三障四魔
天台大師の摩河止観第5にあり、御書には、数多くこれを引かれている。
三障とは、一に煩悩障……貧(とん)・儘(じん)・痴(ち)などにより、二に業障……妻子等により、三に報障……国王・父母等により起こる。
四魔とは、一に陰魔……五体により(病魔)、二に煩悩魔……妄惑のゆえに、三に死魔……修行中の者の若死等により、四に天子魔……第六天の魔王により起こる。
日蓮大聖人は兄弟抄に「魔競はずは正法と知るべからず」と仰せられて、仏道修行の途上には必ず三障四魔の競い起こるべきことを示されている。また天台の摩河止観第五の巻の「行解すでに努めぬれば三障四魔奮然として競い起こる乃至随う可らず之に随えば将に人をして悪道に向かわしむ之を畏れば正法を修することを妨ぐ」等云々、此の釈は日蓮が身に当るのみならず門下の明鏡なり之を畏れば正法を修することを妨ぐ」の文を引かれて「此の釈は日蓮が身に当るのみならず門下の明鏡なり謹んで習い伝えて未来の資糧とせよ」【兄弟抄】と御教訓になっている。しかして、三障四魔を粉砕すれば必ず成仏できることを確信すべきである。
また天子魔の最も恐るべきことを、次のようにお示しになっている。
三沢抄(1487p)仏にならむととする時には・かならず影の身にそうがごとく・雨に雲のあるがごとく・三障四魔と申して七の大事出現す、たとひ・からくして六は・すぐれども第七に破られぬれば仏になる事かたし、其の六はしばらくをく第七の大難は天子魔と申す物なり。
開目抄上(200p)日本国に此れをしれる者は但日蓮一人なり。これを一言も申し出すならば父母・兄弟・師匠に国主の王難必ず来るべし、いはずば・慈悲なきに・にたりと思惟するに法華経・涅槃経等に此の二辺を合せ見るに・いはずば今生は事なくとも後生は必ず無間地獄に堕(おつ)べし、いうならば三障四魔必ず競い起るべしと・しりぬ
兵衛志殿御返事(1091p)凡夫の仏になる又かくのごとし、必ず三障四魔と申す障(さわり)いできたれば賢者はよろこび愚者は退くこれなり。
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