
2003年6月30日記
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大仏殿と生駒山 |
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興福寺五重塔 |
昨日の日曜日は梅雨の晴れ間、しばらく雨の日が続いていましたので貴重な一日でした。この日は近鉄奈良駅近くの馴染みの散髪屋に行ったついでに久しぶりに奈良の町をゲンチャで回ってみました。岐阜の古墳巡りの終えてからほとんど休日は家の用事やら、なんやかんやで出ることがなく、必然的に日記の方もネタ切れの状態です。写真は二月堂から撮った奈良の町ですが、以前からネタが無くなると東大寺に出かけて被写体を探すことが多く、その中でも二月堂は良く来る場所の一つです。「耶摩都歳時記」で何度か画像を紹介しているように、この場所は生駒山に沈む夕日を撮影するのに絶好の場所で、天気の良い日は一年を通して夕刻にはカメラマンが列をなし夕日の撮影をする姿がみられます。でも三脚とゴッツイ一眼レフ、ベストショットを撮りたいのでしょうが、一時間近くも狭い場所に居座られると、純粋にお参りをする人にとっては少々迷惑な感じがします。
通勤では奈良駅を使いませんので、鹿を見るのも久しぶりです。知らぬ間に夏毛に生え替わり、牡鹿は立派な角が生えていました。この日は新薬師寺の裏の方から柳生に至るハイキングコースを少し歩いて見ようかと思いましたが、連日の雨で道はぬかるんで滑ること、サンダル履きでしたので直ぐに引き返すハメに、ちょっと無謀でしたか(^^;)。その後は浮御堂やら絵になりそうな所を回ってみた物のしっくり来る所がなく、結局いつものように二月堂へ来てしまいました。梅雨時は比較的人も少ないようで落ち着いて参拝できます。ここから眺める奈良の風景が好きで、子供が小さい時は散歩がてら良く来ていました。ところであまり知られていないかも知れませんが二月堂の裏山にはお地蔵さんを並べたミニ西国三十三ヶ所巡りのコースがあります。なぜか長男がそこに行くのが好きで、私たち親子にとってはほとんど人も訪れない穴場、季節風が強く吹く冬の散歩コースとして利用させて頂いてました。
今回の画像は取り立てて特徴のあるものではありませんが、こうした何気ない風景も良いかと思ったので、でもちょっと手抜きでしたか(^^)。
金曜日は出張の帰り、久しぶりに大阪梅田にある河童横町の古本屋を覗いてみました。以前は月に2回程度は寄っていたのですが、最近は町場に出ることがめっきり減ってしまい、河童横町に来るのも半年ぶりくらいです。
今回購入したのは季刊考古学82号、別に古本屋でなくとも買える本ですが、定期的に本屋に出かけることもなくなってしまったので、こうしたタイミングでないとなかなか買うこともできなくなってしまいました。内容は終末期古墳の特集で非常に興味深い内容でした。中でも先約があって現地説明会に出かけることのできなかった大阪
2003年6月16日記
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雨に濡れた沙羅双樹の花 |
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次郎兵衛塚古墳 |
6月14日、15日は約10年ぶりに岐阜県下の古墳を回ってきました。JR
一日目は
画像上はこの日最後の見学地であった
二日目は、梅雨の真っ盛りにもかかわらずどうにか雨にも降られずに済みました、雨男が多少飲み過ぎて元気が無かったからでしょうか(^^)。この日は
画像下は
2003年6月11日記
6月9日、10日は札幌出張、生まれて初めて北海道に行って来ました。飛行機が嫌いで、国内での移動は電車か夜行バスが主流、熊本や大分、宮崎に出張した時も飛行機は使わず寝台列車を利用していました。しかし北海道になると飛行機でなければあまりにも時間がかかりますので、久々の国内線空の旅、2001年に出張で秋田の行ったのが最後ですから2年ぶりです。伊丹空港を利用するのは今回が2回目、でも搭乗手続きが自動でできるのは便利ですね。1時間ほど待ち時間があったのでボケーッと座っていると、辺りがざわめきはじめたのでなんだろうと、そちらの方向を見ると紺の揃いのブレザーを着た一群がぞろぞろ歩いているのが見えました。高校生にしては顔がひねてるし、異様に顔の色が黒い!野次馬根性出して行ってみると、なんとサッカー日本代表の一行でした。前日長居スタジアムでアルゼンチンに完敗、心なしか沈んでいたようにも思えましたが、パラグアイ戦に備えて東京に移動する様でした。しかし揃いのブレザー着ていたけどなんか似合わなかったなぁ、スポーツ選手はやっぱりユニフォームが一番似合いますね。パラグアイ戦は是非勝って、ジーコ監督にホームでの初勝利をプレゼントして欲しいものです。
飛行機は空席が目立ち窓際の席を確保、始めて飛行機に乗った子供のように景色を眺めていました。でも北海道ってやはり本州や九州などとはちょっと違いますね、畑の区画が大きいし、家も一ヶ所に固まってなくて広大な畑の中にポツリポツリと建っていました。今回は札幌に一泊、日中大阪は真夏日、夕方札幌に着きましたが北海道に来たんだなぁって肌で感じるくらい夜は寒かった。会社の同僚と二人で時計台やテレビ塔を見物し食事に向かいました。札幌でのお楽しみはやはり新鮮な魚介類、この掲示板にもちょくちょく書き込んで下さいます加夜さんが教えてくれた居酒屋に行ってみました。しかし良かったぁ。ホッケもでかくて脂がのって美味いし、シシャモも黒くてでかい、中でも焼きホタテが絶品でした。極めつけは本マグロのカマ焼き、2〜3前焼いているのかと思ったらそのまま持ってきてボリウム満点、久しぶりにもう食えないと言うくらい食べてしまいました。次の機会にも是非行ってみたいと思っています。翌日は朝から晴れて暑いこと、帰りは関空でしたが大阪は天気が悪くて札幌より寒く感じたほどです。晩のニュースでは近畿から東海、関東も梅雨入りとのこと、でも毎年梅雨入り宣言すると必ず翌日は晴れますね、てなわけで今日6月11日は晴れ間も覗く良い天気です。
