群馬県尾島町


大舘館(尾島町大舘字御堀)

 大舘館は、県道298号線から北側に300mほど入った所にある。東陽寺の北300mほどの位置である。城址の中央と思われる所には諏訪神社が祭られているが、実に小さな建物なので、注意して見なければ、どこにあるのか分からない。この諏訪神社の隣に城址標柱や案内板などがある。かつては御堀、御蔵、鍛冶屋、馬場などの地名も残っていた。
 周囲は一面の畑地で、耕地整理によって遺構は消失してしまったらしい。「大舘」というのが地名にまでなって残っているというのに肝心の城址はすっかり消滅してしまった。しかし「城郭体系」の図を見ると、方120mほどの単郭の居館で、北西側の角がつぶれており、厳密に言うと五角形をしていたらしい。それを参考にしてラフを描いてみたので掲載しておく。
 「大舘」の地名は仁安2年(1168)の新田義重置文には見えており、かなり古い時代から居館が営まれていたものであろう。この置文というのは義重が、息子らいおう御前(徳川家季)とその母に所領を譲ることを言い置いたものである。しかしどういう事情があったのか、大舘の地は新田宗家が相続することとなり、義重4世の家氏がこの地に住み、大舘氏を名乗ることになった。
 大舘氏は新田義貞に従って各地を転戦した。大舘氏明は後醍醐天皇によって伊予守にも任じられているが、義貞の討ち死にに伴って、大舘氏も没落して行った。











大舘周辺。堀や土塁は隠滅してしまったらしい。 諏訪神社と城址碑。小さな神社なので注意していないと見落としてしまいそうだ。





世良田氏館(尾島町世良田)

 世良田の交差点の南300mほどの所に長楽寺があるが、ここは歴史公園として整備されている。世良田氏の居館は、この長楽寺の西側にあったらしい。

長楽寺の勅使門。城門のように立派だ。寛永年間頃の建築といわれている。勅使が参拝するときにだけ使用されたといわれる。この門の両脇には土塁の痕跡が残っている。 長楽寺の太鼓門。
奥の院。左側の土壇の上には徳川義季らの墓所がある。 新田義貞および一族の忠霊碑。




徳川館(尾島町徳川)

 県道298号線沿いに縁切寺という別称のある徳満寺があるが、この寺院が徳川氏の居館の跡であったらしい。徳川氏発祥の地ということで、江戸時代には一種の聖地扱いされていたのではないかと思われるが、実際の徳川氏の先祖は、三河の出身であり、こんな所にはいなかったであろう。

県道脇の永徳寺入口にある徳川氏発祥の地の看板。 徳満寺に残る礎石。







大竹屋旅館