第8信

 7月23日、エジプトでは死者83人・負傷者200人以上を出すテロ事件が起き、東京では震度5強の地震が襲い、多くの電車が止まり、一部都市機能が麻痺しました。

 紅海に面したエジプト東部のリゾート地シャルムエルシェイクで起きたテロ事件では、アル・カーイダ系組織アブドラ・アッザム旅団を名乗るグループが、イラクやアフガニスタンでの犯罪への報復だとする犯行声明を出したようです。7月7日のG8初日でのロンドンでの同時自爆テロ、7月21日でのロンドンの同時爆破テロに続いて、ヨーロッパから北アフリカに飛び火し、いよいよ「大中世」のような状況になってきました。経済グローバリズムと、それを促進する英米主導の軍事支配に対する一種の「反十字軍」闘争ですね、これは。この闘争は激化しこそすれ、鎮静化する傾向はありません。

 それに対して、千葉県北西部を震源とする地震は、震源の深さ73キロでマグニチュード6・0とのことです。このあたりは、陸のプレートと海のプレートがぶつかり、もぐりこむところにあり、しかも、海のプレートは、太平洋プレートとフィリピン海プレートの二つがぶつかる三つ巴状態の地にあるとのことです。何だか、今の中東の情勢と重なるかのようです。米英欧と中東とアジア日本の三つ巴状態。その欧米も英米と独仏とは断層が走り、中東もサウジアラビアやエジプトなどの親米国とイラク・イランなどの反米国との間には断層があり、アジアでも中国・韓国・北朝鮮・日本との間には亀裂が深まっている状況があります。どこを見ても未来の平和的環境の気配すら見えてきません。

 日本国内でも、郵政民営化関連法案が5票差で衆議院を通過したものの、参議院で拒否される可能性も高く、その場合は衆議院解散が取りざたされ、それに絡み、8月15日の「終戦記念日」には小泉純一郎の靖国神社参拝が行なわれるかどうか、国内外から注目が集まり、何が起こるか予想がつかない状況です。また、建築用材に使用された発癌性物質アスベストも問題になっています。

 いずれにせよ、世界中から「安全・安心」が消えつつあることには間違いありません。世界中がいっせいに「不安京(境)」化しています。「平成」元年に成った時からわたしはそのことを予測し、「平成」は「兵制=兵政」の世であると言ってきました。その中で、何をどうし、どう生きていくのか。

 そんな不安な激動する世の中で、妖怪研究会が始まりました。正式の名称は、「新妖怪談義研究会」(東京財団主催)と言います。参加メンバーは、鏡リュウジ(占星術研究家・翻訳家)、切通理作(文芸評論家・和光大学講師)、京極夏彦(小説家・意匠家)、東雲騎人(妖怪絵師)、多田克己(妖怪研究家・作家・イラストレーター・漫画家・グラフィックデザイナー)、田中貴子(甲南大学文学部教授、中世文学)、内藤正敏(東北芸術工科大学情報デザイン学科教授、写真家、民俗学、ミイラ仏研究)、西山克(関西学院大学文学部教授、東アジア恠異学会代表、中世史)、辺見葉子(慶応義塾大学文学部助教授、英文学・ケルト神話研究)、麿赤兒(俳優、舞踏家、大駱駝艦主宰)、それにわたしの11名。それぞれが妖怪・妖精めいた存在感の持ち主で、超豪華メンバーですね。

 鏡リュウジさんは、雑誌、テレビ、ラジオなど幅広いメデイアで活躍しています。占星術や占いに対する心理学的アプローチを日本に紹介して、幅広い層から圧倒的な支持を受け、従来の「占い」イメージを一新しました。切通理作さんは、編集者を経て文筆活動に入り、『宮崎駿の<世界>』(ちくま新書)で第24回サントリー学芸賞を受賞。著書には、『怪獣使いと少年 ウルトラマンの作家たち』(宝島社、現宝島社文庫)『お前がセカイを殺したいなら』(フィルムアート社)『ある朝、セカイは死んでいた』(文藝春秋)『ポップカルチャー 若者の世紀』(廣済堂出版)『山田洋次の<世界>』(ちくま新書)などがあります。

