佐渡御書 (956P)(編年体471P) 文永九年(1272年) 三月 五十一歳 御作
与弟子檀那
此文は富木殿のかた三郎左衛門殿大蔵たう(塔)のつじ(辻)十郎入道殿等さじき(桟敷)の尼御前一一に見させ給べき人人の御中へなり、京鎌倉に軍に死(しせ)る人人を書付けたび侯へ、外典抄文句のこ玄の四の本末勘文(かんもん)宣旨(せんじ)等これへの人人もち(持)てわたらせ給へ。
世間に人の恐るる者は火炎(ほのお)の中と刀剣(つるぎ)の影と此身の死するとなるべし牛馬猶(なお)身を惜(おし)む況(いわん)や人身をや瀬人(らいにん)猶命を惜(おし)む何(いか)に況(いわん)や杜人をや、仏説て云く「七宝を以て三千大千世界に布き満(みつ)るとも手の小指を以て仏経に供養せんには如(し)かず」取意、雪山(せっせん)童子の身をなげし楽法(ぎょうほう)梵(ぼん)志(じ)が身の皮をはぎし身命(しんみょう)に過(すぎ)たる惜き者のなければ是を布施(ふせ)として仏法を習へば必(かならず)仏となる身命(しんみょう)を捨る人・他の宝を仏法に惜べしや、又財宝を仏法におしまん物まさる身命(しんみょう)を拾べきや、世間(せけん)の法にも重恩(じゅうおん)をば命(いのち)を捨(す)て報(ほう)ずるなるべし又(また)主君(しゅくん)の為に命を捨(すつ)る人はすくなきやうなれども其(その)数(かず)多し男子ははぢ(恥)に命をすて女人(にょにん)は男の為に命をすつ、魚は命を惜(おし)む故に池にすむ(栖)に池の浅き事を嘆(なげ)きて池の底に穴をほりてす(栖)むしかれどもゑ(餌)にばかされて釣(つり)をのむ鳥は木にすむ木のひ(低)きき事をおじて木の上枝(ほつえ)にすむしかれどもゑ(餌)にばかされて網(あみ)にかかる、人も又是くの如し世間の浅(あさ)き事には身命(しんみょう)を失へども大事の仏法なんどには捨る事難(がた)し故に仏(ほとけ)になる人もなかるべし。
仏法は摂受(しょうじゅ)・折伏(しゃくぶく)時によるべし譬(たとえ)ば世間の文・武二道の如しされば昔の大聖は時によりて法を行ず・雪山(せっせん)童子・薩?(さつた)王子は身を布施(ふせ)とせば法を教へん菩薩の行となるべしと責しかば身をすつ、肉をほしがらざる時身を捨つ可きや紙なからん世には身の皮を紙とし筆なからん時は骨を筆とすべし、破戒・無戒を毀(そし)り持戒(じかい)・正法(しょうほう)を用ん用には諸戒を堅く持(たもつ)べし儒教・道教を以て釈教を制止(せいし)せん日には道安(どうあん)法師・慧遠(えおん)法師・法道三蔵等の如く王と論じて命を軽うすべし、釈教の中に小乗大乗権経実経・雑乱(ぞうらん)して明珠と瓦礫(がりゃく)と牛驢(ごろ)の二乳を弁(わきま)へざる時は天台大師・伝教大師等の如く大小・確実・顕密を強盛(ごうじょう)に分別すべし、
畜生の心は弱きをおどし強きをおそる当世の学者等は畜生の如し智者(ちしゃ)の弱きをあなづり王法の邪をおそる諛臣(ゆしん)と申すは是なり強敵(ごうてき)を伏(ふく)して始(はじめ)て力士(りきし)をしる、悪王(あくおう)の正法(しょうほう)を破(やぶ)るに邪法(じゃほう)の僧(そう)等(ら)が方人(かたうど)をなして智者(ちしゃ)を失(うしな)はん時は師子王(ししおう)の如(ごと)くなる心(こころ)をもてる者必ず仏(ほとけ)になるべし 例せば日蓮が如(ごと)し、これおごれるにはあらず正法(しょうほう)を惜(お)む心の強盛(ごうじょう)なるべしおごれ(傲)る者は必ず強敵に値ておそるる心出来するなり例せば.修羅(しゅら)のおごり帝釈にせめ(責)られて無熱池(むねつち)の蓮(はちす)の中に小身(しょうしん)と成(なり)て隠れしが如(ごと)し
正法(しょうほう)は 一字・一句なれども時機に叶いぬれば必ず得道な(成)るべし千経・万論を習学すれども時機に相違すれば叶う可らず。
