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2003年12月14日記

 早いもので今年も残すところ後一ヶ月、個人的には激動の一年でした。先日、近所のスーパーマーケットの抽選で当たったバス旅行に出掛けてきました。旅行と言っても滋賀県の信楽と近江八幡といつでも行くことのできる近場で、参加者には近所の知っている顔もチラホラ、昔懐かしの町内会の遠足って感じでした。信楽では狸の置物工房、昼食は中主町の鮎屋の里でしたが、昔住んでいた堅田の対岸で懐かしかったですね。近江八幡では「丁稚羊羹」作りも経験、その後は京都で八ッ橋工場見学し、最後は毛皮の直販店とやらに連れて行かれました。なんとなく土産物屋をたらい回しにされた感じで、特に最後の毛皮は勘弁して欲しかったとは思いますが、でも久々の夫婦水入らずのお出かけ、信楽狸村では集合写真なんかも撮っちゃって、全てお任せのバス旅行はそれなりに楽しむことができました。古墳古墳と泥だらけになり、見知らぬ土地を迷いながらレンタカー走り回るような旅ばかりしてきましたので、観光バスでお酒を飲みながら、添乗員さんの指示に従いノンビリと観光するのもたまには良いですね。

 

信楽狸村

近江八幡水郷

八幡神社

 

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2003年11月28日記

王仁廟

論山灌燭寺弥勒立像

11月長い休みがとれましたのでまたまた韓国へ出掛けてきました。今回は韓半島の西南部、古代の百済・馬韓の領域、旅の目的の一つは栄山江流域に築造された前方後円墳を訪ねることです。

韓国一人旅も今回で4日目、多少は馴れてきたようですがやはり色々と不安はありました。今まで訪ねた慶州や公州、扶余といったところは、日本人観光客も多く見学する場所も観光地となっていますし、遺跡の方も有名なものですので、地元の人に訪ねれば大抵わかります。しかし今回の訪問予定地はそれほど外国人観光客多くない様だし、遺跡自体もマニアックなものが多く、事前にリストアップした目的地を恙無く訪ねることが出来るか若干心配でした。大阪にある「韓国観光公社」へ資料を探しに行ったのですが、ここでもソウルや釜山などの資料は豊富にありましたが、旅の目的地である全羅南北道の資料はほとんどありませんでした。そんな訳ですから、現地で焦らずじっくりと考え行動できるようにスケジュールにもかなりの余裕を持たせることにしました。しかし「案ずるより産むが易の諺」通り、いざ現地に行くと、トントン拍子に事は運び日程にもかなり余裕が、そのおかげで現地で急遽予定に組み入れた名所も幾つか訪ねることができ、非常に充実した旅行となりました。それもすべて韓国の人達の好意があったからこそ可能であったので、言葉も分からない外国人に対し本当に親身に接して頂き心より感謝しています。

 

初日は自宅から韓国全羅南道の中心地である光州までの移動で一日、ソウルから光州までは久々に列車の旅です。宿泊地や見学コースは予定の消化具合からフレキシブルに変更し、移動途中のバスや食事の時に地図を広げて予定を立てるといった、悪く言えば場当たり的な行動、それが裏目に出て、霊岩ではちょっとドジをしてしまいましたが、ここでも地元の親切な人達に助けて頂きました。

 

心配された天気も雨に降られたのは二日目の光州のみ、2月の公州で経験した冷たい雨ではなく気温はそれ程低くならず、また見学している時は不思議と雨も小降りになったので大した影響はありませんでした。その他の日はまずまずの天気、土日は雲一つ無い晴天となり絶好の行楽日和となりました。昨年の慶州では紅葉の真っ盛り、今年は11月も終わりに近い時期でしたので、紅葉も終わりかけでしたが、所々で美しい紅葉の名残も見ることができました。また古墳だけでなく有名な寺院や遺跡なども尋ね写した画像は800枚、最終日のソウルではメモリが足りなくなり、写した画像を消去しながら撮る羽目に陥ってしまいました。でもデジカメはこうしたこととが可能ですので本当に便利ですよね。

 

韓国の古墳は日本と異なり、主要な物はほとんど復元整備され遺跡として大切に保管されています。しかしそれ以外のものは古墳自体の情報も少なく、場所を特定する手がかりなどほとんど無い状態です。その様な訳ですので、折角韓国、それもソウルや釜山などとは異なり、そう容易くパック旅行では訪れる事のできない場所へ行く訳ですから、訪ねやすい韓国の名刹も幾つか訪ねてきました。訪ねやすいとはいえ、事前にリストアップしていた寺院や、急遽現地で加えた寺院も現地で尋ねてバスやタクシーで行く必要がありますのでそれなりに苦労します。ただこうした苦労は多くの出会いを産み、パック旅行ではなかなか経験できないような本当の旅の楽しさを与えてくれるような気がいたします。

 

今回の旅でも多くの人出会い、そして助けて頂きました。毎回ハングルをもっと勉強せなあかんと思いつつも、何もせず韓国の人達の好意にどっぷりと甘えた旅を繰り返してきましたが、今回は言葉が通じないもどかしさを心底痛感したことはありません。次回の韓国旅行は何時になるかは分かりませんが、それまでには必要最低限ハングル会話ができるように勉強したいと思っています。旅の詳細は「見墳録」の方で紹介いたします。

 

