兄弟抄    文永十二年(1273年)四月 五十四歳御作

             与池上兄弟 於身延

夫れ法華経と申すは八万法蔵の肝心十二部経の骨髄なり、三世の諸仏は此の経を師として正覚を成じ十方の仏陀は一乗を眼目として衆生を引導し給ふ、今現に経蔵に入つて此れを見るに後漢の永平より唐の末に至るまで渡れる所の一切経論に二本あり、所謂旧訳の経は五千四十八巻なり、新訳の経は七千三百九十九巻なり、彼の一切経は皆各各(おのおの)分分に随つて我第一なりとなのれり、然而法華経と彼の経経とを引き合せて之を見るに勝劣天地なり高下雲泥なり、彼の経経は衆星の如く法華経は月の如し彼の経経は燈炬星月の如く法華経は大日輪の如し此れは総なり。

別して経文に入つて此れを見奉れば二十の大事あり、第一第二の大事は三千塵点劫五百塵点劫と申す二つの法門(ほうもん)なり、其三千塵点と申すは第三の巻化城喩品と申す処に出でて候、此の三千大千世界を抹して塵となし東方に向つて千の三千大千世界を過ぎて一塵を下し又千の三千大千世界を過ぎて一塵を下し此くの如く三千大千世界の塵を下はてぬ、さてかえつて下せる三千大千世界と下さざる三千大千世界をともにおしふさねて又塵となし、此の諸の塵をもてならべをきて一塵を一劫として経尽しては、又始め又始めかくのごとく上の諸塵の尽し経たるを三千塵点とは申すなり、今三周の声聞と申して舎利弗迦葉阿難羅云なんど申す人人は過去遠遠劫三千塵点劫のそのかみ大通智勝仏と申せし仏の第十六の王子にてをはせし菩薩ましましき、かの菩薩より法華経を習いけるが悪縁にすかされて法華経を捨つる心つきにけり、かくして或は華厳経へをち或は般若経へをち或は大集経へをち或は涅槃経へをち或は大日経或は深密経或は観経等へをち或は阿含小乗経へをちなんどしけるほどに_

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次第に堕ちゆきて後には人天の善根後に悪にをちぬ、かくのごとく堕ちゆく程に三千塵点劫が間、多分は無間地獄少分は七大地獄たまたまには一百余の地獄まれには餓鬼畜生修羅なんどに生れ大塵点劫なんどを経て人天には生れ候けり。

されば法華経の第二の巻に云く「常に地獄に処すること園観に遊ぶが如く余の悪道に在ること己が舎宅の如し」等云云、十悪をつくる人は等活黒繩なんど申す地獄に堕ちて五百生或は一千歳を経、五逆をつくれる人は無間地獄に堕ちて一中劫を経て後は又かへりて生ず、いかなる事にや候らん法華経をすつる人はすつる時はさしも父母を殺すなんどのやうにをびただしくはみへ候はねども無間地獄に堕ちては多劫を経候、設父母を一人二人十人百人千人万人十万人百万人億万人なんど殺して候ともいかんが三千塵点劫をば経候べき、一仏二仏十仏百仏千仏万仏乃至億万仏を殺したりともいかんが五百塵点劫をば経候べき、しかるに法華経をすて候いけるつみによりて三周の声聞が三千塵点劫を経諸大菩薩の五百塵点劫を経候けることをびただしくをぼへ候、せんするところは・をもつて虚空を打てばくぶしいたからず石を打てばくぶしいたし、悪人を殺すは罪あさし善人を殺すは罪ふかし或は他人を殺すは・をもつて泥を打つがごとし父母を殺すは・をもつて石を打つがごとし、鹿をほうる犬は頭われず師子を吠る犬は腸くさる日月をのむ修羅は頭七分にわれ仏を打ちし提婆は大地われて入りにき、所対によりて罪の軽重はありけるなり。

さればこの法華経は一切の諸仏の眼目教主釈尊の本師なり、一字一点もすつる人あれば千万の父母を殺せる罪にもすぎ十方の仏の身より血を出す罪にもこへて候けるゆへに三五の塵点をば経候けるなり此の法華経はさてをきたてまつりぬ又此の経を経のごとくにとく人に値うことは難にて候、設い一眼の亀の浮木には値うともはちすのいとをもつて須弥山をば虚空にかくとも法華経を経のごとく説く人にあひがたし。_