 京極夏彦さんは、広告代理店やデザイン事務所デザイナーとして活動しつつ、1994年妖怪小説『姑獲鳥(うぶめ)の夏』で鮮烈デビュー。2004年『後巷説百物語』で第130回直木賞を受賞。『魍魎の匣』『狂骨の夢』『嗤う伊右衛門』『塗仏の宴 宴の支度』『ルー=ガルー』『覘き小平次』『百器徒然草―風』などがあります。東雲騎人さんは、大学院で民俗学・近世文学を専攻し、特に妖怪を研究してきました。2001年「怪異伝承データベース」(代表:小松和彦、国際日本文化研究センター)の事例収集・カード作成にも参加しています。2002年『目からウロコの民俗学―あのしきたりには、こんな意味があったのか!?』(橋本裕之編、PHPエディターズ・グループ)の第三章「妖怪と民俗学のカンケイ」を執筆・描画。また2002年、『新妖怪双紙 百鬼繚乱』(PHPエディターズ・グループ)を多田克己さんと共著で上梓しました。多田克己さんは、生物学、ユング派深層心理学、宗教学、民俗学の研究から妖怪に興味を持ち、全国の延喜式内社や国分寺跡を廻りながら、妖怪伝説地を調査している"現代妖怪博士"です。著書は『幻想世界の住人たち・日本編』『百鬼解読』『暁斎妖怪百景』『妖怪図巻』『江戸妖怪かるた』などがあります。

 田中貴子さんは、中世説話文学を専攻し、『あやかし考』で第26回サントリー学芸賞を受賞。また「『玉女』の成立と限界」で古典文学会賞も受賞しています。著書に、『「悪女」論』『外法と愛法の中世』『聖なる女』『日本ファザコン文学史』『鈴の音が聞こえる―猫の古典文学誌』『渓嵐拾葉集の世界』、共著に『シリーズ女性と仏教4/巫と女神』などがあります。今、泉鏡花と怪談小説について取り組んでいる最中だということです。内藤正敏さんは、出羽三山の即身仏に出会ってから民俗学の研究を開始し、みずから修験道の修業も修めています。修験道、王権、金属技術、異世界空間論、見世物、怪談など、関連テーマを鋭く切り込んでいます。著書に、『日本のミイラ信仰』『修験道の精神宇宙』『遠野物語の原風景』『日本"異界"発見』、写真集に、『出羽三山』『婆・東北の民間信仰』『東京・都市の闇を幻視する』『日本の写真家38・内藤正敏』などがあります。本業の写真の仕事で、土門拳賞、日本写真協会年度賞などを受賞しています。

 西山克さんは、現在、東アジア恠異学会代表で、「恠異学」(怪異学)の提唱者。著書に、『道者と地下人』『聖地の想像力』などがあり、歴史学から「怪異」現象に鋭く斬り込んでいます。父は著名な国語学者・神道学者の西山徳元皇學館大学学長・教授。辺見葉子さんは、UCLAの大学院で民俗学・神話学専攻の修士課程を修めたケルト神話研究家で、著書に、『ミッドサマー・イヴ―夏の夜の妖精たち』、共著に、『世界の神話101 中世ヨーロッパ・ケルト』、『魔女の文明史』(「妖精信仰と魔女裁判」)などがあります。