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2003年11月9日記

曼陀羅山より眺める琵琶湖

比良山遠望

湖西の古墳巡り、JR湖西線和邇駅を起点に、堅田駅まで個人的にとても懐かしい場所を歩いてきました。10月は大津市の中部、南滋賀から坂本辺りの古墳を歩いてみましたが、今回は大津市の北の外れから志賀町の南部です。志賀町の古墳は数年前に某会の見学会で一度回っていますが、その時に得た資料を基に見学しきれなかった古墳を訪ね歩いてきました。見学できた古墳の数はそれ程多くはありませんでしたが、特に石神3号墳とゼニワラ古墳は見応えがありました。

 

その後は懐かしい堅田へと、堅田は我ら家族の出発地、二人の子供も堅田在住時に生まれましたので第二の故郷とも言える土地です。当時は古代史に興味を持ち始めて間もない時、古墳にもそれ程興味がなく、近くに数基の古墳があるにもかかわらずほとんど関心がありませんでした。休日とか子供を連れだって良く散歩に出掛けたのですが、その時金刀比羅宮という小さな神社の近くで、横穴式石室を偶然見つけたことがありました。古墳に興味を持ち各地の古墳を回り始め、しばらくすると、どうしても堅田の古墳が気になり、数年前に一度訪ねてみました。その時もこの横穴式石室墳を訪ねてみたのですが、山は荒れ放題で古墳への道は草もボウボウで大変な思いをした記憶があります。地元でもこの古墳の存在はあまり知られていないと想像できますが、古墳の方は横穴式石室もほぼ完全な状態で残っており、この辺りでは貴重なものですので大切に保存して欲しい物です。この時撮影した写真が気に入らなかったので撮り直そうと今回も訪ねてきました。古墳のある場所は曼陀羅山から南に延びる丘陵の中腹、堅田に住んでいる時は小さな子供連でも行けましたが、現在は下草が伸び放題、身の丈以上の笹が行く手を阻み、とてもじゃないけど子供連れで歩けるような道ではありませんでした。

 

午後からはJR堅田駅の北方に広がる低丘陵地の古墳探検、春日山古墳群の裏山一帯を探索しました。実はこの山林、堅田に住んでいる頃、長男を連れて良く山歩きを楽しんだ場所でした。いつものように散歩に出掛けたある日、大きな石材に腰掛けて休むと、その背後に穴が開いていてハシゴがかけられていました。周辺の草も刈り取られていて、今から考えると横穴式石室の調査でもしていたように思えます。他にも大きな石材がゴロゴロしていたり塚状のてっぺんに石室のようなものがあったことも思いだし、以前からとても気になっていました。そこで今回は微かな記憶を頼りに当時歩いた山道を歩いてみることにしました。近くに新しい道路も完成し、山も荒れてしまったようで多少は変わっていましたが、歩いている内に記憶も鮮明となってきました。道が変わっている箇所もあり、多少迷いながらしばらく歩くと一目で円墳と分かる塚が、それが以前石室のようなものを見つけた場所だと思い出しました。登ってみると、やはりありました小型の石室、もしかしたら石槨かもしれません。それからは、あるはあるは、今回見つけただけでも20基近くの古墳、そしてそのほとんど全てが横穴式石室墳だったんですからもうビックリです。残念ながら状態の悪い物が多かったのですが、石材の間や僅かに開口した部分からデジカメを入れて撮影すると、奥壁が写っていたり、中にはほぼ完全な状態で残っている物もありました。

 

当時何の気なしに通り過ぎた山道にこれ程の古墳があったとは、興味が無かったとは言え今の自分にとっては宝の山です。なんと呼ばれている古墳群か分かりませんが、かなりの数の古墳が分布していることは確かですので、できたら少し調べてみたいと思っています。この過去にタイムスリップしたような古墳探検は「古墳散歩」で紹介します。

 

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2003年10月27日記

耳成山

昨日は落王さんやたえさん、そして古くからの「古墳仲間」の皆さんと桜井の古墳を回ってきました。10月も終わりというのに汗ばむような陽気、日中は半袖で丁度良いくらいでした。古墳の方も雑草は多少気になりましたが、薮蚊もこの所の冷え込みには勝てず死に絶えたようでお目にかからず、落ち着いて見学できたのは何よりです。

この地域既に何度か古墳巡りをしていましたが、それでも初めて見学するものもあり、まだまだ面白い古墳が沢山ありそうですので、機会を見つけてまた回って見たいと思います。

比較的時間の余裕がありましたの、当初予定に入れていなかった徳利塚古墳へも行くことができましたがあの登り坂は結構堪えました。この徳利塚古墳、数年前桜井市が発行する遺跡地図で見つけ、地元の方に場所を訊ね1時間以上探し回ってようやく見つけた古墳です。その後niftyのフォーラムで紹介したところ、訪れる人も増えたようで、石棺に被せてあった鉄板もずれていました。周辺にはまだまだ古墳がありそうですが、微妙な場所ですので今後はどうなる事やら、徳利塚古墳も見学できなくなる可能性は大ですね。

ムネサカ古墳群は山道が歩き難くなっていて、一部崩れている危険な箇所もありました、もし見学される時には充分気をつけてください。また舞谷2号墳への道はほとんど痕跡程度、背丈以上に笹が生えてしまい今回はパス。数年前は倒木を乗り越え辛うじて行き着くことができましたがもう無理なようです。古墳自体も崩壊の危機に瀕しているのではないかと非常に心配です。

見学した古墳は古墳散歩の方に掲載しています。また古墳の詳細は「原色日本石室図鑑」の方で説明しておりますので、そちらをご覧下さい。

 