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されば慈恩大師と申せし人は玄奘三蔵の御弟子太宗皇帝の御師なり、梵漢を空にうかべ一切経を胸にたたへ仏舎利を筆のさきより雨らし牙より光を放ち給いし聖人なり、時の人も日月のごとく恭敬し後の人も眼目とこそ渇仰せしかども伝教大師これをせめ給うには雖讃法華経還死法華心等云云、言は彼の人の心には法華経をほむとをもへども理のさすところは法華経をころす人になりぬ、善無畏三蔵は月支国うぢやうな(鳥仗那)国の国王なり、位をすて出家して天竺五十余の国を修行して顕密二道をきわめ、後には漢土にわたりて玄宗皇帝の御師となる、尸那日本の真言師誰か此人のながれにあらざる、かかるたうとき人なれども一時に頓死して閻魔のせめにあはせ給う、いかなりけるゆへとも人しらず。

日蓮此れをかんがへたるに本は法華経の行者なりしが大日経を見て法華経にまされりといゐしゆへなり、されば舎利弗目連等が三五の塵点を経しことは十悪五逆の罪にもあらず謀反八虐の失にてもあらず、但悪知識に値うて法華経の信心をやぶりて権経にうつりしゆへなり、天台大師釈して云く「若し悪友に値えば則ち本心を失う」云云、本心と申すは法華経を信ずる心なり、失うと申すは法華経の信心を引きかへて余経へうつる心なり、されば経文に云く「然与良薬而不肯服」等云云、天台の云く「其の心を失う者は良薬を与うと雖も而かも肯て服せず生死に流浪し他国に逃逝す」云云。

されば法華経を信ずる人のをそるべきものは賊人強盗夜打ち虎狼師子等よりも当時の蒙古のせめよりも法華経の行者をなやます人人なり、此の世界は第六天の魔王の所領なり一切衆生は無始已来彼の魔王の眷属なり、六道の中に二十五有と申すろうをかまへて一切衆生を入るるのみならず妻子と申すほだしをうち父母主君と申すあみをそらにはり貪瞋癡の酒をのませて仏性の本心をたぼらかす、但あくのさかなのみをすすめて三悪道の大地に伏臥せしむ、たまたま善の心あれば障碍をなす、法華経を信ずる人をばいかにもして悪へ堕さんとをもうに叶わざれば_

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やうやくすかさんがために相似せる華厳経へをとしつ杜順智儼法蔵澄観等是なり、又般若経へすかしをとす悪友は嘉祥僧詮等是なり、又深密経へすかしをとす悪友は玄奘慈恩是なり、又大日経へすかしをとす悪友は善無畏金剛智不空弘法慈覚智証是なり、又禅宗へすかしをとす悪友は達磨慧可等是なり、又観経へすかしをとす悪友は善導法然是なり、此は第六天の魔王が智者の身に入つて善人をたぼらかすなり、法華経第五の巻に「悪鬼其の身に入る」と説かれて候は是なり。

設ひ等覚の菩薩なれども元品の無明と申す大悪鬼身に入つて法華経と申す妙覚の功徳を障へ候なり、何に況んや其の已下の人人にをいてをや、又第六天の魔王或は妻子の身に入つて親や夫をたぼらかし或は国王の身に入つて法華経の行者ををどし或は父母の身に入つて孝養の子をせむる事あり、悉達太子は位を捨てんとし給いしかば羅・羅はらまれてをはしませしを浄飯王此の子生れて後出家し給えといさめられしかば魔が子ををさへて六年なり、舎利弗は昔禅多羅仏と申せし仏の末世に菩薩の行を立てて六十劫を経たりき、既に四十劫ちかづきしかば百劫にてあるべかりしを第六天の魔王菩薩の行の成ぜん事をあぶなしとや思いけん、婆羅門となりて眼を乞いしかば相違なくとらせたりしかども其より退する心出来て舎利弗は無量劫が間無間地獄に堕ちたりしぞかし、大荘厳仏の末の六百八十億の檀那等は苦岸等の四比丘にたぼらかされて普事比丘を怨みてこそ大地微塵劫が間無間地獄を経しぞかし、師子音王仏の末の男女等は勝意比丘と申せし持戒の僧をたのみて喜根比丘を笑うてこそ無量劫が間地獄に堕ちつれ。