宝治の合戦すでに二十六年今年二月十一日十七日又合戦あり外道・悪人は如来の正法(しょうほう)を破りがたし仏弟子等・必ず仏法を破るべし師子身中の虫の獅子を食(はむ)等云云、
大果報の人をば他の敵やぶりがたし親しみより破るべし、薬師経に云く「自界(じかい)叛逆(ほんぎゃく)難(なん)」と是なり、仁王経に云く「聖人去る時七難必ず起らん」云云、金光明経に云く「三十三天各瞋恨(しんこん)を生ずるは其の国王悪を縦(ほしいまま)にし治せざるに由る」等云云、日蓮は聖人にあらざれども法華経を説の如く受持すれば聖人の如し又世間の作法兼て知るによて注し置くこと是違う可らず現世(げんせ)に云をく言の違はざらんをもて後生の疑をなすべからず、日蓮は此関東の御一門の棟梁(とうりょう)なり.日月なり・亀鏡なり・眼目なり・日蓮捨て去る時・七難必ず起るべしと去(いぬる)年九月十二日御勘気を蒙りし時大音声を放てよばはりし事これなるべし僅(わずか)に六十日乃至百五十日に此事起るか是は華報なるべし実果の成ぜん時いかがなげかはしからんずらん、世間の愚者の思に云く日蓮智者(ちしゃ)ならば何ぞ王難に値哉なんと申す日蓮来ての存知なり父母を打子あり阿闍世王(あじゃせおう)なり仏阿羅漢を殺し血を出す者あり提婆達多是なり六臣これをほめく伽利(くぎゃり)等これを悦ぶ、日蓮当世には此御一門の父位なり仏阿羅漢の如し然(しかる)を流罪し主従共に悦びぬるあはれに無慙(むざん)なる者なり誘法の法師等が自ら禍の既に頼るるを欺きしがかくなるを一旦は悦ぶなるべし後には彼等が欺き目迎が一門に劣るべからず、例せば泰衡がせうとを討九郎判官を討て悦しが如し既に一門を亡す大鬼の此国に入なるべし法華経に云く「悪鬼入其身(あっきにゅうごしん)」と是なり。
日蓮も又かくせ(責)めらるるも先業(せんごう)なきにあらず不軽品に云く「其罪(ござい)畢已(ひっち)」等云云、不軽菩薩の無量の謗法の者に罵詈(めり)打ちゃくせられしも先業(せんごう)の所感なるべし何に況や日蓮今生(こんじょう)には貧窮下賎の者と生れ施陀羅が家より出たり心こそすこし法華経を信じたる様なれども身は人身に似て畜身(ちくしん)なり魚鳥を混丸(こんがん)して赤白二滞とせり其中に識神をやどす濁水(じょくすい)に月のうつれるが如し糞嚢(ふんのう)に金をつつめるなるべし、心は法華経を信ずる故に梵天帝釈をも猶恐しと思はず身は畜生の身なり色心不相応の故に愚者のあなづる道理なり心も又身に対すればこそ月金にもたとふれ、又過去の謗法を案ずるに誰かしる勝意(しょうい)比丘(びく)が魂にもや大天が神(たましい)にもや不軽軽(きょう)毀(き)の流類なるか失心の余残なるか五千上慢(じょうまん)の眷属なるか大通第三の余流にもやあるらん宿業はかりがたし鉄(くろがね)は炎打(きたいう)てば剣(つるぎ)となる賢聖(けんせい)は罵詈(めり)して試(こころ)みるなるべし、我今度の御勘気は世間の失(とが)一分もなし偏に先業(せんごう)の重罪を今生(こんじょう)に消して後生の三悪を脱(まぬか)れんずるなるべし、
般泥垣経(はつないおんきょう)に云く「当来(とうらい)の世(よ)仮(か)りに袈裟(けさ)を被(き)て我(わ)が法(ほう)の中に於(おい)て出家(しゅっけ)学道(がくどう)し懶惰(らんだ)懈怠(けたい)にして此(これ)等(ら)の方等(ほうとう)契経(がいきょう)を誹謗(ひぼう)すること有(あ)らん当(まさ)に知るべし此(これ)等(ら)は皆(みな)是(これ)今日(こんにち)の諸(もろもろ)の異道(いどう)の輩(やから)なり」等云云(うんぬん)、此(この)経文(きょうもん)を見ん者自身をは(恥)づべし今(いま)我等が出家して袈裟(けさ)をかけ懶惰(らんだ)懈怠(けたい)なるは是(これ)仏(ほとけ)在世(ざいせ)の六(ろく)師(し)外道(げどう)が弟子なりと仏(ほとけ)記(き)し給(たま)へり、法然(ほうねん)が一類(いちるい)大日(だいにち)が一類念仏(ねんぶつ)宗禅宗(ぜんしゅう)と号して法華経に捨閉閣抛(しゃへいかくほう)の四字を副(そ)へて制止(せいし)を加(くわ)て権教(ごんきょう)の弥陀(みだ)称名(しょうみょう)計(ばか)りを取立(とりたて)教外(きょうげ)別伝(べつでん)して法華経を月(つき)をさす指只(ゆびただ)文字(もじ)をかぞふるなんど笑ふ者は六師が末流の仏教の中に出来せるなるべし、うれへなるかなや涅槃経(ねはんきょう)に仏光明(こうみょう)を放(はなつ)て地の下(した)一百三十六地獄(じごく)を照(てら)し給(たま)うに罪人(ざいにん)一人(ひとり)もなかるべし法華経の寿量品(じゅりょうほん)にして皆成仏せる故なり但(ただ)し一闡提人(いっせんだいにん)と申(もうし)て謗法(ほうぼう)の者計(ばか)り地獄(じごく)守(もり)に留(とどめ)られたりき彼(かれ)等(ら)がうみ(生)ひろ(広)げて今の世の日本国の一切衆生(いっさいしゅじょう)となれるなり 日蓮も過去�フ種子(しゅし)已に謗法の者なれば今生(こんじょう)に念仏者にて数年が間法華経の行者を見ては未有(みう)一人(いちにん)得者(とくしゃ)千中(せんちゅう)無一(むいち)等と笑(しょう)しなり今謗法の酔(よい)さめて見れば酒に酔(よえ)る者父位を打(うつ)て悦(よろこび)しが酔さめて後歎(なげき)しが如し欺(なげ)けども甲斐(かい)なし此罪消がたし、何に況や過去の謗法の心中にそみけんをや経文(きょうもん)を見侯へば烏の黒きも鷺の白きも先業(せんごう)のつよくそみけるなるべし外道は知らずして自然と云い今の人は謗法を顕し扶(たす)けんとすれば我身に謗法なき由をもながちに陳答して法華経の門を閉よと法然(ほうねん)が書けるをとかくあらかひなんどす念仏者はさてをきぬ天台真言等の人人彼が方人(かたうど)をあながちにするなり、今年正月十六日十七日に佐渡の国の念仏者等数百人印性房と申すは念仏者の棟梁(とうりょう)なり
日蓮が許に来て云く法然(ほうねん)上人は法華経を抛(すて)よとかかせ給には非ず一切衆生(いっさいしゅじょう)に念仏を申させ給いて侯此の大功徳(くどく)に御往生疑なしと書付て侯を山僧等の流されたる並に寺法師等・善哉善哉とほめ候をいかがこれを破し給と申しき鎌倉の念仏者よりもはるかにはかなく侯ぞ無慙(むざん)とも申す計りなし。
いよいよ日蓮が先生(せんじょう)今生(こんじょう)先日(せんじつ)の謗法(ほうぼう)おそろしかかりける者の弟子と成(なり)けんかかる国に生れけんいかになるべしとも覚えず、般泥(はつない)垣経(おんきょう)に云く「善男子(ぜんなんし)過去に無量の諸罪・種種(しゅじゅ)の悪業を作らんに是(こ)の諸(もろもろ)の罪報・或(あるい)は軽易(きょうい)せられ或は形状(ぎょうじょう)醜陋(しゅうる)衣服(えぶく)足(た)らず飲食(おんじき)?(そ)疎財(そざい)を求めて利あらず貧賎(ひんせん)の家及び邪見の家に生れ或は王難に遇(あ)う」等云云、又云く「及び余の種種の人間の苦報(くほう)現世(げんせ)に軽く受くるは斯れ護法(ごほう)の功徳(くどく)力(りき)に由(よ)る故なり」等云云、此(この)経文(きょうもん)は日蓮が身なくば殆(ほとん)ど仏の妄語(もうご)となりぬべし、一には或(わく)被(ひ)軽易(きょうい)二には或(わく)形状(ぎょうじょう)醜陋(しゅうる)三には衣服(えふく)不足(ふそく)四には飲食(おんじき)そ疎五には求財(ぐざい)不利(ふり)六には生貧(しょうひん)賎家(せんけ)七には及(ぎゅう)邪見(じゃけん)家(け)八には或遭(わくぞう)王難(おうなん)等云云、此八句は只日蓮が身に感ぜり、高山(こうざん)に登る者は必ず下(くだ)り我(われ)人を軽しめば還(かえつ)て我身人に軽易(きょうい)せられん形状(ぎょうじょう)端厳(たんごん)をそしれば醜陋(しゅうる)の報(むく)いを得(え)人の衣服飲食(おんじき)をうばへば必ず餓鬼(がき)となる持戒(じかい)尊貴(そんき)を笑(わら)へば貧賎(ひんせん)の家に生ず正法(しょうほう)の家をそしれば邪見の家に生ず善戒を笑へば国土の民となり王難に遇(あ)ふ是は常の因果の定れる法なり、日蓮は此(この)因果にはあらず法華経の行者を過去に軽易(きょうい)せし故に法華経は月と月とを並べ星と星とをつらね華山(かざん)に華山(かざん)をかさね玉と玉とをつらねたるが如くなる御経(おんきょう)を或は上げ或は下(くだし)て嘲弄(ちょうろう)せし故に此八種の大難に値るなり、此八種は尽未来(じんみらい)際(さい)が間(あいだ)一(ひとつ)づつこそ現ずべかりしを日蓮つよく法華経の敵を責(せめ)るによて一時に聚(あつま)り起(おこ)せるなり譬(たとえ)ば民の郷郡(ごうぐん)なんどにあるにはいかなる利銭(りせん)を地頭(じとう)等におほせたれどもいたくせめ(責)ず年年にのべゆく其所(そのところ)を出る時に競起(きそいおこる)が如し斯れ護法(ごほう)の功徳(くどく)力(りき)に由(よ)る故なり等は是なり、法華経には「諸(もろもろ)の無智(むち)の人有り悪口(あっく)罵詈(めり)等し刀杖(とうじょう)瓦石(がしゃく)を加うる乃至(ないし)国王・大臣・婆羅門(ばらもん)・居士(こじ)に向つて乃至数数(しばしば)摸(ひん)出(ずい)せられん」等云云、獄卒(ごくそつ)が罪人を責(せめ)ずば地獄(じごく)を出る者かたかりなん当世の王臣なくば日蓮が過去謗法の重罪消し難し日蓮は過去の不軽(ふきょう)の如く当世の人人は彼の軽毀(きょうき)の四衆の如し人は替(かわ)れども因は是(これ)一なり、父母を殺せる人異なれども同じ無間(むげん)地獄(じごく)におついかなれば不軽の因を行じて日蓮一人釈迦仏とならざるべき又彼(かの)諸人は跋陀(ばつだ)婆羅門(ばらもん)等と云はれざらんや但千劫(せんこう)阿鼻(あび)地獄(じごく)にて責(せめ)られん事こそ不快にはおぼゆれ是をいかんとすべき、彼軽毀(きょうき)の衆は始(はじめ)は謗(ぼう)ぜかども後には信伏(しんぷく)随従(ずいじゅう)せりき罪多分は滅して少分有(あり)しが父母千人殺したる程(ほど)の大苦をうく当世の諸人は翻(ひるがえ)す心なし譬喩品(ひゆほん)の如く無数劫をや経(へ)んずらん三五の塵点(じんてん)をやおくらんずらん。
これはさてをきぬ日蓮を信ずるやうなりし者どもが日蓮がかくなれば疑(うたが)ををこして法華経をすつるのみならずかへりて日蓮を教訓(きょうくん)して我賢(かしこし)しと思はん僻人(びゃくにん)等が念仏者よりも久(ひさし)く阿鼻地獄(じごく)にあらん事不便とも申す計りなし、修羅(しゅら)が仏は十八界我は十九界と云ひ外道が云く仏は一(いち)究竟道(くきょうどう)我は九十五究竟道(くきょうどう)と云いしが如(ごと)く日蓮御房は師匠にておはせども余(あまり)にこは(剛)し我等はやは(柔)らかに法華経を弘むべしと云んは螢火(ほたるび)が日月をわらひ蟻塚(ありづか)が華山(かざん)を下し井江(せいこう)が河海(かかい)をあなづり烏鵲(かささぎ)が鸞(らん)鳳(ほう)をわらふなるべしわらふなるべし。
南無妙法蓮華経
文永九年太歳 壬申三月二十日 日 蓮花押
日蓮弟子檀那等御中
佐渡の国は紙侯(そうら)はぬ上面面(うえめんめん)に申せば煩(わずらい)あり一人ももるれば恨(うらみ)ありぬべし此文(ふみ)を心ざしあらん人人は寄合(よりあい)て」御覧じ料簡(りょうけん)侯て心なぐさませ給へ、世間にまさる欺(なげ)きだにも出来すれば劣る欺きは物ならず当時の軍に死する人人実不実は置く幾(いくばく)か悲しかるらん、いざ(伊沢)はの入道さかべ(西部)の入道いかになりぬらんか(河)はのべ(延)山城得(やましろとく)行寺(ぎょうじ)殿等の事いかにと書付て給べし、外典書(げてんしょ)の貞観(じょうかん)政要(せいよう)すべて外典の物語(ものがたり)八宗の相伝等此(これ)等(ら)がなくしては消息もかかれ侯はぬにかまへてかまへて給(たび)侯べし。