2003年6月8日記
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五社神古墳 |
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東宮庭園と若草山 |
今日は暑くなりました。奈良は30℃を軽く越えたようで真夏のような暑さ、ただ乾燥しているので日陰にはいると涼しく、真夏の蒸し暑さに比べるとまだ幾分過ごし易いようですね。
前日の土曜日は午後から酷い雷雨、極度に雷に怯える飼い犬が狂ったように庭を走り回りドロドロです。しかしバケツをひっくり返したような雨とはあのようなことを言うのでしょう。洗濯物を取り入れに傘も持たず慌てて車庫に行ったら、取り込んでいる内にもの凄い豪雨になってしまい、戻るに戻れずしばらく足止めを食らってしまいました。1時間ほどで雨はあがったのですが夜になると北の方から雷の音が、たぶん京田辺とか枚方辺りでしょうか、窓から眺めていると数分おきに雷が落ちているのが見えました。
この日は午前中、近鉄奈良駅まで出かける用事がありましたので久々に本屋に立ち寄ってみました。小さいながら歴史関係の書物が充実している豊住書店、奈良に転居してから以前は一ヶ月に一回はひやかしに行ってたのですが最近はご無沙汰、「東アジアと日本の考古学T・墓制@」という当に今の自分が最も興味を持っている内容の本、その中の「栄山江流域の古墳」を読んでしまったらもう心は韓国に飛んでいってしまいました。今年の目標はやはり栄山江流域の前方後円墳に決まりです。
日曜日は朝から晴天、あまりにも天気が良かったので夕方近くから久しぶりに佐紀山古墳群に出かけてみました。佐紀山古墳群や平城宮跡は、子供が小さい頃サイクリングに出かけたコースで、天気が良ければ毎週休み毎に出かけていました。平城宮跡は小さい子供も安全に遊ばせることができ、また鹿の糞も落ちていないので寝っ転がることもできる、奈良では貴重な遊び場の一つだったのです。今では子供も大きくなりましたので疎遠になってしまい、時たま奈良ファミリーに出かける時に脇を通るくらいになっていましたので、加夜さんのHPを読んで懐かしくなり久しぶりに出かけてみました。
写真上は五社神古墳(神功皇后陵)です。五社神古墳は何度か見学したことがありましたが、数年前に西側の樹木が伐採され、墳丘が良く観察できるようになりました。外堤に沿って小径が続いていましたので、ぐるりと墳丘を回って見ることに、小径は反対側の括れ部辺りで池にぶつかり墳丘を一周することはできませんでしたが、こんな小径があるとは全く知りませんでした。短パンで出かけたものですから痒いこと、やはりこの時期の古墳巡りは避けた方が良いかも知れませんね。
紀古墳群は国道24号線に面したウワナベ古墳からコナベ古墳、ヒシアゲ古墳、少し離れて佐紀陵山古墳、佐紀高塚古墳、佐紀石塚山古墳と三基の前方後円墳が固まってあり、北に少し上ると五社神古墳があります。前者が東群、後者が西群と言われていますが、二つの古墳群の間、ほぼ中央付近に、前方部を平城宮の造営により削り取られた市庭古墳があります。これらは全て天皇陵や陵墓参考地になっていますが、その他にも西群の方には塩塚古墳や瓢箪山古墳などの前方後円墳も残っています。平城宮跡の北側に位置しますが、こうした古墳ばかりではなく古びた神社やお寺もあり、古代を感じるにはピッタリの場所です。特に大型の前方後円墳が集中する西群の周辺は静かで落ち着きますね。
写真下は平城宮の南西端にある東宮庭園付近です。遠くに若草山が見えていますね。この様に整備されたのは数年前、昔は何もない所で訪れる人もほとんどなくゆっくりと子供を遊ばせることができました。近くに礎石の並んだ基壇あり、良くこの上で青空ビールを飲み、ほろ酔い気分で寝ころんだことを思い出します。少し前に朱雀門がデーンとできたと思ったら、また太極殿の復元工事が始まったんですね。奈良に住み始めた頃は一面の野原だった平城宮跡も、これからは観光客がどんどん訪れる奈良の名所になるようです。
2003年5月19日記
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穴薬師古墳・茨城県 |
更新も日記もサボりまくりです。今朝はやすらぎの道が随分混んでいましたが何かあったのでしょうか?暖かくなると奈良も本格的な観光シーズンを迎え土日は極度の渋滞に見舞われます。
先週の水曜から東京に出張していましたが連日の雨、場所が海の近くだったもんで風が強くびしょ濡れになってしまいました。木曜、金曜と仕事をして土曜日は栃木県の古墳巡りに出かけてきました。天気予報では土曜日は回復するとのことでしたが、見事にハズレ、当日は生憎の雨模様、霧雨程度でしたが伸び始めた雑草が濡れているのでビショビショです。移動は車ですのでそれ程雨の影響はありませんが、やはり雨中の古墳巡りは辛いものがあります。栃木県下の古墳を訪ねるのは今回で6回目になりますが、前々回の那須では福島で雨に遭い、前回の足利も雨、更に那須の前に訪ねた益子でも霙混じりの雨に遭い、今回で四連敗です、どうも栃木県は相性が良くないようですね。東京に滞在した四日間、天気の悪いのは関東地方だけだったみたいですので、今回ばかりは強烈な雨男パワーを発揮してしまったようです。
今回は
2003年5月5日記