今又日蓮が弟子檀那等は此にあたれり、法華経には「如来の現在にすら猶怨嫉多し況や滅度の後をや」又云く「一切世間怨多くして信じ難し」涅槃経に云く「横に死殃に羅り呵嘖罵辱鞭杖閉繋飢餓困苦是くの如き等の現世の軽報を受けて地獄に堕ちず」等云云、般泥・経に云く_

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「衣服不足にして飲食・疎なり財を求めるに利あらず貧賤の家及び邪見の家に生れ或いは王難及び余の種種の人間の苦報に遭う現世に軽く受くるは斯れ護法の功徳力に由る故なり」等云云、文の心は我等過去に正法を行じける者にあだをなしてありけるが。かへりて信受すれば過去に人を障る罪にて未来に大地獄に堕つべきが、今生に正法を行ずる功徳強盛なれば未来の大苦をまねぎこして少苦に値うなり、この経文に過去の誹謗によりてやうやうの果報をうくるなかに或は貧家に生れ或は邪見の家に生れ或は王難に値う等云云、この中に邪見の家と申すは誹謗正法の家なり王難等と申すは悪王に生れあうなり、此二つの大難は各各(おのおの)の身に当つてをぼへつべし、過去の謗法の罪を滅せんとて邪見の父母にせめられさせ給う、又法華経の行者をあだむ国主にあへり経文明明たり経文赫赫たり、我身は過去に謗法の者なりける事疑い給うことなかれ、此れを疑つて現世の軽苦忍びがたくて慈父のせめに随いて存外に法華経をすつるよしあるならば我身地獄に堕つるのみならず悲母も慈父も大阿鼻地獄に堕ちてともにかなしまん事疑いなかるべし、大道心と申すはこれなり。

各各(おのおの)随分に法華経を信ぜられつるゆへに過去の重罪をせめいだし給いて候、たとへばくろがねをよくよくきたへばきずのあらわるるがごとし、石はやけばはいとなる金はやけば真金となる、此の度こそまことの御信用はあらわれて法華経の十羅刹も守護せさせ給うべきにて候らめ、雪山童子の前に現ぜし羅刹は帝釈なり尸毘王のはとは毘沙門天ぞかし、十羅刹心み給わんがために父母の身に入らせ給いてせめ給うこともやあるらん、それにつけても、心あさからん事は後悔あるべし、又前車のくつがへすは後車のいましめぞかし、今の世にはなにとなくとも道心をこりぬべし、此の世のありさま厭うともよも厭われじ日本の人人定んで大苦に値いぬと見へて候眼前の事ぞかし、文永九年二月の十一日にさかんなりし華の大風にをるるがごとく清絹の大火にやかるるがごとくなりしに世をいとう人のいかでかなかるらん文永十一年の十月ゆきつしまのものども一時に死人となりし事はいかに人の上とををぼすか_

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当時もかのうてに向かいたる人人のなげき老たるをやをさなき子わかき妻めづらしかりしすみかうちすててよしなき海をまほり雲のみうればはたかと疑いつりぶねのみゆれば兵船かと肝心をけす、日に一二度山えのぼり夜に三四度馬にくらををく、現身に修羅道をかんぜり、各各(おのおの)のせめられさせ給う事も詮するところは国主の法華経のかたきとなれるゆへなり、国主のかたきとなる事は持斎等念仏真言師等が謗法よりをこれり、今度ねうしくらして法華経の御利生心みさせ給へ、日蓮も又強盛に天に申し上げ候なり、いよいよをづる心ねすがたをはすべからず、定んで女人は心よはくをはすればごぜたちは心ひるがへりてやをはすらん、がうじやうにはがみをしてたゆむ心なかれ、例せば日蓮が平左衛門の尉がもとにてうちふるまいいゐしがごとくすこしもをづる心なかれ、わだが子となりしものわかさのかみ(若狭守)が子となりし将門貞当が郎従等となりし者、仏になる道にはあらねどもはぢををもへば命をしまぬ習いなり、なにとなくとも一度の死は一定なり、いろばしあしくて人にわらはれさせ給うなよ。