 以上の方々はみな研究者といえますが(絵師や小説家や写真家も兼業されていますが)、麿赤兒さんは、研究者というより、「研究対象者」といったほうがよいような舞踏家であり、俳優です。土方巽以後の日本の舞踏シーンに大きな刺激と衝撃を与えてきた大駱駝艦の主宰者で、存在そのものが妖怪的ですね。唐十郎と共に「状況劇場」設立し、60年代には、唐の「特権的肉体論」を具現化する役者として、その怪物的演劇技術により演劇界に多大な影響を及ぼしました。「腰巻お仙」「吸血姫」などに出演し、強烈な存在感を示します。1972年、大駱駝艦を旗揚げし、舞踏的かつ演劇的要素を併せ持った舞台を展開。啓示により「天賦典式」(この世に生まれ入ったことこそ大いなる才能とす)を確立し、圧倒的なスペクタル性と大仕掛けを導入した舞台を実現、舞台芸術の分野で先駆的な地位を確立しています。1974年、1987年、1996年、1999年に、舞踏批評家協会賞を受賞しています。作品に「DANCE桃杏マシン」「海印の馬」「羅生門」など。「五輪書」で北米横断ツアー等を行い、05年6月イスラエル・韓国公演を成功させました。2005年12月には、世田谷パブリックシアターにて新作を発表する予定とのことです。

 この「新妖怪談義研究会」の第1回目の会合を、7月21日に行なったのですが、その日は折りしも満月。内藤正敏さんは、この何年か、満月の夜には必ず日本中の霊山に登って写真を撮っているとのことでした。その時、月の光で尾根がくきやかに浮かび上がり、はっきりとわかると言います。そして、「大自然そのものを神とする」信仰が生まれ、また、「神以前の存在が"鬼"として現われた」と言うのです。「鎌田さん、満月の夜はね、鳥が夜中に凄いんだよ。山自体が呼吸しているような」とも。

 麿赤兒さんは、内藤正敏さんより少し若い年齢だと思いますが、29歳の時に啓示を得て、大駱駝鑑を作り、そこにおける独特の舞踏的演劇形式「天賦典式」のアリバイ作りに内藤正敏さんの知恵を借りたこともあるとか。麿さんて、実に面白い、存在そのものが"神楽"的な人ですね。「変なものを生んだ力。妖怪Xをね。怪異に近いもの。化け物でもいい。
 異形のものだよ。ものの霊。神さまにも化け物にもはたらいていただいて、何でも取り込もうと。神さまも化け物も風土づけになった。恐いけど愛嬌があるという。たそがれ時やかわたれ時のボーとした時間にね。近代になって化け物の依り代がなくなっているんじゃないか。そこで、天賦典式を行なうんだ。すると、いろいろなカミさまが来る」。

  うーん、すごいね。まさに、新妖怪談義だわ、こりゃ。これからが楽しみなわいなー。そんな折、ちょうど、7月26日から8月28日まで、山形市の「山寺芭蕉記念館」展示室で、「もののけ博覧会――妖怪の表現、その歴史と美術――」という展覧会が行われることになり、その図録原稿を頼まれて書きました。以下に全文を貼り付けます。

<<「もののけ」学の困難と可能性            鎌田東二

1、「妖精」は存在するか?
 はたして「妖精」は存在するのかという問いに、真正面から「実在する」と主張した一人が、探偵シャーロック・ホームズの生みの親アーサー・コナン・ドイル(1859−1930)であった。ドイルはエディンバラ大医学部を卒業したあと、ポーツマスで開業医をしながら小説を書き始め、『緋色の研究』『四つの署名』『シャーロック・ホームズの冒険』などのホームズ物で一躍有名作家となった。同時に彼は、1882年にロンドンで設立された心霊研究協会(The Society for Psychical Research)の有力会員で、死後の霊魂の実在を信じるスピリチュアリストであった。ちなみに、彼の叔父は妖精画家だった。

 1920年、ドイルのもとにコティングリー村に住む二人の少女から「妖精」写真が送られてきた。写真の専門家はそれを本物と鑑定し、ドイルも『妖精の出現―コティングリー妖精事件』(井村君江訳、あんず堂)でそれを本物と主張した。
 ドイルの死後60年以上が経って、二人はその写真が捏造であることを明かしたが、しかし5枚のうち1枚だけは本物であると主張した。当時の技術を駆使して調べてもその1枚だけは偽造であることが証明できなかったという。