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新緑に包まれた南山:韓国慶州 |
本日は私の誕生日、でも今更って感じですがね(^^)。昨日帰国しましたが日本も暑い、特に奈良は盆地だから暑いのですかね。ついこの間までダウンを着てゲンチャに乗っていたと思ったら、今日なんか半袖で充分、この時期は本当に季節の移り変わりが早い、体が着いてゆけません。そんな訳で今日は連休最終日ですので家でゆっくり旅の疲れを癒しています。
今回はかねてから念願であった「倭人伝」ルートを辿っての韓国への旅を実行した訳ですが、いつになく入念に下調べを行い無理のないスケジュールを立案しなければなりませんでした。大阪から博多、呼子から印通寺、郷ノ浦から厳原、厳原から釜山、そして釜山から関空へのチケット予約だけでも大変です。更に壱岐、対馬での宿泊、レンタカーの手配、加えて古墳の問い合わせと、本当にやることが多くて大変でしたが、何のトラブルもなく旅を終えることができたのは何よりです。またイラク戦争が終結しても、北朝鮮の核問題などテロが勃発する危険性は皆無とは言えず、更にSARSという目に見えない厄介な感染症によるリスクもまた小さいものではありませんでしたが、この期を逃してなるものかと一念発起して出掛けてきました、無事に行って帰って来ることができ本当に安堵しています。
大阪を発って、博多から唐津、呼子から壱岐、対馬、そして韓国を訪問した訳ですが、壱岐は数年前にも古墳巡りで訪ねていますので今回が2回目です。しかし壱岐の巨石墳は何回見ても度肝を抜かれるくらい凄いですね、今回は前回の訪問時に見学できなかった古墳も幾つか見学することができました。一方対馬の方は今回が初めての訪問、思ったよりも大きい島で南部にある厳原から、最北端の比田勝まで車で2時間以上かかるとのこと、加えて山道が多くて軽自動車では少々苦しかったですね。こうした苦労?の末、上島の最北端、比田勝の韓国展望所に辿り着いた時は何とも言えない感慨がありました。対馬は高塚古墳の少ない所ですので、見学した古墳は10基にも満たなかったのですが、景色も食べ物も最高で楽しい旅を経験できました。
釜山へは対馬の厳原からジェットホイール・シーフラワーを利用、韓国から日本への乗客はそこそこいましたが、逆はなんと2名のみ!貸し切り状態でした。釜山港ではまず体温を測定されましたがSARS対策なのでしょうね、早く終息してもらいたいものです。韓国では釜山に1泊、慶州に2泊と比較的余裕がありましたので、固城の松鶴洞古墳群まで足をのばしてきました。慶州は2002年11月に続いて2回目の訪問になりますが、前回見学したうす茶色の枯れ芝に覆われた古墳とは趣の異なる、新緑に包まれた古墳を見学してきました。丸一日ありましたので、今回もレンタサイクルで慶州市内の遺跡巡りと、南山のハイキングも経験してきました。釜山でも、慶州でも結局昨年泊まった荘旅館にお世話になりましたが、やはり一度でも泊まった所の方が心強いですね。慶州の韓進荘旅館は相変わらず外国人観光客が多く、日本人の旅行者も宿泊していました。マスターのお孫さんが近くでミーティングルームを開き、韓進荘に宿泊している外国人を招き地元の人との交流の場を提供していました。私も2日目の晩はおじゃまし日本語を勉強している方と色々話をしてきましたが、こうした場があることは本当に羨ましいですね。今後慶州を訪ねた際にも必ず韓進荘旅館に泊まろうと思います。
海外旅行と言えば出発時間の数時間前に空港に到着し、出国手続き後は免税店や売店などをうろつきながら、独特の雰囲気の中で出発を待つのが常ですが、今回ばかりは違います。お世辞にも広いとは言えないフェリーターミナルの待合室で出国手続きが始まるまで一人ポツンと待ち、手続き後は直ぐに乗船、出国手続きが無ければそれまでと全く変わらない感じです。海外旅行って結構気持ちの上で構えてしまうのですが、今回は何か知らない内に韓国まで来たんだなぁって不思議な感覚でした。心配された天気も大きな崩れはなく壱岐以外は連日の夏日、特に韓国では暑かった、冷麺が美味かったこと。今年のGWは休日の配分が悪く、更にイラク戦争、SARSと悪条件が重なり海外旅行客は激減との事でしたが、帰りの飛行機は満席、釜山の金海空港も結構混み合っていたように感じました。この壱岐・対馬・韓国への旅は二部に分けて見墳録に収録するつもりです。
2003年4月13日記
13日は奈良県下の古墳を久々に見学、以前から気になっていた宇陀の南山古墳、宇陀の古墳を詳細に調べておられる落王さんとの一緒に、見様見真似で石室の簡易測量にも挑戦してみました。その後は落王さんの案内で宇陀の古墳を訪ねてきましただ、流石に地元、案内がなければ到底辿り着けそうもない山奥の古墳にも連れて行って頂き、深く感謝しています。当日は午前中は雨の予報、家庭の事情で午後から出掛けることにして正解、雨にも遭わず無事に作業を終えることができました。
南山古墳は以前見学したことはありましたが、その時平斜式天井であることを知り気になる存在でした。更に2月に韓国・扶余を訪ねてからと言うもの、その興味は日増しに強くなり、落王さんにお願いしもう一度案内して頂きました。奥壁側から見て右側の側壁はかなり破壊され、天井石も落ち込んで危険な状態ですが、左側壁と奥壁の寸法と、石の積み方をスケッチしてきました。このデータをどの様に整理し、何が足りないかは考文研の師匠に指導して頂くことにします。
