「考現学 成人式と教育基本法改正」 (徳島新聞2003年1月) 先だって、成人式が行われた。今年は多くの場所で何事もなく、無事平静に成人式が行われた。「荒れる成人式」から「穏やかな成人式」へ。それ自体は好ましい現象である。この学年は、中学3年の時、酒鬼薔薇聖斗=A少年を出し、キレる14歳とか、キレる17歳とかと騒がれた学年なので注目していた。実はわたしの息子も同学年で、息子が中学3年の時にはPTA会長も務めたことがあるので人ごとでなかった。 昨年7名の逮捕者を出した那覇市では、統一式典を止め、地区ごとの式に切り替え、沖縄県警180人が警護にあたるというものものしさだったが、混乱はなく、翁長雄志市長は感激で「不覚にも涙が出た」と述べたほどだった。一昨年の成人式で、「黙れ、出て行け」と怒鳴った橋本大三郎高地県知事も、今年は40分の式典がスムーズに進行し、「成人式はこういうもの」と感慨深げ。一方、兵庫県姫路市では、式典終了後、会場の文化センターの駐車場で新成人数十人が酒を飲んでいるうちに乱闘となり、駆けつけた警察官を殴るなど暴行を加えるという一幕があった。が、全国規模での荒れは、影を潜めたようである。 東京都杉並区の成人式に来賓として招かれたノーベル物理学賞受賞者の小柴昌俊東京大学名誉教授は、「自分が何を成し遂げたいのか見極め、それを大きく育ててほしい」と祝福の言葉を贈った。しかし、「自分が何を成し遂げたいのか」が見極められれば苦労はない。それを見極めるために、今の若者は大変苦労している。というのも、激変している今の社会で、「本当に自分はこれをやりたい」ということを見出すことは、子供でも大人でもたやすいことではないからだ。実は、それが一番難しいことではないか。 わたしは1980年から教育現場で働いてきたので、この23年間、常に若者と接してきた。高校、専門学校、大学、大学院の生徒や学生と付き合う中で思ったことは、「自分が何をやりたいかを見出すことは簡単なことではない」という事実と、しかし「それを見出し、情熱と信念を持って取り組んでいることは、必ず世代を超えて通じるものがある」ということだった。そしてその時大事なことは、「工夫とユーモアが必要」ということだった。そのことは昨今ますます重要になってきていると思う。 昨年の小柴さんと田中さんの二人のノーベル賞受賞者について興味深く思ったことは、二人とも、目から鼻に抜けるような秀才でも勉強が満遍なくできるタイプでもなかったが、「面白いこと」を見つけ、それに情熱と工夫を持って取り組むことができ、ユーモアがあるという点だった。情熱・信念・工夫・ユーモア。工夫はオリジナリティや創造性に結びつく。いつの時代にも、創意工夫こそが新しい発見や表現のみなもとであり、夢とイマジネーションを広げ実現する源泉なのだ。それを編み出すことに情熱と信念を持って取り組めるかどうかが、ものになるかどうかの分かれ道になる。 今、教育基本法を改正しようという動きが活発になっている。昨年11月14日、中央教育審議会は、郷土や国を愛する心、伝統・文化の尊重、公共心や家庭の教育力の回復などを盛り込む教育基本法全面見直しを求める中間報告を遠山文科省に提出した。当たり前のことをことさら言わなければならないほどに、この国の教育と道徳心は腐敗しているのだ。大事なことは、教育基本法の改正などではなく、現場での創意工夫とそれを受け入れ実践する気概と行動力ではないか。今、徳島県が取り組んでいる「少人数学級」もその第一段階の取り組みであると評価できる。 これまで、まじめに愛国心を説いて豊かな愛国心が醸成されたためしはない。説教は国を滅ぼす。説教ではなく、ユーモアのあふれた創意工夫のある実践や実験が必要なのだ。愛国心よりも、ユーモアや実験精神の重視を打ち出す方が、はるかに豊かでのびやかな愛国心や公共心を生み出すことになるとわたしは信じて疑わない。 |