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2003年10月24日記

先日何年ぶりかに京都・嵯峨野を訪ねてきました。きっかけは数年前に古本屋で見つけた「山背の古墳」という冊子、その中にいくつか重要な古墳を見逃していたことが分かり、その内の数基の古墳を見学してきました。資料を見ると広沢池の周囲には群集墳がかなり在りそうな感じでしたが、いざ現地に行ってみると宮内庁の管理地内にあったり、植木屋さんの敷地内にあったりと立入禁止の土地が多く、それ程多くの古墳を見学することは出来ませんでした。ただ今回の主目的は巨石墳である甲塚古墳の見学でしたので取あえずの目的は達成でき満足しています。

 

過去にも嵯峨野周辺の古墳を見学したことがありましたので、有名な蛇塚古墳などはパスしましたが、以前くびれ部の石室を見学し忘れた天塚古墳は再訪。以前訪ねたのは10年ほど前、周辺の景色も変ってはいましたが隣接する工場だけはそのままでした。

 

始めはのんびり歩いて回るつもりでしたが、大津でしんどい思いをしましたのでJR山陰線嵯峨嵐山駅でレンタサイクルを借り、久々に自転車での古墳巡りでした。それ程多くの古墳をリストアップしていなかったので、早い時間に予定も終了、折角だから嵐山に行ってみました。観光客が多いとは思っていましたが、特に修学旅行生があまりに多いのには閉口。でもいい年こいたおっさんが一人、レンタサイクルで嵐山を散策するなんて、ちょっと不気味ですよね。嵐山は大津に転居した当時、もう20年近く前に訪ねた記憶があり、「落柿舎」で買った柿の土鈴が今も本棚に飾られています。当時は結婚したばかりで休みは良く京都の観光地に出掛けていました。子供が生まれ忙しくなり、そして大津から離れてしまったので京都へも行くこともなくなってしまいました。所々微かに記憶のある風景に出くわしましたが、ほとんどは忘れてしまった様です。

 

大沢池

清涼寺境内

嵐山

 

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2003年10月20日記

琵琶湖

木津川の流れ

駒岩

このところ爽やかな秋晴れの日が続きます。奈良も本格的な行楽シーズンを迎え休日は激しい渋滞に見舞われています。

 

今回は久しぶりに大津市の古墳を訪ねてきました。大津市の北の外れに7年弱住んでいたことがあり、子供は二人とも大津市生まれで何かと思い出深い土地です。中でも今回訪ねた滋賀里付近は次男の生まれた病院が近くにあり、ヨチヨチ歩きの長男を連れて月に一度は歩き回った懐かしい場所です。当時は「倭神社」脇の小さな児童公園で遊ばせましたが、この神社、高塚古墳という円墳の上に建てられている事を知り、十数年ぶりに訪ねてみました。

 

JR湖西線の西大津駅から大津市歴史資料館を見学後、京阪大津線で南滋賀まで移動、そこからはひたすら歩きました。比叡山脈の山麓に点在する古墳群は坂道を登らなければなりません。湖西道路に沿って北上し、穴太から滋賀里へと坂を下り、懐かしい倭神社へと、最後はJR湖西線比叡山坂本駅北方の新興住宅地にある陵墓参考地と横口式石槨墳を見学し、比叡山坂本駅から帰途に就きました。最近は車で回ることが多かったので徒歩での古墳巡りは結構キツかった、今も足が痛くて階段の上り下りが辛い、日頃の運動不足が祟っているようです。

 

連日の古墳巡り、といっても午後から南山城の古墳&神社を原付で回って来ました。あるサイトで未見学の古墳の存在を知り早速訪ねてきました。山城町上狛にある山城町歴史資料館の背後にある千両岩古墳群、古墳は直径十数mの墳丘が残されているのみでしたが、近くにある高麗廃寺とも関連した渡来人狛氏の遺跡ですので見逃すわけにはいきません。見学後資料館の屋上から見下ろす木津川の眺めは抜群でした。資料館の方にご案内していただきましたが、山城町では、椿井大塚山古墳があまりにも有名で、他の古墳にはあまり力を入れていないとの事、この千両岩古墳群以外にも貴重な遺跡が眠っていそうな感じです。

 

見学後は木津川に沿って北上し、椿井大塚山古墳などを見学し井手町まで足を伸ばしてみました。主に狛犬を求め神社に立ち寄ったのですが、近鉄が発行している冊子で大変珍しい馬の彫り物があることを知り訪ねてきました。帰りは木津川を渡り対岸の京田辺市へ、10数年ぶりに飯岡古墳群を見学、以前見落としていた古墳や横穴を見学することが出来ました。その後は神社を探しながら奈良へ帰還、この辺り10年前は自転車で回るほど元気があったのですが、体力が衰えた今ではもう無理でしょう。奈良に住んでいると南のほうにばかり目が行ってしまいがちですが、近くに住んでいながら知らない遺跡や神社が多いことにビックリしました、なかなか充実した休日を過ごすことが出来ました。

 

画像は資料館から見た木津川の流れと駒岩狛犬の画像はじゅぴ太さんのサイトの画像掲示板に投稿しました。その内狛犬画像を集めたサイトを立ち上げたいと思っています。

 