お昼過ぎから作業を開始し2時間あまりで終了、時間が多少ありましたので宇陀の横穴式石室を案内して頂きました。訪ねた古墳は、塔の奥1号墳、2号墳 および不動塚1号墳、2号墳で、両者ともその存在すら知りませんでした。これらの内で特に興味を引かれたのが不動塚1号墳です。落王さんが送ってくれた資料によりますと、全長50mの前方後円墳とのことですが、隣接して存在する2号墳の方が前方後円墳の様に見えました。石室が開口していますが、這って入らなければならないほど土砂が堆積しています。玄室に入ると直ぐ大きな窪みがありますが良く見ると組合式の箱式石棺、玄室は片袖型のドーム状と、非常に興味深い石室です。南山古墳と共に今月の一穴の中で紹介します。
2003年4月7日記
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佐保川土手の桜 |
6日は久々に高安古墳群の石室測量に出掛けてきました。今回測量した石室は服部川15号墳、両袖型の巨石墳で、奥壁側の天井部に隙間がありますが石室の状態は非常に良好に保たれています。このところ毎回のように雨模様の天気でしたが、この日は久々の晴天、しかし前日の大雨の影響で泥が堆積した開口部は泥濘、潜り込むだけで泥だらけになってしまいました。また石室の内部はジメジメして、天井の至る所から水滴がポタポタと落ちて来るという生憎のコンディションの上、玄室はゴミ捨て場状態、天井の隙間から空き瓶や、空き缶などが投げ込まれていて足場も悪く作業は少々難儀しました。投げ込まれたゴミを見ますと新しいものも目立ちますので、いつかゴミに埋もれてしまうかも知れません。貴重な古墳ですので是非とも大切に保存して頂きたいものです。
この日は久々の晴天の上桜も満開、高安に移動中の電車の窓からも所々で満開の桜を見ることができました。風もなく絶好の花見日和、ジメジメした暗い穴にもぐっているのはもったいないので、作業の方は早めに切り上げ帰宅し、午後からは近所に花見に出掛けました。写真は毎年花見に出掛ける佐保川の土手の桜です。奈良公園などの観光地は大変な人出だったようですが、この場所は地元の人にしか知られていないため、ゆっくりと花見を楽しむことができます。年を重ねる毎に桜の木も成長し、数年前は桜の枝が顔にあたり歩きにくかったのが今年は桜のトンネル、同時に人出も年を追う毎に多くなってきたようで、最近は地元の町内会が出店を出し、提灯なども飾り、更に一際大きい桜はライトアップされ夜桜も楽しめる地元の名所となっています。
2003年4月1日記
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ソウルタワーから眺める漢江 |
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ソウル駅に到着したムグンファ号 |
九州から帰り3日後には韓国旅行、少々過密スケジュールだったようで疲れが溜まっています、もう若くはないのであまり無理をしてはいけませんね。今回は家族連れでしたのでホテルも込みのパック旅行にて、2泊3日の旅程で韓国・ソウルを楽しんできました。空港では現地のガイドさんの出迎えもあり、やはり誰でもいいから待ってくれているというのは嬉しいものです。ただし現地での観光、そして食事は全く付いていませんので、いつものようにガイドブック片手に地下鉄やタクシーで歩き回ることになりました。10年前にもソウルには一度観光で訪ねていますので案内してやると大きな事を言いましたが、ソウルタワーや南大門市場では迷ってしまい家族は不満げな顔、しかし名誉挽回と「美味いものを食わせてやる」と連れて行った「明洞餃子」では、マンドゥとカルクックスがよっぽど美味しかったようで、かろうじて面目を保つことができたようです。
2日目はソウル近郊の水原まで足をのばし、半日かけて水原華城を見学、上り下りのある広い城壁を一周しましたが、歩くのがダルいと興味のない子供達はまたまたご機嫌斜め、ここでもお昼に水原名物のカルビを食べるとようやく機嫌を直したようです。往路は国鉄に乗り入れしている地下鉄1号線で約1時間、帰路はソウルまで国鉄を利用し約30分、昨年11月の訪韓時はセマウルとトンイルに乗ることができましたが、今回は急行列車のムグンファ号にも乗ることができ満足しています。ソウルに戻った後は市内の中心部にある昌徳宮を見学、日本語の堪能なガイドさんの説明を聞きながら、韓国の優れた文化遺産を見学しました。しかし昌徳宮は1592年の壬辰倭乱(文禄の役)により破壊され再建されたもの、昌徳宮のみならず翌日見学した昌慶宮も、11月に訪ねた仏國寺も、この倭乱で破壊されたものはまだまだ他にも多くあります。この秀吉による無意味な侵略は韓半島の人々に甚大な被害を与え、後世に深い遺恨を残す結果となりました。日本では立身出世の代表格とされる秀吉も韓国では極悪人、やはり成り上がり者の卑しい性でしょうか、強欲な独裁者が自惚れて韓半島ひいては中国まで、支配しようなど企んだようですが全く愚かな事をしたものです。いい気になって増長した秀吉の死後、豊臣は直ぐに滅んでしまったことも身から出た錆、当然のような気がいたします。
大人達は昌徳宮や昌慶宮などの古宮や、水原華城など韓国の優れた文化遺産を見学することができて非常に満足しましたが、子供達には少々退屈だったようで不満顔、せっかく韓国の歴史を肌で感じる良い機会なのにと親は思っても詮無いことかも知れません。子供達はもっぱらソウルの繁華街でのショッピングや、美味しい韓国の食べ物で楽しんでいたようです。家族にとっては始めての韓国旅行でしたが、食べ物が美味しいと評判、特にジャージャー麺やパジョン、カルクックス、マンドゥなどがお気に入りのようでした。私もパジョンをあてにソジュを飲み過ぎたようで最終日は二日酔い、普段なら朝からキムチもドンと来いって感じでしたがこの日ばかりは遠慮してしまいました。