通解
畜生の心は、弱い者を脅し、強い者を恐れる。いまの世の諸宗の学者どもは畜生のようである。智者(ちしゃ)が弱い立場であるのをあなどり、邪悪な王法を恐れている。諛臣(ゆしん)というのはこれである。強敵を倒して初めて、力ある人間と知ることがでさる。悪王(あくおう)が正法(しょうほう)を滅亡させようとしている時、邪法(じゃほう)の僧どもが(この悪王(あくおう)に)味方して、智者(ちしゃ)を滅ぼそうとする時は、師子王のような心を持つ者が必ず仏になることがでさる。たとえば日蓮のようにである。このような戦いを起こしたのは慢心からではなく、正法(しょうほう)が減するのを惜しむ心が強いからである。慢心の者は、強敵にあうと必ず恐れる心が生じるものである。たとえば、修羅(しゅら)は自分の力に慢心をおこしていたが、帝釈に責められて無熱池の蓮の中に小さくなって隠れたようなものである。
御書の目次
語句の解説
諛臣(ゆしん) こぴへつらう家臣・臣下のこと。
修羅(しゅら) 戦闘を好み、帝釈とつねに争う鬼神。
帝釈 世界の中央にある須弥山の頂上に住み、正義を守る善神の代表。
無熱池 古代インドの想像上の大きな池。
(通解)仏法の弘通にあたって摂受(しょうじゅ)・折伏(しゃくぶく)は時によって選ぶ。世間の文武こ道のようなものである。したがって、昔の大聖は時に適った修行を行じている。
通解
世間の法においても、重恩(じゅうおん)に対しては命を捨てて報いるものである。
また、主君のために命を捨てる人は少ないようであるけれども、その数は多い。男子は恥に命を捨て、女の人は男のために命を捨てる。魚は命を惜(おし)しむ故に、池に栖んでいるが、池が浅いことを嘆いて池の底に穴を掘って楢む。しかし、餌にだまされて釣り針をのんでしまう。鳥は木に楢(す)んでいるが、木が低いことを恐れて木の上枝に栖む。しかし、餌にだまされて網にかかってしまう。人間もまた同じようなものである。世間の浅いことには身命(しんみょう)を失うが、大事な仏法のために身命(しんみょう)を捨てることは難しい。そのために仏になを人もいないのである。
日蓮を迫害している諸宗の者についてはさておき、日蓮を信ずるようであった者たちが、日蓮がこのように大難に遭うと、疑いを起こして法華経を捨てるだけでなく、かえって日蓮を教訓して、自分は賢いと思っている僻人(びゃくにん)等が、念仏者よりも長く阿鼻地獄(じごく)で過ごすであろうことは、あわれとも何とも言いようがない。
修羅(しゅら)が「仏は十八界を説くが、自分は十九界を説く」と言い、外道が「仏は一つの究竟道(くきょうどう)しか説かないが、自分は九十五の究竟道(くきょうどう)を説く」と言ったように、「日蓮御房は師匠ではあられるが、あまりにも強すぎる、われわれは柔らかに法華経を弘めよう」などというのは、蛍火が日月を笑い、蟻塚が華山(かざん)を自分より低いと思い、井戸や小川が大河や海をあなどり、鳥鵲(かささぎ)が鸞鳳(らんほう)を笑うようなものである。
語句の解説
僻人(びゃくにん) ひねくれ者。
十九界 仏が四諦・五陰・十二入・十八界の法を説いたのに対し、魔王は仏に化して五諦・六陰・十三入・十九界とそれぞれに一を加え、自分の教えの方が勝れているように見せかけた。
一究竟道(くきょうどう)・九十五究竟道(くきょうどう)仏法が根源の一法を示したのに対して、外道は九十五派それぞれに悟りがあるとした。
鸞鳳 聖人出現の瑞相として現れる伝説上の神鳥。
心は法華経を信ずる故に梵天帝釈をも猶恐しと思わず身は畜生の身なり色心不相応の故に愚者のあなづる道理なり(佐渡御書958P)
通解 (大聖人)心は法華経を信ずるゆえに梵天・帝釈でさえも恐ろしいとは思わない。