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2003年10月12日記

額安寺の五輪石塔

1011日は広陵町の巣山古墳の現説に出掛けてきました。奈良市の北端から広陵町まで原付で約1時間、往路は24号線から25号線、そして県道と交通量の多い幹線道路を通りましたので恐かった。思ったより風が強くて軽い原付はフラフラし、近くを走る車にとっても極めて危なっかしい存在だったようです。現地には10時前には到着しましたが既に長蛇の列、予定では午後に行くつもりでしたが、天気予報では午後から崩れるとのこと、急遽予定を変更して朝一に出掛けてきました。新聞でも一面トップで報道されましたので混雑は覚悟してましたが、それでも10分程度並んだだけで、現場に入ることができました。また現地が広かったので、説明を聞きながら移動することもでき、画像の方も様々な位置から撮ることができました。現地説明会の資料や撮影した画像は「現説便り」で紹介します。

 

説明会後は、近くの古墳を見学、佐味田宝塚古墳には10年ぶりくらいに立ち寄ってみましたが、ゴミの不法投棄が目立ち残念です。池上古墳は今回が初めて見学しますが、巣山古墳の近くにあった三吉2号墳やタダヲシ古墳などまだまだ奈良県下にも見学できていない古墳が多いようですので、これからもマメに出掛けてみたいと思っています。

 

帰りは少し遠回りして額田部町の方を回ってきました。この辺りにも幾つか古墳があるとのことでしたが、悉く不発に終わりました。風も冷たくそして雲行きも随分と怪しくなってきたので家路に、でも天気の方も大きく崩れることもなく無事に行って帰って来れてやれやれです、雨中の原付は寒いし、転けそうだしキビシイですからね。

 

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2003年10月4日記

10月に入り季節は一気に秋へと向かっているようです。今年の春、庭に植えた金木犀が淡いオレンジの花を枝一杯に咲かせ、甘い香りが漂ってきます。

 

先日は久々に東京へ、帰りは新しく開業した品川駅から新幹線に乗ってみました。在来線のホームからも近いし、実家を出て20分以内で新幹線のホームに着きますので便利になりましたが、始発ではないのが残念です。運悪くこの時乗った列車は修学旅行の生徒と同じ車両で、自分の席の直ぐ後ろは中学校の昼休み状態、喧しい!のなんの、あれは×ゲームですよ。出張者にとって新幹線は安らぎの場、楽しいのは分かりますがもう少し公共の場であることを認識して欲しいと感じました。しかし教師も知らん顔だし、まぁ教師に期待なんかしてもしょうがないとは思いますがね、勉強よりも大事な事ってあるのではと思ってしまうのは私だけでしょうか。東京駅からの乗車だったら、間違いなく自由席に避難していたのに、全く野次馬根性を出したばっかりに最悪の一日でした。

 

カルクッス・両側のお面は愛嬌です

韓国の古墳めぐりを始めてから「日本の中の朝鮮文化」についての興味が再び頭を擡げて来ました。そもそも古代史に興味を持った切っ掛けも渡来人に興味を持ったことでしたので、原点に戻ったとも言えなくもありませんけど。そんな訳で先日大阪の生野区を散策してきました。前から一度生野の「コリアタウン」に行ってみたかったし、最近は韓国旅行からも遠ざかっていますので、雰囲気だけでも楽しみたいという思いもありました。またここでしか手に入らない食材も魅力、3月にソウルで食べたカルクッスが余程美味しかったのか、次男が食べたいというので何度か鶴橋までカルクッスを買いに足を運んだのですが、今回は長男のお気に入りジャージャー麺を手に入れることができないかと僅かな希望を託しましたが、やはりなかった・・ジャージャー麺やマンドゥは韓国でしか食べられないみたいですね。写真はいつも買うインスタントカルクッスです、一際目立つハングルは「カルクッス」と表記されています、少しでもハングルを勉強した甲斐があり読むことはできたのは嬉しいですね。インスタントですけど、ひき肉とかネギとか溶き卵とか入れると本格的な出来栄え、子供達にもなかなかの評判です。

最近はじゅぴ太さんの影響で、狛犬が何かと気になっていますので、今回は東成区平野区HPに記載されていた神社も見学してきました。以下に少し紹介しますね。

 

JR環状線、森ノ宮駅近くの森之宮神社を皮切りに東成区平野区の名所を見学してきました。東成区の八王子神社は、一時期「百済神社」と呼ばれていたそうですが、昔は付近一帯が「百済」と呼ばれていたことがその理由のようです、でも韓半島の王朝名ズバリの地名はインパクトありますね。更に南下して近鉄電車のガードの手前、鶴橋駅に近い比売許曾神社を見学、神話とか苦手なもんで理解できないのですが、新羅からの渡来人といわれる天日槍と関連する神社とのことです。天日槍の実在性はともかくとして渡来人と縁の深い神社、ロケーションも抜群で渡来文化ファンとしては一度は訪れたい神社です。

 

近鉄電車のガードを潜り更に南下すると、御幸森天神社の杜が見えてきます。この神社は「コリアタウン」の入り口に鎮座する由緒ある古社で猪飼野の氏神様です。百済からの渡来人が多く住み着いた当地を、仁徳天皇が視察したり、鷹狩の際度々休憩されたことから、「御幸の森」と称するようになったといわれています。神社の杜は憩いの場、お祭りが近いようで境内も飾られ参拝者が訪れていました。渡来人の聖地とも言える猪飼野周辺はとにかく遺跡が多いですね、古代難波の中心地、古代史の奥深さを感じました。

 