 こうしてコティングリー妖精事件は不透明さを残したまま、心霊研究史上の一騒動なトピックスとして記憶され、コナン・ドイルの主張の大方は崩されることになったが、ドイル本人がその実在を真剣に信じていたことは事実である。

 医師にして小説家にして心霊主義者であるコナン・ドイルは、近代の光と影を集約したような人物である。近代化とは、一面では、「妖精」や「妖怪」の退却の過程であったといえるが、「妖精」にせよ、「妖怪」にせよ、そんな「モノ」は実在しない、それは人間の空想力が作り出した想像の産物であるという考えが、19世紀末の心霊科学研究の登場以来徐々に一般化し、今日に至っている。それだから、ドイルのように、「妖精を見た」とか、「妖怪がいる」とかと言うと、何をいまさら非科学的な迷信じみたことを言っているのと笑われるか、馬鹿にされるのがオチである。妖精・妖怪実在論者は、圧倒的少数になってしまった。

 にもかかわらず、不思議なのは、現代における「妖精・妖怪ブーム」である。妖精や妖怪に関する本が相次いで出版され、妖精研究の泰斗井村君江氏は「妖精学」という研究分野を確立した。井村氏は福島県金山町や栃木県宇都宮市に妖精美術館を開設し、フェアリー協会を主宰するとともに、水木しげる氏と協力して世界ゴブリン会議を開催した。また、宮崎駿監督のアニメーション映画「もののけ姫」や「千と千尋の神隠し」は大ヒットし、国際日本文化研究センターの小松和彦教授が主宰する妖怪ホームページも大人気だと聞く。

 わたしの周辺でも、友人・知人たちが「妖怪プロジェクト」なる怪しげなグループを作り、夜な夜な妖怪探しにいそしみ、各地の妖怪祭りに参加して妖怪パフォーマンスを繰り広げている。さらに奇縁が重なり、何の因果か、子どもの頃から「鬼を見た」と言い続けてきたわたしが座長となってこのほど妖怪研究会が発足することになった。いったい、この盛り上がりは何なんだろうか。妖精や妖怪の仕業か、はたまた現代人の願望の表出か。

2、平田篤胤の妖怪研究
 コナン・ドイルが生まれる少し前の日本では、秋田出身の国学者平田篤胤(1776−1843)が妖怪研究に邁進していた。平田篤胤は『霊の真柱』の冒頭で、大和心を固めるためには死後の霊魂の行方を知らなければならないとし、幽冥界すなわち霊的世界の研究に精力を注いだ。そして、『新鬼神論』『古今妖魅考』『仙境異聞』『勝五郎再生記聞』『稲生物怪録』などの心霊・妖怪研究書を矢継ぎ早に出版した。篤胤にとっては、妖怪探しは神々と霊的世界の研究に不可欠の回路だったのである。つまり、妖怪の存在証明はそのまま神および幽冥界の存在証明と連動していたということだ。とすれば、妖怪学は神学とも宇宙論(異次元世界論を含む)とも連結することになり、篤胤はまさにそのような霊的存在論の探究に赴いたのである。

 この平田篤胤の妖怪や幽冥界研究は、民俗学の成立にも深い影響を与えている。実際、柳田國男の『遠野物語』はほとんど「幽明」境伝承といってもいいし、常世から来訪する、折口信夫の所謂「まれびと」も神々や妖怪や人間と境を接する霊的かつ人間的存在である。

 柳田は『遠野物語』で、「旧家にはザシキワラシといふ神の住みたもう家少なからず。この神は多くは十二三ばかりの童子なり。折々人に姿を見することあり」と書き記し、座敷童子を目撃した人々のいたことを仄めかしている。また折口信夫は、「神々と民俗」の中で、「もののけ」を「庶物崇拝の対象」となる「小さな神」とか、気の知れない「恐ろしい霊物」とし、また「ものゝけ其他」において、「『ものゝけ』と言ふ語は、霊の病(モノノケ)の意味であつた。ものは霊(モノ)であり、神に似て階級低い、庶物の精霊を指した語である。さうした低級な精霊が、人の身に這入つた為におこるわづらひが、霊之疾(モノノケ)である。後には霊疾の元をなす霊魂其物を、ぢかにものゝけとばかり言ふ様になり、それを人間の霊と考へた」と述べ、「モノノケ」観の変遷について推論している。