あまりにをぼつかなく候へば大事のものがたり一つ申す、?白ひ叔せい(伯夷叔斉)と申せし者は胡竹国の王の二人の太子なり、父の王弟の叔せいに位をゆづり給いき、父しして後叔せい位につかざりき、白ひが云く位につき給え叔せいが云く兄位を継ぎ給え白ひが云くいかに親の遺言をばたがへ給うぞと申せしかば親の遺言はさる事なれどもいかんが兄ををきては位には即くべきと辞退せしかば、二人共に父母の国をすてて他国へわたりぬ、周の文王につかへしほどに文王殷の紂王に打たれしかば武王百箇日が内にいくさををこしき、白ひ叔せいは武王の馬の口にとりつきていさめて云くをやのしして後三箇年が内にいくさををこすはあに不孝にあらずや、武王いかりて白ひ叔せいを打たんとせしかば大公望せいして打たせざりき、二人は此の王をうとみてすやうと申す山にかくれゐてわらびををりて命をつぎしかば、_

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麻子と申す者ゆきあひて云くいかにこれにはをはするぞ二人上件の事をかたりしかば麻子が云くさるにてはわらびは王の物にあらずや、二人せめられて爾の時よりわらびをくわず、天は賢人をすて給わぬならひなれば天白鹿と現じて乳をもつて二人をやしなひき、白鹿去つて後に叔せいが云く此の白鹿の乳をのむだにもうましまして肉をくわんといゐしかば白ひせいししかども天これをききて来らず、二人うへて死ににき、一生が間賢なりし人も一言に身をほろぼすにや、各各(おのおの)も御心の内はしらず候へばをぼつかなしをぼつかなし。

釈迦如来は太子にてをはせし時父の浄飯王太子ををしみたてまつりて出家をゆるし給はず、四門に二千人のつわものをすへてまほらせ給ひしかども、終にをやの御心をたがへて家をいでさせ給いき、一切はをやに随うべきにてこそ候へども仏になる道は随わぬが孝養の本にて候か、されば心地観経には孝養の本をとかせ給うには棄恩入無為真実報恩者等云云、言はまことの道に入るには父母の心に随わずして家を出て仏になるがまことの恩をほうずるにてはあるなり、世間の法にも父母の謀反なんどををこすには随わぬが孝養とみへて候ぞかし、孝経と申す経に見へて候、天台大師も法華経の三昧に入らせ給いてをはせし時は父母左右のひざに住して仏道をさえんとし給いしなり、此れは天魔の父母のかたちをげんじてさうるなり。

白ひすくせいが因縁はさきにかき候ぬ、又第一の因縁あり、日本国の人王第十六代に王をはしき応神天王と申す今の八幡大菩薩これなりこの王の御子二人まします嫡子をば仁徳次男は宇治王子天王次男の宇治の王子に位をゆづり給いき、王ほうぎよならせ給いて後宇治の王子の云く兄位につき給うべし、兄の云く、いかにをやの御ゆづりをばもちゐさせ給わぬぞ、かくのごとくたがいにろむじて、三箇年が間位に王をはせざりき、万民のなげきいうばかりなし天下のさいにてありしほどに、宇治の王子云く我いきてあるゆへにあに位に即き給わずといつて死させ給いにき、仁徳これをなげかせ給いて_

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又ふししづませ給いしかば、宇治の王子いきかへりてやうやうにをほせをかせ給いて又ひきいらせ給いぬ、さて仁徳位につかせ給いたりしかば国をだやかなる上しんらはくさひかうらいも日本国にしたがひてねんぐを八十そうそなへけるとこそみへて候へ。

賢王のなかにも兄弟をだやかならぬれいもあるぞかしいかなるちぎりにて兄弟かくはをはするぞ浄蔵浄眼の二人の太子の生れかはりてをはするか薬王薬上の二人か、大夫志殿の御をやの御勘気はうけ給わりしかどもひやうへの志殿の事は今度はよもあににはつかせ給はじさるにてはいよいよ大夫志殿のをやの御不審はをぼろげにてはゆりじなんどをもつて候へばこのわらわの申し候はまことにてや候らん、御同心と申し候へばあまりのふしぎ(不思議)さに別の御文をまいらせ候、未来までのものがたりなに事かこれにすぎ候べき。