しかし、身は畜生の身であるから、身と心が相応しないから愚者が侮るのも当然である(だから、難を受けるのも故がある)。
佐渡御書は、竜の口の法難で末法の御本仏という立場を明らかにされた日蓮大聖人が、その半年後に著された重書である。
同書には、「本門の時代」の信心の真髄(しんずい)が述べられている。すなわち、その半年間、大聖人は極限状態の寒さと飢え、昼在にわたる生命の危険という劣悪な環境にあられた。社会的には重罪人の汚名が着せられていた。多くの弟子が弾圧を受け、退転し、教団は崩壊同然となった。
御本仏という立場を明かされた「本門の時代」の開幕は、決して安穏できらぴやかなものではなかった。大聖人の御生涯でも、最も苦難に満ちた日々であり、精神医学的にいえば、極限のストレスに身をさらされていた時期であられた。
大聖人はこの佐渡期以降、法華経常不軽菩薩品第二十に説かれる「不軽菩薩」にわが身を重ねていかれるのである。身延に入られてから四条金吾に与えられた御状には、「一代の肝心は法華経・法華経の修行の肝心は不軽品にて侯なり」(1174ページ)と御教示されている。それは、いかなる理由によるのだろうか。
佐渡御書で大聖人は、極限の苦雑にあられた御自身の現状を、転重軽受の原理で先業(せんごう)を出しているのだと述べられている。身に染まっていた正法(しょうほう)誹謗(ひぼう)の罪業を、「つよく法華経の敵を責(せめ)る」(960ページ)ことによって、一時に出すことができたのだと御教示されている。
不軽善薩は、あえて自身を迫害する人々の中に入り、彼らを礼拝した。彼らから迫害されることで、不軽は自身の先業(せんごう)を出し、「其罪畢已(ございひっち)」つまり宿命転換を成し遂げて仏になれたのである。迫害こそ、不軽の宿命転換の必須要件であった。
大聖人は、佐渡流罪という最悪の事態を、御自身がいよいよ仏としての境涯(きょうがい)を顕(あらわ)される要件ととらえられていた。他の御書には、帰ろうと思えば諸天に命じていつでも鎌倉に帰ることができるとの御確信が述べられている。
大聖人が示されている成仏のあり方は、山林にこもって静かに唱題をするようなものではない。人間の中へ分け入り、そこで迫害・苦難(ストレス)を受けて、自身の先業(せんごう)をあぶり出して仏の境界を固めていくのである。
佐渡御書に際して、大聖人は「必ず身命(しんみょう)をすつるほどの事ありてこそ仏にはなり侯らめ」(891ページ)と仰せられている。佐渡御書でも、仏法のために命を捨てる人がいないために、仏になる人もいないと述べられている。
いよいよ成仏の境界を顕していく「本門の時代」とは、ストレスのない安穏な日々ではない。むしろ、生きることにすら困難を感じるストレスの中で、逞(たくま)しく耐え抜いて生き抜いでいく日々といえる。
強き信心で大いなる楽観主義を懐(いだ)き、耐えに耐え抜くことが、そのまま成仏の境界を作る。「故に仏をば能忍(のうにん)と名けたてまつる」(935ページ)のである。
池田名誉会長が、愛する青年に「革命は死なり」との覚悟を教えられ、苦難に挑めと繰り返し語られているのは、命をかけて迫害を受けきっていくなかにしか成仏があり得ないからである。学会活動を避けるなと教えられたのも、それなくして不軽の実践は成り立たないからである。
ストレスに耐えきれず、他者を害することで快楽を得ようとする、あまりに弱々しい現代の青少年の生き方。対する学会の信仰は、他者を礼拝する思いで人間の中に飛び込み、勇んでストレスを受け、自身を金剛の生命へと固めていく生き方である。この一事をとっても、創価学会こそ、病んだ現代社会の希望の灯台である。
文永8年(1271年)竜の口の法難
平成12年5月4日(木)
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