コリアタウンはこの御幸森天神社の直ぐ近くで、商店街の入口には韓国風の門が立てられています。思ったより閑散としていると感じましたが、平日の昼間だったからでしょうか。商店街を真っ直ぐ進むと平野川に出ます、その平野川に沿って100mほど下ると猪飼新橋があります。またこの橋の欄干がまた古代史ファンには嬉しいデザイン、前方後円墳と勾玉をあしらった『歴史の橋』です。生野区のホームページによると、

『欄干には、日本書紀にかかれている「為橋於猪甘津、即号其処日小橋也」<猪甘津に橋を為(わた)す。即ち、そのところを号(なづ)けて小橋(おばせ)という>の14文字を配し、古代、河内湖に面した良港であったと伝えられる「猪甘津」とともに開けたこの地域の歴史を顕彰しています。』

この猪飼野新橋が付け替えられる前の旧平野川には「つるのはし」という橋が架けられていましたが、それが文献に残る最古の橋「猪甘津橋」の跡とも言い伝えられています。

『むかし、このあたりに鶴が多数飛来したことから橋の名となったようです。一説には、西暦323年に百済川に架設された橋で猪甘津橋の古跡ともいわれ、『日本書紀』仁徳天皇1411月の条に『猪甘津に橋を為(わた)す。即ち、そのところを号(なず)けて小橋という』と記され、文献にでている橋ではわが国最古のものといわれています。』

しかし歴史を感じますねぇ、最近はこうした史跡を訪ねるのが楽しみになってきました。

 

コリアタウンの入口

とある食堂、韓国の雰囲気満点

猪飼野新橋の欄干

八王子神社

御幸森天神社

比売許曾神社

 

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2003年9月26日記

今日は落王さんや目子媛さんたちと湖東の古墳めぐりに出かけてきました。JR琵琶湖線草津駅に集合し、栗東市石部町甲西町などをまわり土山町まで足を伸ばし、最後は野洲駅近くの古墳を見学し帰途に就きました。当日は爽やかな秋晴れ、日差しは強いものの、風があり汗ばむほどの暑さではなく絶好の古墳見学日よりでした。ただ藪蚊が多いのには閉口しました。滋賀でも今回訪ねた所はどちらかといえばマイナーな地域です。私も滋賀県下の古墳は何度か見学しましたがこの周辺は初めて、でも比較的大型の石室もありなかなか見応えのある地域でした。10数年前は滋賀県人であったとはいえ最近は疎遠になっていましたので、これからはもう少し滋賀に注目し、古墳を探し回りたいと思っています。この古墳巡りの詳細はいずれ見墳録の方で紹介したいと思いますが、最近サボり気味で何時になったら紹介できることやら…

 

和田古墳公園の展示室の須恵器

地山古墳墳丘

正福寺の石造宝塔

 

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2003年9月21日記

白鳥陵古墳

ミニチュア竈

 「暑さ寒さも彼岸まで」とは良く言ったモンで、すっかり秋めいて来ましたね、今日は久々に羽曳野に出掛けたのですが、駅からの帰り、原付乗ってるともう寒いくらいで手が悴んでしまいました。このまま一気に秋へと向かうのでしょうか、でもようやく本格的な古墳シーズンの到来って感じです。

 

羽曳野へ出掛けたのは、羽曳野市が定期的に開催するシンポジウムを聴講するためです。会場は古市古墳群のど真ん中に位置していますので、古墳巡りも出来るかなと思ったのですが、運悪く第三日曜日は自治会の草むしり、家を出たのが10時を回っていましたので、時間の余裕がありませんでした。それでも最寄り駅の古市駅から会場までの通り道や会場近くの古墳を数基見学してきました。画像上は古市駅近くにある白鳥陵古墳です。駅前の住宅地にドカンとありますが、陵墓参考地のおかげで保存されているのでしょうね、調査は出来ないかも知れませんが、政変でも無い限り破壊されることはまずありませんので、陵墓参考地であったことが幸いしたとも言えます。

 

会場の直ぐ隣には峰が塚古墳が公園として保存されています。奈良に転居した年、1992年に調査され豊富な副葬品が出土して話題となりました。当時は未だ相模原に住んでいましたので、新聞でも大きく報道され、「さすがに関西はすごい!」と、奈良に転居したら古墳三昧の休日を過ごすことを夢見ながら、発掘調査の記事を読んだ記憶が蘇ります。初めて峰が塚古墳を訪ねたのは1993年の夏でしたが、墳丘の一部には青いビニールシートが被されていたことが記憶に残っています。

 

この峰が塚古墳の直ぐ近くの林の中に横口式石槨の小口山古墳があります。こちらも久しぶりに見学してきました。古市古墳群では中期古墳が多く、それも天皇陵や陵墓参考地となっていますので、ほとんどの古墳は墳丘を眺めるだけですが、その中にあって小口山古墳は埋葬施設、それも横口式石槨という特殊な埋葬施設を見学できる貴重な古墳です。この小口山古墳に関しては「傑穴拝見」で詳しく紹介します。

 

シンポジウムのテーマは「河内飛鳥と武寧王」、大阪歴史博物館でポスターを発見し、家に帰って直ぐに参加の申し込みをしました。今は馬韓、百済がマイブーム、今秋の目標は河内飛鳥の終末期古墳の探索と、当に打って付けのテーマでした。そして武寧王といえば2月に訪ねた韓国・公州、冷たい雨の中、武寧王陵を見学した思い出も蘇ってきます。武寧王の生誕地が倭国であるとの説も韓国で有力視されつつあるとのこと、今後益々古代史の分野で日韓の交流が盛んになり、ブラックボックスの中に閉じこめられていた、古墳時代の真の姿が解明されてくるのではないかと期待しています。日本列島から出土した韓半島系の遺物も展示されていました、画像下は大谷2号墳から出土したミニチュア竈土器です。シンポジウムの内容については折りを見て紹介したいと思います。次の訪韓は馬韓、百済の古墳巡りと決めていますが、何時になったら実現することやら…