 コナン・ドイルは小さい頃から妖精物語を愛好したアイルランドからの移民の子どもであった。その妖精の国アイルランドの国の末裔であるコナン・ドイルと妖怪の国日本の平田篤胤や柳田國男や折口信夫らの"妖精・妖怪探し"には、ユーラシアの東西の最果ての島国から相呼応する切ない異界信号が発せられているかのようだ。

 一方、篤胤や柳田や折口が新たな神霊研究を追究した時代に、「鬼門の神」として畏れられていた「艮の金神」の声を聴き取った金光大神や出口なおは、「もののけ」的な存在にまで零落した神霊を「元の神」として再定立する宗教運動を展開した。出口王仁三郎や浅野和三郎らによって率いられた大本は、「元の神」の復活と世の立て替え立て直しを『神霊界』という雑誌を創刊して大々的に宣教し、二度にわたる国家権力による弾圧を受けた。その出口王仁三郎が「大化物」と呼ばれたことも意味深長である。
 世界全体が妖魔化してゆくかのような現代、わたしは新たな「妖怪学」の探究に分け入ってみようと決心している。>>

 そんなこんなで、この7月は何か、妖怪づいていました。「平安京」が、その名の反対に「不安京」であり、陰陽師やもののけや百鬼夜行が横行したことをわたしは以前『呪殺・魔境論』(集英社)などで論じましたが、この妖怪尽くしも現代の世界情勢と連動しているように感じています。

 ところで、最近、阿部珠理さんの新著『アメリカ先住民』(角川書店)を一気に読みました。これまで、これほど総合的で、現在的で、リアルなアメリカ先住民研究はなかったと思います。本当に待望の書でした。正確に知りたい情報が手際よく整理されていて、大変勉強になりましたが、それ以上に、著者の秘めた情熱とクールな現実認識と程よく抑制された文体に感心した次第です。長年にわたるフィ−ルドワークに裏付けられた本でもあり、彼女の積年の努力に心からの敬意を捧げずにはいられません。本当にいい仕事だと思いました。

 一方、上野千鶴子さんの『老いる準備』(学陽書房)も実に刺激的でした。「女性学」から「向老学」へと深化し、変容を遂げる上野千鶴子さん。みずからの"老い"に即身しつつ決して中途半端に"成仏"しないところは、さすが、上野さんですね。「能力がなくても、人間としての尊厳が失われることなく、だれからも貶められずに生きていける社会をつくる」という「向老学」の方向性には心から賛同します。団塊の世代や50代、40代後半の方には喫緊の問題でしょう。わたしは「翁童文化」についての考え方の違いなどありますが、この書の基本的な考え方にとても共感しました。ぜひご一読をお勧めします。

 最近、わたしは岡倉天心づいています。岡倉天心(1862−1913)の『茶の本』を村岡博氏の岩波文庫本で読んで、あまりの感動に、続けて、英語の原本を借りて来て、大久保喬樹氏の新訳『茶の本』(角川ソフィア文庫)を参照しつつ読み進めています。

 以下の部分とか、特に今日的な観点から見ても重要な一節です。

 「西洋人は、日本が平和な文芸にふけっていた間は、野蛮国と見なしていたものである。しかるに満州の戦場に大々的殺戮を行ない始めてから文明国と呼んでいる。近ごろ武士道――わが兵士に喜び勇んで身を捨てさせる死の術――について盛んに論評されてきた。しかし茶道にはほとんど注意がひかれていない。この道はわが生の術を多く説いているものであるが。もしわれわれが文明国たるためには、血なまぐさい戦争の名誉によらなければならないとするならば、むしろいつまでも野蛮国に甘んじよう。われわれはわが芸術および理想に対して、しかるべき尊敬が払われる時期が来るのを喜んで待とう。」(村岡博訳、岩波文庫)

