Tanka  

 「零戦」 ─『短歌往来』2002年9月号

 

性欲をいまだ知らざる少年の箱に飼われているカブトムシ

雨降らぬ町へ出かけて帰らざるあまたの傘のことを思えり

あじさいの花の命の膨らみを見守るごとく立つ磨崖仏

灯台も老いてゆくなり落書きの恋人たちの名に囲まれて

出征の寄せ書きのある日の丸の売られていたりネット画面に

パノラマのごと夏空を映しいる水張田にひとり農夫が浮かぶ

連絡船待合室に見かけたり死にたる猫とよく似た猫を

高気圧に護られてはるか海原を行くさびしさもひとしおだろう

木造の廊下の端にウォータークーラーありて水の出ており

響灘で底曳き網にかかりしという零戦のエンジンのあり

空を飛ぶ翼を持たぬエンジンの陽を浴びており役場の庭に

「栄(さかえ)」なる名前さびしも人気なき草生に岩のごとく置かれて

物に宿る記憶もあらん零戦の零より数えて六十二年