ここ数年、「塔」の内部において「わかる歌、わからない歌論」がちょっとしたブームになっている。平成九年の全国大会でも議論になったし、その後も何度か「塔」誌上で取り上げられた。
「わからない歌」には、「塔」平成十年三月号の特集「わからない歌をどう読むか」にあるように、文体のわかりにくい歌、集団の中でないとわからない歌、記号短歌など様々な類型があると思われるが、ここ数年話題になっていたのは、主として若い歌人が感性に任せて作る、言葉は悪いが時として独りよがりに陥りやすい歌を指しているようだ。
この「わかる歌、わからない歌」論が話題になるや、それまで堅実な歌風を保っていた歌人たちの中にも「わからない歌」を自ら作ってみようとする人や、自らは作らぬまでもせめて理解しょうという向きが増えてきたようだ。それにつれて、「わからない歌」がますます幅をきかせることになり、挙句の果ては作者自身もなんのことやらわからない作品の横行を許してしまっている。
こんな風潮に私は苦々しい思いを抱いていた。と言うのは、短歌という文芸も公表を予定している以上は他人あてのメッセージの意味を含んでおりそうであるならばできるだけわかりやすい歌を作るべきだというのが私の持論であるからだ。
そんな私からすれば、次のような歌は正に敬して遠ざけるべき作品以外の何者でもなかった。
しづくする港の西に鉄筋がやはらかく垂れやがて髪かな 田中あろう
これは、わからない歌の例として、平成九年度の「堵」全国大会でも議論になった作品と記憶しているが、私は今なおこの歌を読んでどういう情景を想像すればよいのか、さっばりわからないでいる。
「しづくする」「港」「西」「鉄筋がやはらかく垂れ」「やがて髪かな」という語あるいは句相互問の関係がよくわからないし、特に「鉄節がやはらかく垂れ」から「やがて髪かな」へといきなり飛躍してしまう大胆さはどうしてもついていけない。
いずれにしても、「わかる歌、わからない歌論」を惹起せしめる上で大きな功続があったことは間違いのないこの歌や、これに類する歌は、ひところ流行った政界用語を使えば「言語不明瞭意味不明瞭」短歌とでも呼ぶべきものであったと思われる。
これら「言語不明瞭意味不明瞭」短歌に対しては、言語が不明瞭である以上内容を理解できなくてもやむを得ないし、しかもそれは断じて読者である自分の読みの力が低いからではないと開き直ることもできた。すなわち、この種の歌は与しやすい相手であったと言えないこともなかった。
ところが最近はこれまでの感性に頼ったわからない短歌と違って、表面的にはよくわかるのだけれど、何を言おうとしているのか結局はよくわからない新手の歌が増えてきて、私の頭を混乱させている。
そんな、これまた政界で流行った言い方を借りて言えば「言語明瞭意味不明瞭」の、しかも感性に頼った歌を作る代表的歌人の一人が松付正直ではないかと思う。まだ歌集を持たぬであろう彼の作風について論ずるのはちょっと早すぎる気もするが、新たな感性派歌人たちの先駆者としての彼について、私が目にした作品を基に論評することとしたい。
私が松村正直の作品に注目するようになったのは、二年はど前からのことである。
それ以上うまく言えずにテーブルに付いた小さな傷を見ている
砂浜に続く誰かの足跡に寄り添うようにぽつぼつ歩く
これらはいずれも「毎日歌壇」に掲載された彼の作品である。このほか「NHK歌壇」や「角川短歌」にも出詠しているので、それらの作品についても挙げておきたい。
さびしさを呟き続けた夜が明けてもう日本語を喋らない猫 (角川短歌)
手遅れになるのをむしろ待っているように静かな湖の色 (角川短歌)
それ以上言わない人とそれ以上聞かない僕に静かに雪は (NHK歌壇)
明け方の淡い眠りを行き来していくつの橋を渡っただろう (NHK歌壇)
これらの歌を通読すると、自ずと松村独特の作風がわかってくる。
まず、先程の田中あろうの作品のように、語あるいは句相互のつながりがわからないということはまるでない。修飾語と披修飾語の関係にも無理なところがなく、一首の中で極めて自然にストーリーが展開していく。それに使用される単語もみな平易であり、殆ど日常の世界であると言ってよい。全体として非常に詩情が豊かであると同時に、ナイーブな感受性が感じられるのである。
また、田中の作品は、旧仮名や「かな」などという言い方を使うことによって、かろうじて古典和歌以来の短歌の伝統に連なろうという姿勢が見受けられるのであるが、口語発想かつ新仮名表記の松村の歌はそんな姿勢とも無縁である。
「もう日本語を喋らない猫」などという表現で読者をびっくりさせたかと思うと、「それ以上……」という作品ではその鮮やかな映像的手法で読者を雪の中での別れのシーソに引き込んでしまう。「……のように」「……だろう」の多用によりやや単調な感じがすることがあるものの、もう既に「松村調」あるいは「松村風」といった言い方が生まれてもよさそうな、彼独自の感性による短歌世界を構築しつつあると言ってよい。
ところが、これら言語明瞭の、わかりやすそうな歌から何を読み取ればよいのかということになると、私などは頭を抱えてしまう。再読し、三読しているうちに、一体、何を言いたいのかまるでわからなくなってしまう歌が多いのである。
これほどに私を悩ませてしまう松村正直なる歌人は、さて、そも何者であろうか。
私はこれまで一度もお会いしたこともないし、また、文通をしたこともないので、詳しいことは皆目わからない。ただ、「蒔」平成十一年四月号の「十代・二十代特集」に載っていたのだからその年代であることは間違いないし、特集の作品中の一首に
二十代という言葉をさかのぼり二十歳の僕に会いにいこうか
というのがあるので、二十歳を超えていることも間違いない。二十代半ばの、就職して何年も経っていない未婚の男性を想像しているが、間違っていたらお許しいただきたい。
「塔」に作品が初めて掲載されたのは平成十年の三月号。その後、めきめきと頭角を表し、作品評等にも度々取り上げられている。
例えば、「塔」平成十年八月号の作品一首評の中で、松木のり子は
待つように言ったら待ってくれたろう二十分でも二十年でも
という松村作品に対して、不思議な読後感の残る一首だとまず述べた上で、待つ主体がはっきりしないことを指摘し、それでいて読者を翻弄して止まない、アブナイ(=賛辞)歌ということになる、と結んでいる。
この批評は松村の作品評として概ね正鵠を得ているものと思われる。
松木が言うように、松村の歌にあっては、主体が明示されていない場合が多い。それどころか、客体や一首全体の意味、状況や作歌意図がよくわからず、時には作者の姿すら見えてこない場合が多いのである。
そう言えば、「塔」平成十一年一月号の深尾和彦評論「BGM短歌の謎」に松村の作品が状況不明の例として挙げられていた。
満月を横切る猫の足音が聞こえないから夜なのでしょう
この歌を深尾は単に状況不明の例として挙げているが、私から見ると、言語明除ではあるものの、一体何を言いたいのかはっきりせず、従って作歌意図も不明、そして作者も不在ということになる。表面上の意味が比較的わかりやすいだけに、読者としては却って不安を覚えてしまうのである。これはやはり、松木の言うように読者を載弄しょうとしているのかもしれない。
いや、更に穿った見方をすれば、松村はその作品の中で結局何も歌おうとしていないのかもしれないという疑問さえ浮かんでくるのである。実体のない短歌、比喩的な言い方をすれば、質量が限りなく零に近い短歌を目指しているのではないか。そんなふうにも感じられるのである。
例えば、二十代の若者であれば、恋愛の歌もあっていいのだが、恋愛に関する作品の数はあまりないようだ。たまさか出会う恋愛の歌もほとんどプラトニックなものばかりで、しかも中性的な感じさえ受けてしまう。性愛の歌というのは記憶にない。恋だの愛だのと騒ぎ立てないのが、今風の恋愛なのかもしれないが、それにしても物足りない。もう少し肉感的な描写があってもいいと思うのだが。
それに、政治的にも、思想的にも主張というものがあまり感じられないし、また生活感にも乏しいように思われる。まったく手垢のついていない、透明な感じのする作品が多いのである。
しかし、それがまた松付短歌の魅力と言ってしまえばそれまでだが今後時には壁にぶつかったり、挫折したりすることも必要かも知れないなどと、おせっかいなことを思ってしまうのである。よりハイレベルの作品を生み出すためには自分自身汚れることも必要だ、泥の中からこそ綺麗な花が咲くなどと言ったら、笑われてしまうだろうか。
(文中、敬称略)