 

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2003年9月15日記

 夕日が美しかったので、原付を飛ばして二月堂へと、この時期空気が澄んでくると夕日も美しくなります。「月と火星」は7日に撮影したと思います。月の右斜め下にポツンと光っているのが火星のようです。肉眼ですと赤く見えるのですが…滅多に見ることの出来ない天体ショー、思わずデジカメで撮影しましたが、案外良く撮れるもんですね。でもちょっと旬を過ぎてしまった話題ですが…

 

自宅の窓から撮った月と火星です

大仏殿と夕日・二月堂から撮影しました

 

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2003年9月8日記

二上山の遠景

渡金方格規矩鏡・天理参考館

奈良は相変わらずの猛暑が続いています。それでも季節は確実に秋に向かっているようで、あの喧しかったクマゼミの鳴き声も止み、それに代わるように夜になるとコオロギの鳴き声が涼しい風に乗って聞こえてきます。

今日は久々の現地説明会、天理のノムギ古墳に出かけてきました。自宅から原付で約30分、ゆっくり出たつもりが11時過ぎには会場に到着してしまいました。過去の経験から現地説明会では、開始後一時間くらいが込み合うので、もう少しずらせば良かったのですが、渋滞知らずの原付は早い!しかし説明会では渋滞に填まりおかげで20分くらい順番待ちをする羽目になってしまいました。朝晩は幾分凌ぎ易くなったとはいえ、日中の暑さは真夏並、日影もなくホント暑かった。今回は埋葬主体部の調査ではなく、周濠部分の発掘調査でしたので、マスコミの扱いもそれ程大きくなく思ったより人が少ないように感じました。

邪馬台国の候補地の一つである大和古墳群では、とかく「邪馬台国」や「卑弥呼」と関連付けられ、現地説明会も出店が並ぶほど賑わいますが、今回の古墳は4世紀中期と時代的に異なりますので、マスコミもあまり大騒ぎしなかったようです。古墳の直前までバイパスが完成していますのでこの先どうなることかと心配になります。邪馬台国がらみでマスコミがもっと騒いでくれた方が良かったのかも知れません。画像上は現説の帰りに撮影した二上山の遠望です。

 

 帰途はそのバイパスを通り、途中天理参考館に寄って来ました。山の辺の道周辺に点在する古墳を見学することも考えたのですが、暑いし、薮蚊の攻撃も恐ろしいので、天理教の施設の脇を通りかかった際、ちょっと冷房の効いた博物館で涼んでいくのもええなぁと思い寄ってきました。

 天理参考館には随分前に訪ねていますが、数年前に新装開館されたようで、前々から新しくなった博物館に一度訪ねて見たいとは思っていました。ただ場所が移動してしまったので一度何かのついでに立ち寄った時には分からず、今回はポスターで場所を確認し、そのおかげで漸くたどり着くことができました。

新しくなった参考館は以前と比べると博物館らしい展示になって見やすくなっていました。先日訪ねたみかけ倒しの某歴史博物館に比べると考古遺物の展示品も充実していて見ごたえがあります。写真撮影もフラッシュを使わなければOKのようですので、特に古墳時代の遺物を中心に撮影してきました。画像下は渡金方格規矩鏡です、フラッシュを使わなくてもなかなか綺麗に撮れました。

 

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2003年9月2日記

開口した石室

相変わらず関西は猛暑続き、今週は天気も崩れるとの予報でしたが、見事に大外れで毎日カンカン照りの天気が続いています。最近の古代史的活動といえば先日の難波宮跡の見学のみですので、最近は更新ネタにも不自由しています。何せこの時期の古墳めぐりは、草はボウボウに生えているし、薮蚊の大群にも襲われますのでどうしても行く気がそがれてしまいます。でもそろそろHPも更新しなければと思い立ち、先日は大阪中部の古墳をいくつか回って来ました。寝屋川市の石の宝殿古墳と寝屋古墳、交野市の寺古墳群の3ヵ所のみでしたが、電車と徒歩で回りましたので、案の定酷暑と薮蚊、ホント大変な思いをしました。

 

寝屋川市2基の古墳は10年近く前に一度見学していますが、寺古墳群は今回が初めてです。事前の情報では河内磐船駅の北東方向にある高校の裏山とのこと、その高校の敷地がでかいし裏山への道が見つからない。駅からは遠いし暑いし、あきらめかけて日陰でヘタレこんでいたら、運良く地元のおばさんが通りかかったので尋ねた所、親切に正確な場所を教えてもらうことができました。でもそこからがまた大変、「寺」の集落の外れから竜王山へと続く日陰のない未舗装の農道をしばらく登ると、登山道のような山道になります。左右に溜池があるのですが、そこから流れ出た沢が時折山道と合流して歩きにくかった。落ち葉が堆積した山の中は涼しくて良いのですが、日陰になると今度は薮蚊の襲撃をもろに受けます。それでもポッカリと石室が開口した古墳を見つけたときは嬉しかったですね。荷物を置いて暫し休憩と思ったのですが、薮蚊がまとわり付いて鬱陶しい事、水分補給してすぐに石室の見学を開始しました。石室の中はひんやりとして不思議と薮蚊付いてきませんでしたので落ち着いて観察できました。しかし出口近くになるとまたまた薮蚊の大群、見学後気持ちも落ち着いたので少し休憩をと思ったのですが、とにかく薮蚊がスゴイので早々に立ち去りました。駅まではまたカンカン照り、休憩も執らず歩き続けたからか軽い熱中症に罹ってしまったようでクラクラです。駅前のコンビニに避難し事なきを得ましたが、こんな時はクーラーの効いた電車は天国ですね。今回訪ねた石の宝殿古墳は、関西でも有名な横口式石槨墳、寺古墳群と共に穴傑拝見で紹介します。