過去の訪韓では一人で遺跡を探し回るのに忙しくゆっくりとショッピングする時間などがありませんでしたので、自分自身もいつもとは違う楽しみを味わえた様です。次男は大好きなBoAの韓国語版CDを買ったり、私も国立民族博物館で欲しかったお面を2面も買うことができました。しかしソウルは人が多いですね、南大門市場や明洞では歩くだけでも一苦労、特に土曜日の南大門市場の混雑は激しかった、あれではノンビリ買い物なんてできないですよ。
ソウルの観光名所を10年ぶりに歩いた訳ですが、随分と町の感じも変わった様に感じました。高層ビルが多くなり高速道路が発達したのはもちろんですが、町の中に日本語が目立つようになったこともその一つではないでしょうか。明洞の繁華街では平井堅の「大きな古時計」が流れ、商店の看板や食堂のメニューにも日本語が併記されているのが目立ちました。金大中大統領時代の日本文化開放政策のおかげでしょうか、日韓の距離感も益々近くなり、また親近感も益々強くなった気がします。ところで日本でもおかしな外国語表現や誤字は多いのでしょうが韓国も同じですね、とある食堂で「トンカツ定食」が「トソカシ定食」になっていたのには家族全員で爆笑してしまいました。
イラク戦争、北朝鮮のミサイル発射実験や核開発問題、そしてSARSと、物騒なご時世に呑気に韓国旅行などして良い物かと悩みましたが、ソウル市内の観光地を歩いていると日本人や中国人の団体観光客、更に日本の高校の修学旅行とおぼしき学生達も多く見かけ、それほど自粛しているという感じは受けませんでした。ただ仁川空港ではいつもよりチェックが厳しく、空港前では装甲車が睨みを利かせ、荷物検査では靴まで脱ぐという厳重さ、やはりいつもとは異なる緊張がありました。
2泊3日と短い時間で更に前後2日は移動に時間をとられてしまいますので、それ程多くの観光地を回ることができないと思っていましたが、なかなかどうして密度の濃い観光をすることができました。ここでは今回訪ねたソウルの名所を少々紹介したいと思います。
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水原華城・訪花随柳亭 |
水原華城・長安門 |
水原華城・累々と築かれた城壁 |
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景福宮・光化門 |
景福宮・香遠亭 |
昌慶宮・文正殿 |
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昌徳宮・宣政殿 |
昌徳宮・楽善斎 |
東大門 |
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水原華城・주윈화성:スウォンファソン 1793年、朝鮮王朝22代正祖が漢陽から水原に遷都することを企画し、市街地の整備と城郭の建設を命じ、約3年後工事が完了しました。しかし正祖が亡くなってしまったため遷都は実現せず、この時に築かれたのが水原華城で、長年放置され荒廃していましたが1975年、復元され現在は世界遺産にも登録されています。 景福宮・경복궁:キョンボックン 1392年、朝鮮王朝の始祖、李成桂が松都(現在の北朝鮮の開城)で即位した2年後、漢陽に遷都した際に王宮として造営されました。科挙制度や儒教の導入、ハングルの制定など、国家の基盤が確立した朝鮮王朝前期の政治の中心地でしたが、1592年、壬辰倭乱(文禄の役)により建造物の大半が焼失してしまいました。王宮が昌徳宮に遷された後は廃墟として放置されていましたが、李王朝末期の1868年に再建され現在に至っています。 昌慶宮・창경궁:チャンギョッグン ハングル文字を考案した世宗大王が父である太宗のために立てた別宮でしたが、壬辰倭乱で建造物の大半が焼失してしまいました。李王朝末期の1909年には博物館や動・植物園を設置し、昌慶苑と改称して一般に公開したといわれています。 昌徳宮・창덕궁:チャンドックン 1405年、第3代太宗王の別宮として建てられましたが、壬辰倭乱の際に焼失した景福宮が再建されるまでの約280年間、政治の中心にありました。朝鮮王朝時代の様式が最も保たれている宮殿といわれ、世界遺産にも指定されています。仁政殿の東側敷地にある楽善斎は、1846年に建築された李王朝末期の典型的な邸宅です。当初は国喪に服した王妃達の居所でした李王朝最後の純宗皇帝の妃、尹妃はここで亡くなりました。また日本の皇室から英親王李垠殿下に嫁いだ李万子女史が1989年に亡くなるまで住んだ所としても知られています。 東大門・동대문:トンデムン 漢城四大門の一つで、1398年に創建されました。正式名称は興仁之門といわれます。ソウルに現存する漢城府城郭の大門は南大門とこの東大門のみで、東大門は他の門と造りが異なり敵の侵入を防ぐために門の外側に半円状の外壁が築かれています。周囲にはソウル最大の東大門市場が広がっています。 |
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2003年3月26日記
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菊池川河口付近 |
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雲仙の眺め |
各地で桜の花の便りも聞かれ本格的な春の訪れを感じさせます。毎年この時期は精力的に古墳見学旅行に出掛けていますが、今年も九州の古墳見学旅行に出掛けてきました。往路は久々の寝台列車、最近はビールからチューハイに嗜好を変えましたが、少々飲み過ぎたようで少々二日酔い、初っぱなから体調不良では先が思いやられましたが、古墳巡りを開始すると直ぐに回復し元気が蘇ってきました。
心配された雨も朝には止み午前中の早い時間から日が差し始めました。午前中は
