「潮のひると・みつと月の出づると・いると・夏と秋と冬と秋と春とのさかひには必ず相違する事あり凡夫の仏になる又かくのごとし、必ず三障四魔と申す障(さわり)いできたれば賢者は喜び愚者は退くこれなり」【兵衛志殿御返事(三障四魔事)】
「此の法門を申すには必ず魔出来すべし魔競はずば正法と識るべからず、第五の巻に云く「行解すでに努めぬれば三障四魔奮然として競い起る乃至随う可らず之に随えば将に人をして悪道に向かわしむ之を畏れば正法を修することを妨ぐ」等云々、此の釈は日蓮が身に当るのみならず門家の明鏡なり謹んで習い伝えて未来の資糧とせよ」【兄弟抄】
「先業の重き今世につきずして未来に地獄の苦を受くべきが今生にかかる重苦に値い候へば地獄の苦みぱつときへて死に候へば人天・三乗・一乗の益をうる事の候、不軽菩薩の悪口・罵りせられ杖木瓦礫をかほるも故なきにはあらず、過去の誹謗正法の故かと見えて其罪ひっちと説れて候は不軽菩薩の難に値う故に過去の罪の滅するかと見えはんべり 」【涅槃経】
「すでに仏になるべしと見え候へば・天魔・外道が病を付けてをどさんと心み候か、命は限りあることなり・少しも驚く事なかれ、また鬼神奴らめこの人を悩ますは剣を逆さまに・飲むか」
「横(よこしま)に死横(しおう)に罹(かか)り呵責(かしゃく)・罵辱(めにく)・鞭杖(べんじょう)・閉繋(へいけい)・飢餓・困苦(こんく)・是くの如き等(とう)の現世の軽報を受けて地獄に堕ちず」【涅槃経】
自分はこれらの御文を繰り返し読んでいます。自分も適当に信仰していた中学一年の9月までは非常に調子が良く、クラスの人気者でした。中学一年の10月、長崎市の中等部大会の司会に選ばれました。それまでは朝は題目三唱、夕方に勤行と唱題30分、を行っていました。それまで非常に調子が良かったです。
中学一年の10月から、翌年1月15日の中等部大会まで、一日2時間の題目、もちろん朝晩の勤行は欠かさずにするようになりました。題目は力を込めて挙げるように指導されました。
でも、夜の2時間の題目は、力を込めて挙げると隣にみっともないと、母が注意します。でも男子部の担当の人は力を込めて気合いを入れて挙げるように言われます。自分はその狭間に苦しみ、力を込めて、でも声は大きくならないように努力したと思います。そして1月15日の中等部大会では声がかすれて出なく、大変でした。12月頃から、声がかすれて司会役を全うできない、ような感じになっていました。でも自分は毎晩、夜11時まで、題目を気合いを入れて挙げ続けました。線香は3本ずつ、炊かなければいけない、というのが当時の常識でした。そのため部屋は線香の煙でもくもくとなり、父からそれを注意された記憶がありま_キ。父は自分の声がかすれてしまっているのを心配してそう言ったのかもしれません。
中等部会が終了しても、自分は一日五千遍、つまり一日一時間四〇分の題目を挙げ続けました。中学一年の冬はそうして春になるまで半年間、喉頭炎で微熱が続き、幾つかの病院に行きましたが、治りませんでした。
春になり、中学2年になり、先生の指導を読み、クラブに入ろうと決意し、テニス部に入りました。毎日7時までの練習、そして帰ってから大きな犬の散歩、勤行を始めるのはどうしても九時になってしまいます。それから一時間四〇分の題目を含めた夜の勤行、気合いを入れて一生懸命挙げていました。11時半に勤行が終わり、それから仏壇の掃除。それから御書などの勉強。学校の勉強を始めるのは12時になります。でも僕は中国語を勉強していました。発音練習のところにものすごく時間を取られて中国語はあまりマスターすることができませんでした。
でも学校の勉強の方は驚異的に良くなりました。喉頭炎のため、学校を休みがちでしたが、成績は驚異的なまで良くなりました。
でも喉頭炎で大きな声が出ないため、自分は友達と騒いで遊べない、ときどき回ってくる反省会で声が出ない、とても苦しみました。でも苦しくても、中学2年の頃の自分は元気一杯でした。そしてクラスの人気者でした。中学2年の冬も半年間、喉頭炎で微熱が続きました。文化祭のとき、英語の先生役になりましたが、声が出なく、苦しみ、文化祭が終わるまで、心因性と思われる39度に達する発熱が10日間続き、学校を休み続けました。喉頭炎による微熱に心因性が加わり、39度までの発熱になっていたのです。病院に行くと、全く平熱になっていました。完全に心因性の発熱でした。
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