西域と申す文にかきて候は月氏に婆羅・斯国施鹿林と申すところに一の隠士あり仙の法を成ぜんとをもう、すでに瓦礫を変じて宝となし人畜の形をかえけれどもいまだ風雲にのつて仙宮にはあそばざりけり、此の事を成ぜんがために一の烈士(れっし)をかたらひ長刀をもたせて壇の隅に立てて息をかくし言をたつ、よひよりあしたにいたるまでものいはずば仙の法成ずべし、仙を求る隠士は壇の中に坐して手に長刀をとつて口に神呪をずうす約束して云く設ひ死なんとする事ありとも物言う事なかれ烈士(れっし)云く死するとも物いはじ、此の如くして既に夜中を過ぎて夜まさにあけんとする時、如何が思いけん烈士(れっし)大に声をあげて呼はる、既に仙の法成ぜず、隠士烈士(れっし)に言つて云く何に約束をばたがふるぞ口惜しき事なりと云う、烈士(れっし)歎いて云く少し眠つてありつれば昔し仕へし主人自ら来りて責めつれども師の恩厚ければ忍で物いはず、彼の主人怒つて頚をはねんと云う、然而又ものいはず、遂に頚を切りつ中陰に趣く我が屍を見れば惜く歎かし然而物いはず、遂に南印度の婆羅門の家に生れぬ入胎出胎するに大苦忍びがたし然而息を出さず、又物いはず已に冠者となりて妻をとつぎぬ、又親死ぬ又子をまうけたり、_

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かなしくもありよろこばしくもあれども物いはず此くの如くして年六十有五になりぬ、我が妻かたりて云く汝若し物いはずば汝がいとをしみの子を殺さんと云う、時に我思はく我已に年衰へぬ此の子を若し殺されなば又子をまうけがたしと思いつる程に声をおこすとをもへばをどろきぬと云いければ、師が云く力及ばず我も汝も魔にたぼらかされぬ終に此の事成ぜずと云いければ、烈士(れっし)大に歎きけり我心よはくして師の仙法を成ぜずと云いければ、隠士が云く我が失なり兼て誡めざりける事をと悔ゆ、然れども烈士(れっし)師の恩を報ぜざりける事を歎きて遂に思ひ死にししぬとかかれて候、仙の法と申すは漢土には儒家より出で月氏には外道の法の一分なり、云うにかひ無き仏教の小乗阿含経にも及ばず況や通別円をや況や法華経に及ぶべしや、かかる浅き事だにも成ぜんとすれば四魔競て成じかたし、何に況や法華経の極理南無妙法蓮華経の七字を始めて持スん日本国の弘通の始ならん人の弟子檀那とならん人人の大難の来らん事をば言をもつて尽し難し心をもつてをしはかるべしや。

されば天台大師の摩訶止観と申す文は天台一期の大事一代聖教の肝心ぞかし、仏法漢土に渡つて五百余年南北の十師智は日月に斉く徳は四海に響きしかどもいまだ一代聖教の浅深勝劣前後次第には迷惑してこそ候いしが、智者大師再び仏教をあきらめさせ給うのみならず、妙法蓮華経の五字の蔵の中より一念三千の如意宝珠を取り出して三国の一切衆生に普く与へ給へり、此の法門(ほうもん)は漢土に始るのみならず月氏の論師までも明し給はぬ事なり、然れば章安大師の釈に云く「止観の明静なる前代に未だ聞かず」云云、又云く「天竺の大論尚其の類に非ず」等云云、其の上摩訶止観の第五の巻の一念三千は今一重立ち入たる法門(ほうもん)ぞかし、此の法門(ほうもん)を申すには必ず魔出来すべし魔競はずは正法と知るべからず、第五の巻に云く「行解既に勤めぬれば三障四魔紛然として競い起る乃至随う可らず畏る可らず之に随えば将に人をして悪道に向わしむ之を畏れば正法を修することを妨ぐ」等云云、此の釈は日蓮が身に当るのみならず門家の明鏡なり謹んで習い伝えて未来の資糧とせよ。_

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此の釈に三障と申すは煩悩障業障報障なり、煩悩障と申すは貪瞋癡等によりて障礙出来すべし、業障と申すは妻子等によりて障礙出来すべし、報障と申すは国主父母等によりて障礙出来すべし、又四魔の中に天子魔と申すも是くの如し今日本国に我も止観を得たり我も止観を得たりと云う人人誰か三障四魔競へる人あるや、之に随えば将に人をして悪道に向わしむと申すは只三悪道のみならず人天九界を皆悪道とかけり、されば法華経を除きて華厳阿含方等般若涅槃大日経等なり、天台宗を除きて余の七宗の人人は人を悪道に向わしむる獄卒なり、天台宗の人人の中にも法華経を信ずるやうにて人を爾前へやるは悪道に人をつかはす獄卒なり。

