敷
で息をひきとった。享年九十であった。

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