 「日本がこの平和でおだやかな技芸にふけっていた間は、西洋人は日本のことを野蛮な未開国だとみなしてきたものである。それが、近頃になって日本が満州を戦場にして敵の皆殺しに乗り出すと(日露戦争)、日本は文明国になったというのである。近年、侍の掟――日本の武士が進んで自分の命を捧げる「死の術」――については盛んに論じられるようになってきたが、「生の術」を説く茶道についてはほとんど注意が払われていない。無理解もはなはだしいが、やむをえない。戦争という恐ろしい栄光によらねば文明国と認められないというのであれば、甘んじて野蛮国にとどまることにしよう。私たちの芸術と理想にしかるべき尊敬が払われる時を待つことにしよう」(大久保喬樹訳、角川ソフィア文庫)

 この岡倉天心の、「戦争」に勝利をおさめるようになることが「文明国」と言うのであれば、あえてわれわれは「野蛮国」にとどまろうという主張には、心から賛同します。「アジアは一つ」という『東洋の理想』の冒頭の一句が一人歩きして、大東亜共栄思想を説いたファシストの先駆とみなされることもある岡倉天心ですが、わたしは去年の秋、茨城県天心記念五浦美術館や五浦の六角堂などを見学して、今までイメージだけで捉えてきた岡倉天心とはまったく異なる、平和主義芸術文明論者岡倉天心を、新たな目で見つめ始めました。

 そして最近、ようやくにして『茶の本』を読み、腹の底から感銘した次第です。続けて、『日本の目覚め』『東洋の理想』(ともに、岩波文庫)も読みましたが、やはり『茶の本』が最高傑作ですね。『茶の本』の最後の一文も利休の最期を大変印象深く語っていました。

 「そこで利休は茶会の服を脱いで、だいじにたたんで畳の上におく、それでその時まで隠れていた清浄無垢な白い死に装束があらわれる。彼は短剣の輝く刀身を恍惚とながめて、次の絶唱を詠む。

   人生七十 力囲希咄 吾が這の宝剣 祖仏共に殺す
笑みを顔にうかべながら、利休は冥土へ行ったのであった。」(村上博訳)

 「利休は茶会の服を脱ぎ、畳の上で丁寧に折り畳んで、それまでは隠していた純白の死に装束姿をあらわした。そして、死の短刀の輝く刃をじっと眺めると、こう見事な辞世の詩を詠んだ。

   よくぞ来た
   永遠の剣よ!
   仏陀を貫き
   達磨をも貫いて
   お前はお前の道を切り開いてきた

顔に笑みをたたえて利休は未知の世界へと旅立っていった。」(大久保喬樹訳)

 村上訳で「冥土」、大久保訳で「未知の世界」と訳されている言葉の元の英語は"the unkown"で、利休の辞世の詩の訳を含めて、大久保訳がより岡倉天心の原文に近い訳だと思います。岡倉天心が中心になって創立した東京美術学校(現在の東京芸術大学)の理想とその挫折など、その時代の中での葛藤は大変興味深く参考になります。九鬼周造の母初子との恋愛も、『粋の構造』の著者九鬼周造の運命に大きな影を投げかけていて、考えさせられました。最近、『粋の構造』(岩波文庫)を読み返したばかりだったので。確か、そこには九鬼周造は岡倉天心の子供だったらよかったのにと思ったことがあったように書いてあったと記憶します。天心と周造との縁も名状しがたいものがあるようですね。

 岡倉天心、柳宗悦、九鬼周造、この三人の日本の美学・芸術に関する論考を、東アジア文明論の中で比較しつつ考えてみたいと思います。来る8月末、NPO法人東京自由大学では韓国夏合宿をします。南山などの登拝して、通常の観光コースよりもディープな韓国に触れてきたいと思っていますが、その道々、この三人のことなどを考えながら歩きたいと思っています。次の満月の際には、月山炎の祭りのことを含め、報告できるかと思います。

2005年7月24日 鎌田東二拝