2日目は朝から曇り空、雨が心配されましたが午後からは天気も回復しポカポカ陽気、海岸沿いの道路を窓全開にして走ると、磯の香りが心地よいこと。前日とは逆に宇土半島の有明海側を走り熊本方面に向かいましたが、景色が抜群、特に雲仙が美しかったこと、昨年10月に有明海を挟んだ対岸の古墳を訪ねたことを思い出しました。この日は
熊本から博多へ戻り、翌日から仕事、おまけは
全体的に装飾古墳が多いため内部見学できる古墳の数は多くありませんでしたが、
2003年3月17日記
最近は週末に天気が崩れることが多いですね。15、16日も空は厚い雲に覆われて生憎の天気、そんな中16日は午前中、高安古墳群の見学に出掛けてきました。今回は、服部川32号、15号墳の見学、両者とも両袖式の石室です。服部川32号墳は羨道部の天井石が落ち込み、そのわずかな隙間からもぐりましたが、人があまり入らないせいか石室も非常によく保存され、玄室には須恵器の破片も落ちていました。一方の15号墳は天井の隙間からゴミが投げ込まれていてゴミ捨て場状態、せっかくの巨石墳がこれらの古墳については後日簡易測量を行う予定にしています。
どうにか雨は降らずに済みましたので帰りがけに
2003年3月2日記
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3月最初の土曜日は久々に千葉県の古墳を訪ねてきました。今回の目的は10数年前に訪ねた龍角寺古墳群の再訪が主なもので、その時に存在すら知らなかった上福田岩屋古墳もしっかりと見学してきました。当日、関東地方は朝から、遅くとも昼前から雨の降る予報、前日は雲一つ無い快晴でしたのに、またまた雨男の妖力を発揮してしまったようで、行くか行くまいか悩みましたが朝起きて外を見ると雨は降っていない様子。意を決して?当日は7時に実家を出発、古墳群の最寄り駅である下総松崎(しもうさまんざき)駅に着いたのが9時前、周辺の古墳を見学し安食駅から成田線で常磐線
時間に余裕があったので、乗換駅の上野で下車し久々に国立東京博物館に行ってみることにしました。その頃には雨も本降りとなり、上野駅の公園口は色とりどりの傘で埋め尽くされて結構な人出、やはり東京は人が多いですね。博物館はリニューアルされたようで、随分と展示の仕方が変わっていました。写真撮影は禁止だと思ってたらフラッシュを使わなければOKのようですので、しこたま展示品の画像をデジカメに収納してきました(^^)。博物館では特別展「大和と讃岐」が開催されており、天神山古墳や新山古墳、そして香川県の猫塚古墳などの出土品が展示されていました。その中で特に興味深かったのが猫塚古墳から出土した粗末な三角縁神獣鏡です。精緻な舶載鏡と並んで展示されていた鏡は、誰が見ても稚拙な図柄と粗末な鋳上がりであることがわかります。この鏡の存在は何を意味するのか、久々に三角縁神獣鏡ネタで何か書いてみたくなりました。
土曜日は午後からは雨に遭ったものの、古墳見学中は雨に降られず出掛けて正解、しかしその晩は季節外れの豪雨、栃木県では住宅が倒壊したり、神奈川県では住宅が浸水したりと春の嵐に見舞われました。翌日曜日は「台風一過」の様な雲一つ無い晴天、お昼過ぎに東京を出発し帰途に就きました。東京航空交通管制部のシステムダウン影響がまだ残り航空機の欠航が相次いでいるとのことでしたので、新幹線も混んでるかなと思ったのですがガラガラ、右の画像は新幹線から撮影した富士山です。これだけ鮮明な富士山を眺めたのは久しぶりでした。
2003年2月22日記
3月末の三連休は熊本南部の古墳巡りを予定していますので、この日は列車の予約を取りにJR
2003年2月18日記
2月18日、韓国の大邱市で非常に痛ましい事件が起きてしまいました。この大惨事の起きた中央路駅は昨年11月の訪韓の際、何度か利用した駅でもあり、大阪の心斎橋に似て活気に溢れ、賑やかでハイセンスな町であったのを覚えています。そして大邱での移動には便利なこの地下鉄を利用しましたが、まさかこの様な大惨事が起こるなんて、同じ地下鉄に乗り合わせた乗客、駅や街路ですれ違った善良な人々が、この様な凶悪な犯罪に巻き込まれてしまったのかと思うと深い悲しみを覚えます。またこの様な凶行に及んだ犯人に対し筆舌しがたい怒りが込み上げてきました。
不幸にも事件に巻き込まれ命を奪われてしまった何の罪もない犠牲者の方々には謹んでご冥福をお祈りさせて頂きます。またご遺族の方々には心よりお悔やみを申し上げたいと思います。そして負傷された方々の一日も早いご快復を祈っております。
しかしこの様なたった一人の狂人の常軌を逸した凶行により、これだけ多くの尊い人命が失われてしまう現実に対し、何か形に表すことのできない漠然とした恐怖が込み上げてきました。日本国内でも過去に新宿バス放火事件、地下鉄サリン事件など、同種の無差別殺人が起きていますが、今回、韓国で起きたこの地下鉄放火事件も決して対岸の火事などではなく、日本の公共交通機関で何時起きても不思議ではない事件です。普段何気なく通勤している電車が一瞬のうちに地獄となり、自分自身が何時、何処で被害者の一人になってもおかしくない日常と隣り合わせの恐怖、それもサリンや火薬などではなく、ガソリンとライターという誰にでも簡単に手に入れることのできるものでいとも簡単に引き起こされてしまうことに、極めて強い恐怖と言いしれぬ不安を感じています。
日本も地下鉄網が発達し、地下鉄は市民の生活には必要不可欠な交通機関となっています。安全管理には充分に配慮されてると思いますが、こうした常軌を逸した凶悪な犯罪行為に対する備えにはおのずと限界があるもので、決して完璧とは言えないはずです。こうした狂人の引き起こす凶行にもしも巻き込まれてしまったら、我々はこれほどまでに理不尽な死を受け入れなければならないのでしょうか・・、この様な凶悪極まりない犯罪の犠牲になり、理不尽にも尊い命を奪われてしまった犠牲者の無念さは計り知れません。心からご冥福をお祈りいたします。