 

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2003年8月17日記

盆が明けた途端に関西地方は連日の猛暑、涼しくておとなしかった蝉達も元気を取り戻したようで、朝早くから大合唱、また今年もしばらく寝不足になりそうです。盆の間は涼しかったのですがその代わり連日の雨、天気が良くなればなったでこの猛暑、この時期は古墳めぐりも休止状態、最近は休日も外出することが極力なくなってしまいました。

わざわざ暑い中出かけることは避けていたのですが、最近出張で大阪の中心に行く機会がありましたので、少し足を伸ばし難波宮跡に訪ねてみました。画像は難波宮跡に隣接する大阪歴史博物館から撮った難波宮跡と大阪城です。難波宮跡の緑と、背後の無機質な町並みとが不思議なコントラストを醸し出していますね。大阪城公園も広大な敷地、高層ビルを従えているような大阪城はなかなか迫力がありました。帰りはJR森ノ宮駅まで歩いてみましたが、大阪城公園は木が生い茂り蝉の大合唱、都会のオアシスって感じですが、所々に「青色テントハウス」とゴミが散乱し景観を損ねているのが残念です。

 

難波宮跡、見慣れた平城宮跡に比べれば範囲は狭いのですが、大阪の中心部に近い都会の真中にあれだけの敷地を遺跡として残しているとは大した物です。基壇が復元されているのみで見学と言うほどのことはありませんが、大化改新に関連する重要な遺構、古代史ファンとしては一度は訪ねてみたい遺跡の一つです。大阪歴史博物館はすごく立派な建物なので、さぞかし展示品も素晴らしいだろうと期待したのですが…、どうやら「箱物」にお金をかけ過ぎたようですね。

 

難波宮跡

大阪城

難波宮跡史跡公園は大阪城の南西、中央大通り南側に広がっています。古代の大阪は、難波(なんばではなく“なにわ”です)とよばれていました。その中心は現在の大阪城から 四天王寺にかけての上町台地上で、その最も高い位置にあたる大阪市中央区法円坂の地に、難波宮の遺跡があります。長年の発掘調査の結果、ほぼ同じ場所に二つの異なる時期に建てられた宮殿跡が明らかにされました。先行する宮殿は前期難波宮と呼ばれていて、政庁であった長堂院の一部と見られる大規模な建物遺跡が発見されています。この前期難波宮は、「大化改新」による難波遷都の後、大化元年(645)から造営が始められた難波長柄豊碕宮の遺構であると考えられています。前期難波宮は652年に完成しますが、天武天皇14(686)に全焼したといわれています。

難波津に近く利便性の高く、海外に開かれた難波で、新しい政治を行った孝徳天皇、そのブレーンであったのが、難波に本拠地を持つ阿部であるとの推測は「視点改」で示してありますが、一度は訪ねてみたい遺跡の一つでした。

 

 一方、後期難波宮と呼ばれるもう一つの宮殿は、聖武天皇が難波復興の中心事業として、神亀3(726)から造営を行い、天正16(744)2月から翌年5月まで、都とした難波宮であるといわれています。現在復元されている基壇はこの後期難波宮のものです。

 

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2003年7月28日記

梅雨明け直後真夏の日差しが眩しい

蓮の花、信号待ちの間に撮りました

近畿地方もようやく梅雨が明けましたが、ムッとするような真夏の高気圧と言うより爽やかな秋晴れの様な高気圧に覆われて、朝晩は肌寒いくらいの陽気です。でもとにかく近畿地方は土曜日に梅雨明けとのこと、昨日の日曜日は好天のもと、落王さんとたえさんと平群の古墳探索に出かけてきました。写真上はツボリ山古墳から撮影した風景です、夏の日差しが本当にまぶしい日でした。平群は奈良盆地でも開口している横穴式石室が比較的多く、桜井、飛鳥と並び「大和三大穴もぐりスポット」と言えるのではないでしょうか。

 

当日は朝9JR大和路線法隆寺駅に集合、一番近いはずの私が最も遅い到着だったようで、落王さんも、たえさんも8時に着いていたとのことでした。早速室さんの車に乗り込み平群町へと向かいます。まずはツボリ山古墳を見学、住宅の裏に石室が開口し破壊はされていますが2基の刳抜式石棺を見ることができます。平群町の公民館で烏土塚古墳の石室の鍵を拝借し、その後烏土塚古墳、西宮古墳と平群で最も有名な古墳を見学し、粟塚古墳の墳丘を撮影し鍵を返却、北上して長屋王・吉備親王墓、三里古墳、大谷古墳へと向かいます。三里古墳は入り組んだ場所にあり駐車スペースを探すのに一苦労、「古墳犬」に吠えられながら石室を見学しました。大谷古墳も難儀な場所にありましたが無事に見学、再び南下して椿井宮山古墳、宮山裏古墳へと向かいます。