今二人の人人は隠士と烈士(れっし)とのごとし一もかけなば成ずべからず、譬えば鳥の二つの羽人の両眼の如し、又二人の御前達は此の人人の檀那ぞかし女人となる事は物に随つて物を随える身なり夫たのしくば妻もさかふべし夫盗人ならば妻も盗人なるべし、是れ偏に今生計りの事にはあらず世世生生に影と身と華と果と根と葉との如くにておはするぞかし、木にすむ虫は木をはむ水にある魚は水をくらふ芝かるれば蘭なく松さかうれば柏よろこぶ、草木すら是くの如し、比翼と申す鳥は身は一つにて頭二つあり二つの口より入る物一身を養ふ、ひほくと申す魚は一目づつある故に一生が間はなるる事なし、夫と妻とは是くの如し此の法門(ほうもん)のゆへには設ひ夫に害せらるるとも悔ゆる事なかれ、一同して夫の心をいさめば竜女が跡をつぎ末代悪世の女人の成仏の手本と成り給うべし、此くの如くおはさば設(たと)ひいかなる事ありとも日蓮が二聖二天十羅刹釈迦多宝に申して順次生に仏になしたてまつるべし、心の師とはなるとも心を師とせざれとは六波羅蜜経の文なり。

(たと)ひ・いかなる・わづら()はしき事(こと)ありとも夢(ゆめ)になして只(ただ)法華経の事のみさはぐら(思索)せ給(たま)うべし、中(なか)にも日蓮が法門(ほうもん)は古(いにし)へこそ信じかたかりしが今(いま)は前前(さきざき)いひをきし事既(すで)にあひ()ぬればよしなく謗(ぼう)ぜし人人(ひとびと)も悔(くゆ)る心あるべし、設(たと)ひこれより後(のち)に信ずる男女(なんにょ)ありとも各各(おのおの)にはかへ()(おも)ふべからず、始は信じてありしかども世間のをそろしさにすつる人人かずをしらず、

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其の中に返つて本より謗ずる人人よりも強盛にそしる人人又あまたあり、在世にも善星比丘等は始は信じてありしかども後にすつるのみならず返つて仏をはうじ奉りしゆへに仏も叶い給はず無間地獄にをちにき、此の御文は別してひやうへの志殿へまいらせ候、又太夫志殿の女房兵衛志殿の女房によくよく申しきかせさせ給うべしきかせさせ給うべし南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経。

文永十二年四月十六日               日蓮花押

御書の目次

更新 平成12328

背景と大意

池上宗仲(太夫志)・宗長(兵衛志) 兄弟に送られた本抄は、さまざまな角度から「難を乗り越える信心」を教えられた重書です。

池上家は幕府の建設・土木関係の要職を担う家柄で、作事奉行を務めたとの説もあります。池上兄弟は、建長八年(一二五六年)ごろ大聖人の門下となり、信心を貫いてきました。しかし池上兄弟の父・康光は極楽寺艮観の信者で、二人の信心に反対でした。

本抄は文永十二年(一二七三年、異説もある)、父・康光が突然、兄の宗仲を勘当した折に送られたお手紙です。当時の勘当は単に親子関係を切るだけでなく、社会的な地位をも奪うものでした。兄弟の仲を裂き、大聖人の有力な門下を切り崩そうとした艮観の策謀であったと考えられます。

特に弟・宗長の信心の動揺を心配された大聖人は、この難の本質について、信心を妨げる第六天の魔王の働きであることを示さ強き信心と固い団結で難に立ち向かい、障魔に打ち勝っていくよう渾身の激励をされています。

過去世の謗法の重罪の報いを、現世に軽く受けて消滅させていくためであるという「転重軽受」の法門を説かれています。

さらには、難を受けている現実試している″試練の姿″でもあると、難の意義を一歩深く教えられています。

そして伯夷・叔斉(しゅくせい)の故事や烈士(れっし)と隠士(いんし)の故事を挙げ、紛然と競い起こる障魔とは、最後の最後まで戦い抜く信心の大切さを重ねて説かれ、どのような煩わしい、苦しいことがあったとしても、それに囚われて信心を失ってはならないと、特に弟・宗長(むねなが)と兄弟の夫人たちを励まされています。

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