2003年2月12日記
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韓国から無事に帰国し直ぐに仕事、今回の遺跡見学旅行では歩くことが多かったので疲れが溜まっています。出国した7日は雲一つ無い晴天、写真は韓国に向かう機内から撮った大山です。この時期これほど鮮明に大山の勇姿を眺めることなど奇跡に近いのでは無いでしょうか。とにかく素晴らしい眺めでした。鳥取県と島根県の境から日本海に出て、暫くすると韓半島に達します、しかし日本と韓国では眺めが一変するのには驚きました、針葉樹に覆われた日本の山に対して、韓国では落葉樹が多いのか山肌が露わになって見えます。だんだんと雲に覆われてきて、韓国仁川国際空港に降り立った時には空はどんよりと曇っていました。ソウルの江南高速バスターミナルを経由してその日の内に公州に移動、公州で2泊、扶余で2泊、最後はソウルの芳荑洞古墳群を見学し帰国の途に就きました。
公州では霙が降りしきる中での遺跡見学で体の心まで冷え切り、オンドル部屋の暖かさを実感。その後訪れた扶余では霞がかかっていましたが、雨には降られず概ね天気は良好でした。しかしすっきり晴れたのは最終日ソウルに移動してから、季節はずれの暖かさだったみたいで、厚着しているもんだから暑いのなんの、連日スタミナ料理を食べてましたので、余計に体がカッカしていたのかも知れません(^^)。
滞在した公州も扶余も小さな町で、特に扶余はこじんまりしていました。同じ観光地でも、土産物屋の居並ぶ新羅の古都慶州の観光スポットと比べると随分と違った雰囲気で素朴な感じを受けました。ただ町の中心では看板や食堂のメニューに日本語が併記されているところもあり、流石に日本と関係の深かった百済の古都、日本人の旅行者も多いことが判ります。しかしオフシーズンであったためか、扶余で2〜3人日本人らしき観光客を見かけましたが、今回はほとんど日本語を聞くことも、もちろん話すこともなく、3日間はほとんど会話らしい会話はなし。片言のハングルを話すと、色々と話しかけてくれるのですが何を言っているのか全く判らず頷くのみ、これからもっとハングルの勉強をしないといけませんね。
今回は古墳を見学できたのはたったの三ヶ所、公州の宋山里古墳群と、扶余の陵山里古墳群、そして11年前にも一度訪ねているソウルの芳荑洞古墳群です。公州では熊津期百済の王城であった公山城跡、扶余では泗沘期百済の扶蘇山城跡などの遺跡を訪ね、特に扶蘇山城跡では白馬江(ペグマグァン)の船上から落花岩を眺めることができ、非常に感慨深い物がありました。扶余は明日香に似てると思いこんでいたのですが、雄大な白馬江の流れる扶蘇山城跡周辺は、枚方に似ている感じを受けました。別に「検証古代の河内と百済・枚方歴史フォーラム」の影響ではありませんが、白馬江は淀川って感じですね。
楽しみにしていた韓食のほうも大満足、出国前風邪気味で体調不良だったことや、公州では寒さのためにお腹の具合が悪くなったこともあって劇辛物は控えましたが、それでも毎日朝からスタミナ満点の韓食を平らげ、帰国したら風邪もすっかりブッ飛んでました(^^)。
往復の飛行機が小さくてちと不安でしたが、今回の旅も概ね満足することができました。古墳の方は多く紹介することはできませんが、百済の文化遺産や、滞在中に目にした韓国の風物も織り交ぜ見墳録で紹介したいと思います。
2003年1月26日記
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26日は高安交互二室塚古墳の石室測量のお手伝い、今回で石室全体の簡易測量は取りあえず完了しました。略測図は現在N氏が作成しておりますので、完成しましたら新しく設ける予定の「みならい考古學」で紹介したいと思っています。
しかし長い時間ジメジメしたあなぐらで作業してますと、どうもカビに過敏症なのか最近は必ず気管支の調子が悪くなります。そこで今回から試しにディスポのマスクを着けて臨みましたところ結構効果がありました。そろそろスギ花粉も飛散の時期、古墳見学ではマスクが必需品となりそうです。
朝の天気予報では午後から雨の予報、近鉄で鶴橋に向かう車窓から生駒山越しに朝日が輝いていたので、午前中くらいは持つだろうとは思っていましたが、雨が降り出したのは夜になってから、天気予報も良い方向にハズレてくれたようです。お昼前に測量を終えて、あなぐらから出ると竹藪の中にも柔らかな光が差し込むほどの好天、そこでN氏のお誘いにより高安山に登り、山頂から二階塚古墳へのルート確認に同行することにしました。写真は高安山へと登るケーブルカーから撮影した大阪の町です。大阪湾は残念ながら視界が悪くて鮮明には見えませんでしたが、こうしてみると高安山は大和にとって自然の要害であったことがよく分かります。
ところで二階塚古墳は昨年5月にも見学していますが、今回は山頂からのアタック、落ち葉が堆積しズルズルと滑る山道はヒヤヒヤもの、ほとんど痕跡に近い獣道を下ると、おもむろに墳丘が現れます。しかしなぜこの様な高所に古墳を造営したのでしょうか?両方とも両袖型石室で古墳群の中でも最大級の石室、5月に見学した時は葉が繁っていて良く見渡せなかったのですが、特に二階塚下古墳の墳丘は巨大に感じました、余程の有力者が葬られていたのでしょう。もしかしたら物部守屋のお墓だったりしてなど、想像を巡らせています。
今回交互二室塚古墳の測量では、大きな発見があり現在N氏が報告書を作成しています。高安千塚古墳群にはまだまだ興味深い古墳が多くありますので、次回からはこれもまたユニークな古墳の測量に取りかかる予定、ホント楽しくなってきました。