宮山裏古墳は藪蚊の巣窟でした。曖昧な記憶でナビをしたため柿塚古墳、四つ辻古墳では本当にご迷惑をおかけしました。柿塚古墳はあまりにも開口部が狭いので予定していなかったのですが、たえさんも、落王さんもガッツで入ってくれましたが、真っ暗闇でしたが良い写真撮れましたか?その後は信貴山へ向かい、コンビニ弁当を食べた後、ホウジ1号墳を見学、この古墳は是非ともご案内したかった古墳です。山を下りて三室山古墳を見学後、達磨寺古墳を見学後、更に南下して香芝市へと、ここでもいい加減なナビをしてしまい落王さんにはご迷惑をおかけしました。

写真下は迷っている時に偶然通りかかった蓮池、「ゆーでぃあ」のトップページにも紹介されましたが、蓮の花を撮れたのがせめてもの救いでした。前回訪ねた際に調査中で見学できなかった平野1号墳、今回は見学することができて大満足です。平野塚穴山古墳を見学し、最後は牧野古墳と穴もぐり三昧の一日でした。

 

落王さんもたえさんも服の汚れなど気にせず狭い石室にも果敢に挑戦していました。しかし藪蚊が多いのには閉口しました。夏場の古墳巡りは藪蚊に対する備えが最も重要であると再認識させられました。

 

平群の古墳は何度か訪ねていますが、どうも方向音痴でまともなナビをすることができずドライバーの落王さんには本当にご迷惑をおかけしました。特に四つ辻古墳や平野塚穴山古墳では狭い道を走り回らせてしまったようで本当に申し訳なく思っています。平群とか香芝は自転車や原付で回りましたので、どうもその感覚で誘導してしまったようです。

 

今回見学した古墳のほとんどは既に「原色日本石室図鑑」の方に紹介していますので、見学記とかはアップする予定はありません。古墳探索の顛末は落王さんの「ゆーでぃあ」、たえさんの「朱鳥」で御覧頂けると思いますので、ここでは見学した古墳を少し紹介したいと思います。

 

ツボリ山古墳

烏土塚古墳

西宮古墳

柿塚古墳

平野塚穴山古墳

牧野古墳

 

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2003年7月21日記

高麗神社本殿

神社に隣接して保存されている高麗氏住宅

ついに夜明けのヒグラシが鳴き始めました。夏も本番!と言いたい所ですがまだまだ梅雨が続いているようですね。今日は夜中に突然大雨が降りましたが日中は時折晴れ間ものぞくまずまずの天気、三連休の最終日ですがでも何処へも出かけずに主夫業に専念してました。

 

先週は久々の東京出張、出張先の渋谷はかれこれ20年ぶりです。渋谷と言っても賑やかなのはハチ公口方面、場所が東急文化会館の裏手の方だったので、センター街などとは全く異なる雰囲気があります。東急文化会館への通路は昔のままでしたが、ただ映画館も閉鎖されていて人通りも少ないようでした。小学5年生の時見学したプラネタリウムも数年前に閉鎖され、昔の面影もどんどん無くなってしまったようです。木曜日は拉致された小学生が赤坂で見つかったとのことで、渋谷の上空もヘリコプターが飛んで何となく騒然としていました。昼休みに109の方をブラブラしてみたのですが最早おっさんの行く所ではなく、もの凄い違和感がありました。20数年前、大学生の頃は良く買い物に出かけたのですが、今みたいに低年齢化してなかったと思います。なんか全く違った町になってしまったようです、それとも自分が年をとったせいですかね。

 

土曜日は久々の埼玉県下の古墳巡りに出かけてきました。JR高崎線熊谷駅を起点に、大里町から東松山市嵐山町小川町などを回り、さらに児玉町から皆野町秩父市と結構広範囲に回って来ました。実家を出る時は雨足も強かったのですが、熊谷駅に着いた頃には霧雨となり、その後は秩父市まで雨に遭うことはなく、まずまずのコンディションでした。熊谷駅を出発したのが朝8時、川越駅でレンタカーを返したのが夜の7時と、川越駅に向かう県道がノロノロで思った以上に時間がかかってしまいました。加えて秩父市内でも霧雨の中お祭りだったようで、所々が通行止め、秩父から飯能に抜ける国道299号も靄がかかって運転しにくいこと。でも峠を越えると雨も止んでいたので、最後は日高市の高麗神社に寄って来ることもできました。写真は高麗神社の本殿と、高麗氏住宅です。高麗神社に到着したのが5時半過ぎ、ヒグラシの涼しげな鳴き声が森の中でこだまし、雰囲気抜群、やはりヒグラシは夕方に聞くとホント最高です。内部見学できた石室もいくつかありますので、見学記は後ほど見墳録にて紹介したいと思います。

 

今回の「傑穴拝見」は埼玉県で見学した二基の石室を取り上げてみました。一基は嵐山町の稲荷塚古墳、中学校の隣接して保存されており、石室内部には自由に入ることができました。もう一基は小川町の穴八幡古墳、今回の古墳探索で最も見学したかった古墳の一つです。石室は開口してはいるのですが、柵が設けられ施錠されています。しかし良く見ると鎖が弛んでいたので試しに伸ばしてみると体一つギリギリ通る隙間ができましたので失敬して入室、強烈にカビくさかったのですが非常に精巧な石積みに驚愕しました。

 

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