2003年1月22日記
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このところ休日に天気が崩れるケースが多いですね。真冬の古墳巡りシーズンですが、こう天候が不順ですと遠出は避け、近場の古墳巡りが多くなってしまいます、真冬の冷たい雨の中での古墳巡りはホント辛いものがありますから。しかしこうしてひたすら経費を節約すれば、韓国旅行への資金に転用できますので、今年はできれば3回くらい韓国に行きたいと考えています。
ところで最近は馬韓がマイブーム、このHPの視点改でも書いていますが馬韓は倭国と繋がりの深い国。視点改で知った風なことを書いてはいますが、未だ行ったこともありません。2月の扶余、公州はどうにか実現できそうですので、その次の渡韓では栄山江流域の前方後円墳を是非とも訪ねてみたいと思っています。
視点改でも書いているように馬韓には以前から興味がありましたが、百済旅行の参考にと家にある本の中から「百済」の文字が入った本を探していた所、以前入手した「検証古代の河内と百済・枚方歴史フォーラム」を発見、その中にあった「百済の成長と馬韓勢力、そして倭」を読み益々馬韓に興味を引かれるようになりました。
それによりますと、5世紀中期から6世紀初期における馬韓地域の石室封土墳では、この地方独特の栄山江式石室封土墳のみで、百済式の石室封土墳が現れるのは6世紀中期以降、従って栄山江流域の馬韓地域が百済に併合されるのは6世紀中期以降であったと推察されることです。この地域に存在する前方後円墳のほとんど全てが5世紀中期から6世紀中期に造られた物で、栄山江式石室封土墳と共通の特徴が見られることも重要です。氏は、倭国に「論語」、「千字文」等をもたらした王仁博士は説話の通り霊岩の出身で、百済建国以前から成立していた馬韓と倭国の密接な交流のもと倭国に渡来したのであり、王仁博士は実は百済人ではなく馬韓人であると推察していましたが、当に目から鱗でした。
北部九州の勢力は畿内政権を介さず馬韓と独自に関係を構築し、馬韓を介して中国南朝と独自に通交していたという「視点改」での憶測が蘇ります。視点改では馬韓が百済に領有された時期を5世紀中期と考えていましたが、もう少し下ると考えた方が良い様です。馬韓-百済-伽耶、そして倭国との関係をもう少し勉強し直す必要がありそうです。そうすれば、「倭の五王」問題の本質も見えてくるのではないかと考えていますが、最近は「倭の五王」はやはり九州の王だったのではないかと、九州王朝説に傾倒し始めています。
考古学に文献資料を当てはめることは危険ですが、この時期は大伴金村の任那割譲問題や磐井戦争など倭国でも激動の時代、なぜこの時期に集中して馬韓の地に前方後円墳が造られたのか、極めて興味深いものがあります。とにかく九州の古墳文化を知る上でも馬韓は看過できない重要な地域であることは確かなようです。
写真は昨年末に訪ねた王仁博士の墓です。通勤ルートの途中駅であるJR学研都市線
韓国の遺跡巡りはまだ途についたばかり、訪ねたい遺跡は山ほどあります。急がず焦らず、とにかくまずは2月の泗沘(扶余)、熊津(公州)の古墳巡りを成功させたいですね。予定では、最終日はソウルを発つのは夕方ですので、時間があれば漢城 (ソウル)の芳荑洞古墳群を再訪し、「古の百済三都」の古墳を満喫してきたいと思います。
2003年1月3日記
1月3日は今年の初もぐりは、考文研の西森氏と高安古墳群に出かけてきました。元旦、2日とまずまずの天気でしたが、3日はお昼を待たずに雨が降り出し生憎の天気と相成りました、今年も正月早々から雨男ぶりを発揮してしまったようです。まぁ天気予報では3日は雨ということが分かっていましたので仕方ないですが、初もぐりが雨とは今年も雨男からは脱することができないのかも知れません。今回見学した古墳は高安古墳群の中でも、一風変わった石室で、特に交互二室塚古墳は全国的に見ても特異な石室として注目に値します。見学した古墳は2基でしたが、両者とも開口部が狭く、這い蹲って入室。特に交互二室塚古墳の方は体一つがようやくすり抜けられるほどの狭いもので正月早々スリリングな穴もぐりをしてしまいました。10時過ぎから雨が降り出しましたので、古墳見学は切り上げファミレスで古墳談義、なかなか楽しい一時でした。見学した2基の古墳は「今月の一穴」で紹介します。
2003年1月1日記
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元旦の大仏殿 |
PCを更新したところ家のターミナルアダプターがWindoywsXPに対応できず元旦に更新しようと思っていたのですができませんでした。今回は更新といってもこのページのみ、他のページの内容はほとんど変わっておりません。長い休みで時間は十分あったのですが、毎日怠惰な生活を送ってしまい、群馬・栃木の古墳巡りも、福井の古墳巡りもアップすることができず、今年の初更新は寂しい内容になってしまいました。
1月1日元旦は毎年恒例となった早朝の大仏さんへの初詣、今年は比較的暖かい朝で助かりました。毎年7時過ぎにお参りしていますが、今年は心なしか人が少なかったように感じました。ただこのくらいの時間帯が最も人が少なくなるようで、ゆっくりと大仏さんを拝顔しながらお参りすることができます。この元旦の大仏詣でも今年で6年目、「苦しい時の神頼み」的に始めましたが、もうすっかり年中行事として定着。大仏殿から坂を歩いて手向山八幡宮に参拝、最後は二月堂から奈良の町を眺めるという、これもまたおきまりのコースでした。
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